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あの日の春風は今も  作者: リンダ


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119/127

金メダルを懸けた90分

第93章 金メダルを懸けた90分


ロサンゼルスオリンピック女子サッカー決勝。


日本対アメリカ。


満員のスタジアムは、試合開始前から地鳴りのような歓声に包まれていた。開催国アメリカを応援する赤、白、青の旗がスタンドを埋め尽くし、その一角には日の丸を掲げた日本のサポーターが集まっている。


そして、日本側スタンドには2011年ワールドカップ・ドイツ大会優勝メンバーの姿もあった。


澤穂希。


宮間あや。


海堀あゆみ。


大野忍。


安藤梢。


岩清水梓。


阪口夢穂。


近賀ゆかり。


熊谷紗希。


あの夏、二度リードされながら追いつき、延長戦でも戦い続け、PK戦で世界一となったメンバーたちが、今度はスタンドから新しい世代の決勝を見つめていた。


実況席。


アナウンサーがマイクへ向かう。


「ロサンゼルスオリンピック、女子サッカー決勝です。日本対アメリカ。開催国アメリカと、ワールドカップ王者日本。世界の頂点を決める最後の一戦です」


隣には、特別解説として大船徹が座っていた。


「大船さん、日本にとってはワールドカップ決勝の再戦でもあります」


徹は落ち着いた声で答えた。


「そうですね。ただ、今日のアメリカはワールドカップのときとは別のチームだと思って見た方がいいです。身体の強さも、ボール保持も、突破力も上がっています」


「そして奥様の大船柚月選手も先発です」


徹は少しだけ笑った。


「はい。ただ今日は夫として見る余裕はないですね。日本代表の一選手として見ています」


ピッチ。


森岡美里がアメリカ代表主将と握手を交わす。


アメリカの主将は守備的MF、エミリー・カーター。


中盤の支配力、球際、身体の強さを兼ね備える中心選手だった。


その前には攻撃的MF、ソフィア・ミラー。


右ウイング、マディソン・クラーク。


左ウイング、オリビア・ブラウン。


センターフォワード、ハンナ・ウィルソン。


守備陣には、


右SB ケイトリン・リード。


左SB アシュリー・モーガン。


CB サラ・ジョンソン。


CB メーガン・トンプソン。


GK レイチェル・アンダーソン。


いずれも体格と運動能力に優れ、ワールドカップ後さらにフィジカル面を強化してきた選手たちだった。


日本。


GK伊達葵。


DF藤森彩香、西野千尋、宮原彩乃、國武真央。


中盤は宮野沙季、森岡美里、大船柚月、早川莉奈、長崎美琴。


前線に正木静香。


森岡が全員へ声をかける。


「最初の一本、集中!」


柚月も右ふくらはぎを軽く叩いた。


痛みはない。


胸の中で、ユリの声が聞こえる。


「行ってこい、柚月」


柚月は小さく笑った。


「行ってくるっちゃ」


主審が時計を見る。


笛。


キックオフ。


1 最初から強い


「さあ始まりました! ロサンゼルスオリンピック女子サッカー決勝、日本対アメリカ!」


実況の声がスタジアムの熱気に重なる。


開始直後。


アメリカは予想どおり、身体の強さを前面に出してきた。


ソフィア・ミラーが中央で受ける。


森岡が寄せる。


ソフィアは身体を入れてボールを守る。


森岡も離れない。


そこへエミリー・カーター。


ワンタッチ。


右。


マディソン・クラーク。


國武真央が対応する。


マディソンは縦。


國武がついていく。


クロス。


中央。


ハンナ・ウィルソン。


藤森彩香と競る。


藤森が頭で跳ね返した。


実況。


「アメリカ、開始直後からかなり前へ来ています!」


徹。


「やっぱり強いですね。特にハンナ・ウィルソン選手、身体を当ててもほとんど軸がぶれません。ただ藤森選手も一人で全部競り勝とうとはしていないですね」


こぼれ球。


宮野沙季。


拾う。


前。


柚月。


その瞬間。


エミリー・カーターが身体を寄せる。


強い。


柚月が耐える。


さらにソフィア。


二人目。


柚月は前を向けない。


すぐに宮野へ戻した。


実況。


「アメリカ、奪われてもすぐに二人、三人と囲みに来ます」


徹がうなずく。


「日本が長く持つと厳しいですね。身体を当てられる前にボールを離した方がいいと思います」


まるで、その言葉がピッチへ届いたかのようだった。


柚月も同じことを考えていた。


「持てねぇなら、早く離すべ」


森岡へ声をかける。


「ワンタッチ増やすよ!」


「了解!」


2 パス速度を上げる日本


前半5分。


藤森から宮野。


宮野。


ワンタッチ。


柚月。


柚月。


ワンタッチ。


早川莉奈。


早川も止めない。


森岡。


森岡から美琴。


美琴は一度身体を入れて相手を引きつける。


エミリーが寄る。


その瞬間。


國武へ。


左。


日本が初めてアメリカのプレスを完全に外した。


実況席。


「日本、細かいパスでプレスを外しました!」


徹。


「これですね。アメリカは身体が強いので、接触したら相手の土俵です。触られる前にボールを動かして、身体の向きを変えさせたい」


國武。


前へ。


