金色の表彰台
第97章 金色の表彰台
試合終了から、しばらく時間が経っても、誰もすぐには現実へ戻れなかった。
日本1-1アメリカ。
120分でも決着がつかず、PK戦は11人目まで続いた。
最後。
伊達葵がレイチェル・アンダーソンのキックを止めた。
PK11-10。
日本女子代表。
オリンピック史上初の金メダル。
その事実は、頭では理解できても、身体がまだ追いついていなかった。
選手たちは芝の上に座り込んだまま、笑ったり、泣いたり、ただ空を見上げたりしていた。
森岡美里は両手で顔を覆いながら、何度も首を振っている。
正木静香は仲間に抱きついたまま離れない。
早川莉奈は涙を流しながらも、どこか信じられないような表情でスタンドを見回していた。
宮野沙季は座り込んだまま大きく息を吐き、何度も「終わった……」とつぶやいている。
伊達葵は、まだ仲間たちから次々と抱きしめられていた。
そして。
柚月。
大船柚月は、少し離れた場所で仰向けになっていた。
空。
ロサンゼルスの夜空。
スタジアムの照明。
歓声。
全部が少し遠く感じる。
右ふくらはぎへ手を伸ばした。
痛くない。
でも。
重い。
120分。
そしてPK。
ここまでずっと、一緒に戦ってくれた脚。
柚月は目を閉じた。
すると。
いろいろな場面が戻ってきた。
ワールドカップ決勝。
アメリカに3-1で勝ったあと。
右ふくらはぎに走った痛み。
試合が終わった喜びより先に、不安が押し寄せた。
病院。
検査。
リハビリ。
走れない。
蹴れない。
負荷を上げられない。
一日進んだと思ったら、次の日には戻される。
焦る。
また止められる。
このまま代表に戻れないんじゃないか。
このままロサンゼルスに間に合わないんじゃないか。
いや。
間に合ったとしても。
本当に戦える身体に戻れるのか。
そんなことを何度も考えた。
徹に言われた。
「一日早く進むために、一か月を失うつもりか」
悔しかった。
でも。
その通りだった。
休む。
戻す。
また少し進む。
右脚を信じられない日もあった。
全力で踏み込むのが怖い日もあった。
それでも。
ここまで来た。
柚月は目を開けた。
そして、小さく笑った。
「……よくここまで来たな」
その声に気づいた森岡が近づいてくる。
「何?」
柚月は起き上がった。
「いや。自分で言うのもなんだけどさ」
「うん」
「よくここまで来れたなって」
森岡も少し黙った。
柚月は右脚を見る。
「ワールドカップのあと、正直、オリンピック無理かもって思ったときあった」
森岡はうなずく。
「知ってる」
「代表戻れても、戦えるか分かんなかった」
「でも、戻った」
「んだな」
森岡は笑った。
「しかも金まで取った」
柚月も笑う。
「出来すぎだべ」
「出来すぎでもいいじゃん」
そのとき。
胸の奥。
ユリの声。
「出来すぎじゃねぇべ」
柚月の表情が少し変わる。
「ちゃんとやったからだべ」
柚月は小さくうなずいた。
「……んだな」
1 銅メダルはフランス
やがて。
表彰式の準備が始まった。
まず、三位決定戦を制したフランス代表。
準決勝で日本に1-3と敗れたあと、気持ちを立て直して銅メダルを獲得した。
ローラン・デュボワ監督。
クレール・デュラン。
シャルロット・ルノー。
エマ・ルクレール。
アメリー・フォルニエ。
レア・ジラール。
マノン・ルフェーヴル。
そしてフランスの仲間たち。
準決勝で敗れた悔しさを抱えながらも、最後の試合を勝ち切り、表彰台へ戻ってきた。
フランスの選手たちが銅メダルを首へかけられる。
日本の選手たちは拍手を送った。
柚月も大きく手を叩く。
準決勝。
前半。
あれだけ押し込まれた。
先制された。
後半。
ようやく追いついた。
そして逆転。
あのフランスがいなければ。
今日の自分たちもいなかった。
