終わらない決勝
第95章 終わらない決勝
後半44分。
正木静香のPK。
日本1-1アメリカ。
アメリカにとっては、金メダルがほとんど手の中へ入りかけた時間だった。
日本にとっては、残された最後の一本に近かった。
それでも日本は追いついた。
そして、そこから残された数分間。
両チームとも守ることだけを選ばなかった。
アメリカは、自国開催のオリンピック決勝を90分で終わらせようと前へ出る。
日本も、せっかく追いついた流れをそのまま勝ち越しへ変えようとする。
アディショナルタイム。
ソフィア・ミラー。
エミリー・カーター。
ハンナ・ウィルソン。
アメリカが中央から押し込む。
藤森彩香。
西野千尋。
宮野沙季。
日本が身体を張る。
ボールがこぼれる。
マディソン・クラークが右からクロス。
伊達葵が飛び出す。
両手。
キャッチ。
実況席。
「伊達葵、止めました! 残り時間はほとんどありません!」
徹も前のめりになっていた。
「ここは絶対に落としたくないですね。追いついた直後が一番危ないです」
今度は日本。
葵から藤森。
宮野。
柚月。
早川莉奈。
正木。
アメリカ陣内へ入る。
しかしサラ・ジョンソンとメーガン・トンプソンが中央を締める。
正木が切り返す。
もう一度。
クロス。
森岡美里。
ヘディング。
わずかに上。
スタンドから大きなどよめき。
そして。
主審が時計を見る。
長い笛。
90分終了。
日本1-1アメリカ。
決勝は。
延長戦へ入った。
1 もう一度、立つ
ピッチ上。
何人もの選手がその場へ腰を下ろした。
前半45分。
後半45分。
そして、その中で繰り返したスプリント。
球際。
切り返し。
身体のぶつけ合い。
もう簡単には立ち上がれない。
柚月も芝へ座り込み、両手を後ろについて空を見上げた。
右ふくらはぎ。
痛みはない。
だが。
重い。
完全に疲労している。
森岡が横へ座る。
「まだやるんだね」
柚月が苦笑する。
「あと30分だべ」
「その30分が長いんだって」
「んだな」
水。
電解質。
トレーナー。
短いマッサージ。
原町監督は選手たちを集めた。
「ここからは、気持ちだけで走るな」
全員が見る。
「疲れてるのは向こうも同じ。だからこそ、一つの判断ミスが致命傷になる」
ベンチを見る。
日本にはまだ交代できる選手がいる。
ガーナ戦。
フランス戦。
ここまで18人を使ってきたからこそ。
この延長戦でも。
まだ脚がある。
原町監督が名前を呼ぶ。
「日比谷玲奈」
「はい」
「宮坂玲奈」
「はい」
さらに。
「井上梓」
三人が立つ。
フレッシュ。
まだ走れる。
一方。
アメリカ側も動いた。
監督がベンチへ振り返る。
フィジカルとスピードを残した選手。
空中戦。
ドリブル。
守備。
アメリカも交代カードを切る。
オリンピック決勝。
もう先発も控えもない。
残された全員。
総力戦。
実況。
「延長戦を前に、両チームが選手を入れ替えます。日本もアメリカも、ここからはベンチを含めた総力戦です」
徹。
「ここまで来たら、フレッシュな脚は本当に大きいです。ただ、途中から入った選手もこの試合の重さを一瞬で受け止めなきゃいけない」
2 延長前半
主審の笛。
延長前半。
日本は日比谷玲奈を中盤へ。
宮坂玲奈を前線へ。
井上梓をサイドへ。
アメリカも数人を入れ替え、前線の圧力を落とさない。
開始直後。
宮坂が右サイドへ走る。
ボールを受ける。
一人。
縦。
切り返す。
相手DFの反応が遅れる。
宮坂。
中央。
日比谷。
ワンタッチ。
柚月。
柚月が左足。
シュート。
サラ・ジョンソン。
ブロック。
実況。
「日本、延長に入って最初のチャンス!」
徹。
「交代選手が効いてますね。宮坂選手と日比谷選手が入って、アメリカの守備陣にまた違う動きをさせています」
アメリカ。
すぐ反撃。
右。
左。
中央。
新しく入った選手が勢いよく日本のペナルティーエリアへ入る。
クロス。
藤森。
頭。
跳ね返す。
こぼれ球。
エミリー・カーター。
ミドル。
葵。
正面。
キャッチ。
互いに。
まだ。
攻める。
延長前半6分。
井上梓。
左サイド。
一気に走る。
アメリカDFが追う。
井上。
中。
宮坂。
ワンタッチ。
日比谷。
シュート。
GKレイチェル・アンダーソン。
横っ飛び。
弾く。
正木が詰める。
しかし。
サラ。
クリア。
スタンド。
日本側の歓声。
アメリカ側のため息。
その数分後。
アメリカ。
今度は日本の右を突破。
低いクロス。
ハンナ・ウィルソン。
触る。
伊達葵。
右手。
止める。
実況アナウンサーが叫ぶ。
「伊達葵! また止めた!」
徹。
「いやあ、これは大きい。延長でこの一対一を止めるのは本当に大きいです」
時間が進む。
延長前半10分。
12分。
14分。
疲労は限界へ近づく。
柚月も。
森岡も。
エミリー・カーターも。
サラ・ジョンソンも。
何度も膝へ手を置く。
それでも。
ボールが来れば。
走る。
延長前半終了。