正木が左へ流れる。


サラ・ジョンソンがついていく。


正木がワンタッチで戻す。


柚月。


右。


宮原彩乃。


今度は大きく反対。


アメリカ守備陣が横へ走る。


宮原が縦へ。


ケイトリン・リードが対応。


一度切り返す。


内側。


もう一度外。


ケイトリンの重心が揺れる。


クロス。


中央。


森岡。


ヘディング。


しかしメーガン・トンプソンが先に触った。


クリア。


実況。


「日本、初めてしっかりアメリカ陣内へ入りました!」


徹。


「小回りが効いていますね。一回で抜こうとせず、何度も身体の向きを変えさせています」


アメリカは大きい。


強い。


速い。


だが。


一度右を向く。


次に左。


また前。


さらに後ろ。


連続して方向を変えさせられると、わずかに反応が遅れる。


日本が狙っていた弱点だった。


3 アメリカも最後は崩れない


前半10分。


今度はアメリカ。


アシュリー・モーガンからオリビア・ブラウン。


宮原が寄せる。


オリビアは身体を入れて縦へ出る。


宮原もついていく。


中央へ。


ソフィア・ミラー。


ワンタッチ。


ハンナ・ウィルソン。


藤森が身体を寄せる。


ハンナ。


倒れない。


反転。


右足。


シュート。


西野千尋が身体を投げ出した。


ブロック。


実況。


「西野、止めた!」


徹。


「大きいですね。アメリカのFWを一人で止めるのは難しい。でも藤森選手が方向を限定して、西野選手が最後に入っています」


日本は一人で勝たない。


アメリカも一人では崩せない。


その繰り返しだった。


前半13分。


日本。


美琴。


二人に囲まれる。


それでも失わない。


身体を入れる。


一人目を背負う。


二人目が来る。


早川へ。


早川が前を向く。


一人かわす。


正木へ。


正木が中へ。


サラ・ジョンソンが対応。


右。


左。


もう一度右。


正木が一瞬シュートコースを作る。


右足。


シュート。


サラが足を出す。


ブロック。


アメリカの最終ラインも硬い。


実況。


「正木、仕掛けましたがサラ・ジョンソンが止めました!」


徹。


「今のも悪くないです。アメリカは中央の守備が非常に強い。だから一回で結果を出そうとしなくていい」


4 一進一退


前半17分。


アメリカ。


エミリー・カーターが中央でボールを奪う。


そのまま前。


ソフィア。


右。


マディソン。


速い。


國武が戻る。


マディソンが内側へ切り込む。


シュート。


伊達葵。


横っ飛び。


両手。


弾く。


実況。


「伊達葵! ナイスセーブ!」


徹。


「しっかり見えていましたね。DFが外を切ったので、シュートコースをある程度絞れていました」


こぼれ球。


藤森。


大きく蹴らない。


宮野。


柚月。


早川。


日本もすぐ前へ出る。


実況。


「今度は日本のカウンター!」


早川。


右。


宮原。


宮原が一気に上がる。


アシュリーが戻る。


クロス。


正木。


ニア。


触れない。


レイチェル・アンダーソンがキャッチ。


今度はアメリカ。


また前。


止まらない。


徹が言う。


「本当に切り替えが速いですね。決勝らしいです。どちらも一回の攻撃で終わらせない」


前半20分。


ソフィアのミドル。


葵。


正面。


前半22分。


日本。


柚月から國武。


國武から美琴。


美琴がキープ。


森岡。


ミドル。


レイチェルがキャッチ。


前半24分。


アメリカ。


マディソンが右突破。


クロス。


ハンナ。


ヘディング。


ゴール上。


互いに決定機は作る。


しかし。


最後は割れない。


5 日本の小回り、アメリカの強度


前半28分。


柚月が中央で受ける。


エミリーが寄る。


柚月は右へ身体を向ける。


エミリーも動く。


しかしボールは左。


早川。


早川が中央へ入る。


ソフィアが戻る。


早川。


ワンタッチ。


美琴。


美琴がボールを止める。


あえて止める。


アメリカが寄る。


美琴は身体を入れて耐える。


二人。


三人。


そこから柚月。


今度は右。


宮原。


実況。


「日本、かなりアメリカを左右に動かしています!」


徹。


「これは効いていますね。大柄な選手ほど、何度も身体の向きを変えさせられるのは嫌です」


宮原。


縦。


切り返す。


もう一度縦。


クロス。


森岡。


頭。


わずかに左。


スタンドから大きなどよめき。


森岡は悔しそうに手を叩いた。


柚月も。


「いいぞ! 続ける!」


だが。


アメリカもすぐに修正する。


ボールを持った選手へ行くのではなく、その次の受け手を見る。


前半32分。


柚月が受ける。


早川へ出そうとする。


しかし。


エミリーがすでに早川の前へ入っている。


出せない。


柚月が持つ時間が長くなる。


その瞬間。


ソフィアが来る。


身体。


柚月がよろける。


ぎりぎり森岡へ。


実況。


「アメリカ、日本の速いパス回しに対応してきました!」


徹。


「受け手を先に消し始めましたね。ここから日本もまた変えないといけません」