柚月はシャルロット・ルノーと目が合う。
ルノーが軽く手を上げる。
柚月も返す。
言葉はなくても。
十分だった。
2 銀メダルのアメリカ
次。
アメリカ。
銀メダル。
スタジアムから大きな拍手が起こった。
自国開催。
金メダルまで。
あと一本。
本当に。
あと一本だった。
120分。
PK。
11人目。
それでも届かなかった。
エミリー・カーター。
ソフィア・ミラー。
マディソン・クラーク。
オリビア・ブラウン。
ハンナ・ウィルソン。
サラ・ジョンソン。
メーガン・トンプソン。
レイチェル・アンダーソン。
一人ずつ銀メダルを首へかけられる。
悔しい。
当然。
それでも。
顔を上げている。
サポーターも。
泣きながら。
拍手している。
柚月はその姿を見つめていた。
あのチームが。
最後まで。
一歩も引かなかったから。
この金メダルは。
これだけ重い。
もし。
簡単に勝っていたら。
たぶん。
同じ金色でも。
全然違って見えた。
3 日本
そして。
最後。
日本代表。
スタジアムアナウンス。
日本の名前が呼ばれる。
歓声。
日本側スタンド。
2011年ワールドカップ優勝メンバーも立ち上がる。
真斗。
雅。
岩出隆。
そして実況席。
徹。
全員が見ている。
森岡美里。
伊達葵。
藤森彩香。
宮原彩乃。
國武真央。
西野千尋。
宮野沙季。
早川莉奈。
長崎美琴。
相沢紗英。
日比谷玲奈。
正木静香。
井上梓。
宮坂玲奈。
高橋結衣。
渡瀬遥。
桐生菜月。
そして。
大船柚月。
一人ずつ。
金メダル。
柚月の番。
名前が呼ばれる。
階段を上がる。
首へ。
金。
重い。
思っていたより。
ずっと。
柚月はメダルを手のひらへ乗せた。
パリで。
届かなかった。
ユリと。
夢見た。
右ふくらはぎを痛めて。
もしかしたら。
ここへ来られないかもしれないと。
何度も思った。
その自分が。
今。
オリンピックの表彰台。
金メダル。
柚月の目に涙が浮かんだ。
でも。
笑っている。
森岡が横から言う。
「泣いてる」
「泣いてねぇ」
「泣いてる」
「うるさい」
正木が笑う。
「柚月さん、完全に泣いてます」
「お前らも泣いてんだろ!」
全員。
笑う。
そのまま。
表彰台。
中央。
日本。
右。
アメリカ。
左。
フランス。
三つの国。
三色のメダル。
そして。
日本の国歌。
柚月は胸を張った。
金メダルを握る。
スタンドを見る。
2011年のメンバー。
あの人たちが。
震災の年に。
日本へ灯した希望。
その続きを。
自分たちも少しだけ。
つなげられたのかもしれない。
そう思った。
4 喜びを爆発させる
表彰式のあと。
ミックスゾーン。
選手たちは次々とインタビューへ呼ばれた。
柚月も。
まだ首から金メダルを下げたまま。
実況アナウンサーが聞く。
「大船選手。オリンピック金メダルです。今の気持ちは?」
柚月。
一瞬。
何か言おうとする。
でも。
笑いが先に出る。
「……いや、もう」
両手で顔を覆う。
そして。
思い切り。
「やったあああああ!」
周囲。
笑い。
拍手。
柚月も。
もう抑えない。
「金メダル取ったあああ!」
インタビュアーも笑う。
「かなり喜びが爆発していますね」
「だって、うれしいもん!」
完全に。
いつもの柚月。
「ワールドカップのあと怪我して、ほんとにここ来れるんかなって思った時期もあったし、リハビリもしんどかったし、途中で何回も焦ったし」
少し。
声が詰まる。
でも。
すぐ笑う。
「でも、みんなが待っててくれたし、徹も止めてくれたし、スタッフもずっと見てくれたし。だから……」
金メダルを見る。
「これ、うち一人のじゃないです」
インタビュアー。
「決勝は120分、そしてPK11人目まで続きました」
柚月。
「長すぎです」
周囲。
笑い。