1-1。
3 最後の15分
短い休憩。
誰も大声を出さない。
必要以上に話さない。
呼吸。
水。
ストレッチ。
それだけ。
原町監督が言う。
「あと15分」
柚月が顔を上げる。
「勝ち切ろう」
森岡も。
「うん」
そして延長後半。
日本が先に押し込む。
日比谷。
宮坂。
早川。
柚月。
細かいパス。
アメリカを左右へ動かす。
しかし。
最後はサラ・ジョンソン。
メーガン・トンプソン。
身体を張る。
延長後半4分。
柚月がペナルティーエリア手前で受ける。
右。
左。
一度止める。
エミリーが寄る。
柚月。
切り返し。
シュート。
ゴール左。
レイチェル。
横っ飛び。
弾く。
実況。
「大船柚月! 惜しい!」
徹も思わず声を上げる。
「今の入ったかと思いました」
アメリカ。
延長後半7分。
カウンター。
マディソン。
中央。
ハンナ。
藤森。
身体。
ハンナが残す。
シュート。
西野。
ブロック。
ボールが転がる。
ソフィア。
もう一度。
葵。
キャッチ。
どちらも。
あと一歩。
どちらも。
入らない。
4 脚が止まっても
延長後半10分。
森岡が走ったあと、足を止める。
ふくらはぎ。
少しつる。
トレーナーがタッチラインで準備する。
森岡は首を振る。
「まだいける」
柚月が近づく。
「無理すんな」
「柚月に言われたくない」
柚月が笑う。
「それもそうだな」
それでも。
二人。
また走る。
アメリカ側でも。
エミリーが両脚を伸ばす。
サラが腰を叩く。
疲れている。
でも。
誰も下がらない。
金メダル。
そこまで。
本当に。
あと数分。
延長後半13分。
日本。
最後の大きなチャンス。
宮坂。
右。
縦。
クロス。
日比谷。
中央。
ヘディング。
レイチェル・アンダーソン。
両手。
弾く。
正木。
こぼれ球。
シュート。
サラ。
ゴールライン手前。
クリア。
日本側スタンド。
悲鳴。
実況。
「入らない! 入らない!」
徹。
「これは……アメリカもよく守りました」
その直後。
アメリカ。
ロングカウンター。
井上が戻る。
國武。
藤森。
最後はクロス。
葵。
飛び出す。
パンチング。
ボールが外へ。
時計。
119分。
120分。
主審が見る。
最後。
アメリカのスローイン。
中央。
跳ね返す。
宮野。
拾う。
柚月。
前。
正木。
だが。
主審。
笛。
延長戦終了。
日本1-1アメリカ。
120分。
決着つかず。
5 PK戦
選手たちは、その場に立ち尽くした。
終わらなかった。
90分。
延長30分。
合わせて120分。
それでも。
日本とアメリカは。
互いに譲らなかった。
実況席。
「120分が終わりました! 日本1-1アメリカ! 金メダルの行方はPK戦に委ねられます!」
徹は一度、大きく息を吐いた。
「ここまで来ましたね」
「大船さん、PK戦です」
「もう技術だけじゃないです。どれだけ自分を信じられるか。GKを信じられるか。仲間を信じられるか。それだと思います」
ピッチ中央。
日本代表。
円陣。
原町監督。
森岡。
柚月。
伊達葵。
全員。
18人。
原町監督が言う。
「ここまで来たら、もう誰か一人の責任じゃない」
全員が聞く。
「外すこともある。止められることもある。それでも次の選手へつなぐ」
柚月が拳を中央へ出す。
「最後まで一緒だべ」
森岡。
「絶対取ろう」
伊達葵。
「一本でも止める」
正木。
「決めます」
全員。
拳。
「日本!」
その向こう。
アメリカ代表も円陣。
こちらも。
誰一人。
下を向いていない。
互いの意地。
互いの誇り。
120分では。
決められなかった。
なら。
残された最後の勝負。
PK戦。
それしかない。
スタンド。
2011年ワールドカップ優勝メンバー。
誰も座っていない。
徹。
実況席。
真斗。
雅。
岩出。
全員。
そして。
柚月の胸の中。
ユリ。
声。
「来たな」
柚月。
「んだな」
「怖い?」
「怖いよ」
「でも?」
柚月は小さく笑う。
「やるしかねぇべ」
ユリも笑った。
「それでいい」
そして。
PK戦。
最初のキッカーが。
センターサークルから歩き始めた。
次回予告
第96章「十一人目」
120分。
日本1-1アメリカ。
決着はつかなかった。
90分。
延長前半。
延長後半。
互いに何度も決定機を作り。
何度もGKが止め。
何度も最終ラインが身体を張った。
そして。
PK戦。
一人目。
二人目。
三人目。
五人では終わらない。
サドンデス。
六人目。
七人目。
八人目。
九人目。
十人目。
それでも。
終わらない。
日本。
アメリカ。
互いに外さない。
互いに止める。
そして最後。
十一人目。
GKまで含めて。
ピッチに立った選手全員へ、順番が回る。
日本女子サッカー史上初のオリンピック金メダル。
その運命は。
最後の一蹴りへ。
次回、第96章「十一人目」。
120分で決まらなかった意地と意地。
最後は。
11メートルの距離で決まる。