柚月が小さく笑う。


「やっぱ変えてきたな」


早川が聞く。


「次どうします?」


「また見るっちゃ」


6 最大の危機


前半36分。


アメリカが日本のパスを読んだ。


エミリー・カーター。


インターセプト。


前。


ソフィア。


日本の守備が戻る。


ソフィアは右。


マディソン。


マディソンが縦へ。


國武がつく。


切り返し。


中央。


ハンナ。


藤森。


身体を入れる。


ハンナは落とす。


ソフィア。


ペナルティーエリア左。


シュート。


実況の声が上がる。


「ソフィア・ミラー、打った!」


葵。


飛ぶ。


右手。


触る。


ポスト。


外。


アメリカサポーターの大歓声とため息が同時に響いた。


徹も思わず息を吐く。


「これは大きいですね。伊達選手、よく触りました」


実況。


「日本、最大のピンチを伊達葵が防ぎました!」


葵は起き上がる。


「集中!」


藤森。


「ナイス葵!」


まだ0-0。


7 互いに一歩も引かない


前半40分。


日本。


宮野。


柚月。


早川。


美琴。


また柚月。


右。


宮原。


中央。


森岡。


アメリカが寄る。


森岡。


左。


國武。


正木が中へ。


國武から正木。


正木。


ターン。


サラ・ジョンソンが身体を当てる。


強い。


正木も耐える。


戻す。


柚月。


ミドルを狙う。


エミリーが出る。


柚月は打たない。


早川。


早川が右足。


シュート。


メーガン・トンプソンがブロック。


実況。


「日本も押し返す!」


徹。


「どちらも最後が本当に強いです。日本がアメリカ陣内へ入っても、サラ・ジョンソンとメーガン・トンプソンが中央を締めています」


前半43分。


アメリカ。


オリビア。


アシュリー。


ソフィア。


ハンナ。


日本。


藤森。


西野。


宮野。


跳ね返す。


そこからカウンター。


柚月。


正木。


正木が走る。


サラも戻る。


アメリカも速い。


正木が左。


國武。


國武からクロス。


レイチェル。


キャッチ。


またアメリカ。


文字どおり。


一進一退。


8 前半終了


45分。


アディショナルタイム。


実況。


「前半も残りわずかです。日本0-0アメリカ!」


徹。


「内容の濃い0-0ですね。どちらも相手の強みを受けて、それでも崩れていない」


アメリカ。


最後の攻撃。


エミリー。


ソフィア。


右。


マディソン。


クロス。


ハンナ。


藤森。


競る。


葵。


前へ。


キャッチ。


日本。


葵から藤森。


宮野。


柚月。


柚月が前へ向く。


早川。


しかし。


主審が時計を見る。


笛。


前半終了。


日本0-0アメリカ。


スタジアムから大きな拍手が送られる。


実況。


「前半終了です! 日本0-0アメリカ。互いに譲らず、金メダルを懸けた決勝は無得点で折り返します!」


徹はピッチを見つめたまま言った。


「日本もかなりやれています。ただ、アメリカも日本の速いパス回しを途中から読んできました。後半はまた別の試合になると思います」


ピッチ。


柚月が右ふくらはぎへ一度触れる。


問題なし。


森岡が隣へ来た。


「すごいね」


柚月が息を整えながら答える。


「んだな」


「疲れた?」


「まだまだ」


森岡が笑う。


「私も」


スタンド。


2011年優勝メンバーたちが拍手する。


そして。


このとき。


まだ誰も知らなかった。


この0-0が。


90分でも終わらない決勝の。


まだ最初の45分にすぎないことを。


延長戦。


そして。


11人目まで続くPK戦。


だが。


今の選手たちが見ているのは。


後半最初の一分だけだった。


次回予告


第94章「先に動いたアメリカ」


前半終了。


日本0-0アメリカ。


エミリー・カーター。


ソフィア・ミラー。


マディソン・クラーク。


オリビア・ブラウン。


ハンナ・ウィルソン。


フィジカルとキープ力を武器に、日本ゴールへ迫り続けるアメリカ。


対する日本も、大船柚月、森岡美里、早川莉奈、長崎美琴、正木静香らが高速パスと細かな切り返しで対抗。


しかし。


アメリカは前半途中から、日本の「早く離す」戦術へ対応し始める。


ボール保持者ではなく。


次の受け手を消す。


その修正によって、日本のパス回しが少しずつ詰まり始める。


ハーフタイム。


原町監督が問いかける。


「速く離すことを待たれてる。なら次は?」


柚月は長崎美琴を見る。


二人に囲まれても簡単には失わないキープ力。


早川莉奈のドリブル。


そして正木静香のランニング。


柚月が答える。


「今度は、あえて持ちます」


前半とは逆。


速く離すことを覚えさせたあと。


今度は離さない。


次回、第94章「先に動いたアメリカ」。


決勝で必要なのは、一つの正解ではない。


相手がその正解を覚えた瞬間に、それを自分たちから捨てる勇気が試される。

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