「ほんとに。途中から、いつ終わるんって思ってました」
「PK戦ではご自身も決めました」
「もう、怖かったですよ」
「怖かった?」
「そりゃ怖いですよ。オリンピック決勝ですよ。外したらどうしようって普通に思いますって」
そして。
少しだけ。
真面目な顔。
「でも、みんなおるって思ったら蹴れました」
次。
伊達葵。
実況。
「最後のスーパーセーブです」
葵。
まだ興奮している。
「いや、もう……止めた瞬間、何が起きたか分かんなかったです」
「読み切りましたか?」
「最後まで見ました。相手もGKだったから、自分ならどこ蹴るかなって考えて」
「そして止めた」
葵。
笑いながら。
「止めました!」
日本側スタッフ。
拍手。
次。
正木静香。
「後半44分のPK。あれを決めなければ、この金メダルはありませんでした」
正木。
「もう、あのときは考えないようにしました」
「何も考えない?」
「いや、考えたら怖くなるんで。GKだけ見ました」
「決めた瞬間は?」
正木。
笑う。
「まだ終わってない!って思いました」
5 アメリカへの敬意
そして。
インタビュー終盤。
柚月へもう一度質問。
「今日のアメリカについては?」
柚月の表情が変わる。
「本当に強かったです」
迷わない。
「うちらが金取れたのは、最後までアメリカが全力で来てくれたからだと思います」
金メダルへ触れる。
「これ、ほんと重いです」
「物理的に?」
柚月。
少し笑う。
「それもありますけど」
そして。
アメリカの選手たちを見る。
「120分やって、PK11人。そこまでやって、それでも最後までどっちが勝つか分からなかった。だから、この金は相手への敬意込みで持ちたいです」
その言葉を聞いたアメリカのエミリー・カーターが、少し離れた場所から笑って手を上げる。
柚月も返す。
それでいい。
勝った。
負けた。
でも。
戦い抜いた。
6 徹
最後。
放送ブースから降りてきた徹。
柚月を見つける。
しばらく。
何も言わない。
柚月が金メダルを持ち上げる。
「取ったぞ」
徹。
笑う。
「見てた」
「実況で叫んでたべ」
「叫ぶだろ、あれは」
柚月が笑う。
「解説者失格」
「夫としては満点」
柚月。
笑いながら。
少し泣く。
そして。
徹が一言。
「おめでとう」
柚月。
「ありがとう」
その言葉が。
いちばん。
胸に入った。
7 あと一人
夜。
表彰式も。
取材も。
ようやく終わり。
柚月は金メダルを手の中で転がした。
胸の奥。
ユリ。
「金だな」
「金だな」
「重い?」
「めっちゃ重い」
「そりゃ十一人目までやったからな」
柚月が笑う。
「それ関係ある?」
「知らん」
「適当」
でも。
少し。
黙る。
柚月。
「ユリ」
「ん?」
「今度、持ってくから」
少し間。
「どこに?」
柚月。
笑う。
「墓」
ユリ。
すぐ。
「知ってるっちゃ」
柚月。
「先に言うな!」
また。
笑う。
でも。
その目には。
涙。
オリンピック。
金メダル。
本当に。
取った。
そして。
まだ。
やることが一つ残っていた。
次回予告
第98章「帰国」
ロサンゼルスオリンピック。
日本女子代表。
史上初の金メダル。
長かった大会が終わる。
選手たちは閉会式を経て、日本へ帰国する。
空港。
大歓声。
家族。
クラブの仲間。
仙台ジュニア時代の友人たち。
そして。
大船徹。
日本へ戻った柚月は、ようやく実感する。
「終わったんだな」
しかし。
まだ一つ。
行かなければならない場所がある。
名取百合子。
ユリ。
幼いころ。
一緒になでしこジャパンを夢見た親友。
柚月は金メダルを手に、徹へ言う。
「行こう」
徹もうなずく。
次回、第98章「帰国」。
世界の頂点へ立ったあと。
柚月が最初に届けたい相手は。
ずっと。
変わっていない。




