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あの日の春風は今も  作者: リンダ


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二つのセーブ、一つの勝利

第79章 二つのセーブ、一つの勝利


75分を過ぎた時点で、スコアは日本2-0メキシコ。


高橋結衣の強烈な左足のシュートをGKアンドレア・メンドーサが弾き、そのこぼれ球を森岡美里が右足で仕留めた先制点。そして、長崎美琴のハンドによって与えたPKを伊達葵がスーパーセーブし、そこから始まったカウンターを大船柚月が右足のミドルシュートで完結させた追加点。


ほんの数十秒の間に、1-1になる可能性が2-0へと変わった。


だが、メキシコにとって、この試合はまだ終わっていなかった。


一次リーグ初戦に勝利して勝ち点3を持っていたメキシコは、日本に次ぐA組2位につけている。しかし得失点差では日本が上であり、この試合を落とせば最終節の結果次第ではグループリーグ敗退も現実的になる。一方、もう一つのカードではオランダとガーナが1-1で引き分けており、両国は勝ち点1。メキシコにとって最低でも引き分けまで戻すことには大きな意味があった。


だから、アレハンドロ・モンテロ監督は迷わなかった。


「前へ出ろ。二点を取り返すぞ」


守備の人数を減らしてでも攻撃へ。


サイドバックも上げる。


中盤のソフィア・エレーラも高い位置を取る。


カミラ・ロドリゲス、ルシア・モラレス、バレリア・オルティスが日本の最終ラインへ圧力をかけ続ける。


前半、日本によって徹底的に走らされてきたメキシコの脚には確かに疲労があった。それでも、敗退の危機が迫れば止まってはいられない。残された力をすべてこの十五分に注ぎ込むように、メキシコは再び攻撃の速度を上げた。


日本は二点差を守るために自陣へ閉じこもることはしなかったが、それでも次第に押し込まれる時間が増えていった。


78分、ソフィアが中央から右へ展開し、バレリアが宮原彩乃との一対一からクロスを上げる。中央でカミラが競り合い、その後ろからルシアが飛び込んだ。シュートは藤森彩香の身体に当たってCKとなる。


続くコーナーキックでもメキシコは人数をかけた。高いボールがゴール前へ入り、マリア・サントスが頭で合わせる。伊達葵が右へ飛んで弾き、こぼれ球へソフィアが走り込むが、宮野沙季が一歩先に身体を入れて外へかき出した。


柚月がすぐに声を上げる。


「まだ終わってねぇぞ。セカンド全部拾うっちゃ!」


美琴も大きくうなずき、中盤へ戻る。


自分のハンドから生まれたPKを葵が止めてくれた。その直後に追加点まで生まれた。それでも、美琴の中にはまだ少し責任を感じる気持ちが残っていた。


柚月はそれに気づいていた。


「美琴」


「はい」


「さっきのこと、もう終わりだぞ」


美琴が見る。


「今ここだけ見ろ」


その一言で、美琴は深く息を吐いた。


過去の一つのプレーに引っ張られて、次の一つを失う方が怖い。


美琴は再びボールへ集中した。


82分、メキシコの攻撃がさらに激しくなる。左からルシアが運び、國武真央を引きつけて中央へ戻す。ソフィアがワンタッチで前へ入れ、カミラが反転する。藤森が寄せるが、カミラは右へ逃がし、バレリアがそのままシュートを放つ。


伊達葵が両手で弾く。


またメキシコ。


日本はクリアしても、次のボールを拾われる。


宮野が叫ぶ。


「ライン上げよう!」


藤森も声を重ねる。


「下がりすぎない!」


二点リードしているからこそ、自陣へ閉じこもらない。


しかしメキシコは、それでも前へ出続けた。


そして85分。


ついに日本の守備が破られる。


メキシコは右サイドから細かくつなぎ、ソフィアが中央で受けると、すぐ左へ展開した。ルシア・モラレスが國武より半歩先にボールへ入り、そのままペナルティーエリア左へ進入する。


藤森が中央を締める。


ルシアはシュートを打たず、低いクロスを入れた。


ニア。


カミラ・ロドリゲス。


右足。


伊達が反応する。


だが、至近距離。


ボールは伊達の伸ばした右手を抜け、ゴールへ入った。


2-1。


メキシコ、一点差。


スタジアムの空気が一変した。


メキシコ側の応援席から爆発的な歓声が上がり、選手たちはボールを拾ってすぐセンターサークルへ走った。


時間はある。


あと一点。


引き分け。


勝ち点1。


それだけでも、グループリーグ突破へ大きく望みを残せる。


モンテロ監督は両腕を振る。


「もう一つだ!」


日本側。


柚月は仲間を集めた。


「慌てんな」


早川が息を整える。


「押されてますね」


「んだ。でも向こうも後ろほとんど残してねぇ」


森岡がうなずく。


「次、取れたらカウンター」


柚月も同じ考えだった。


「無理に狙わなくていい。でも、来たら行く」


1点差。


ここで守りだけへ意識を向ければ、メキシコの攻撃を真正面から受け続けることになる。


だから、日本は前線の正木静香を残した。


メキシコが攻撃へ人数をかければかけるほど、その背後は広がる。


88分。


メキシコ。


ソフィアのロングボール。


カミラ。


藤森との競り合い。


ボールがこぼれる。


宮野が回収。


すぐに早川。


早川が前を向く。


正木が走る。


だが、ここではメキシコのセンターバックがぎりぎりで戻っていた。


早川は無理に出さない。


美琴へ戻す。


美琴は身体を使ってキープし、相手のファウルを誘った。


時間が進む。


90分。


第四審判がボードを掲げる。


アディショナルタイム3分。


スタジアムが大きくざわめく。


メキシコに残された時間。


三分。


日本が耐える時間。


三分。


しかし柚月は時計を見て叫んだ。


「三分守ろうと思うな。次の一本だけ!」


91分。


メキシコが右から攻める。


クロス。


藤森がヘディングでクリア。


ソフィアが拾う。


もう一度中央へ。


宮野。


身体を入れる。


ボールがこぼれる。


森岡が拾って前へ出そうとするが、すぐに囲まれて横へ逃がす。


メキシコの圧力は続く。


92分。


残り一分。


メキシコはGKを除くほとんどの選手を日本陣内へ送り込んでいた。


ソフィアから左。


ルシア。


中央へクロス。


藤森彩香が競る。


ボールが高く跳ねる。


宮野沙季が落下地点へ入り、相手より先に頭で前へ弾いた。


そこへ早川莉奈。


早川は落ちてきたボールを胸で収めると、すぐに前を見た。


広い。


メキシコの最終ラインには、ほとんど人がいない。


「静香!」


正木静香が走り出していた。


早川から縦。


正木が受ける。


センターラインを越える。


前にはGKアンドレア・メンドーサ。


後ろから一人、必死に戻ってくる。


正木は迷わずボールを前へ運んだ。


ここまで何度も、裏へ走るタイミングを学んできた。


走らない時間。


囮になる時間。


そして。


本当に走るべき瞬間。


今。


その瞬間だった。


アンドレアがペナルティーエリアの外ぎりぎりまで出てくる。


正木は速度を落とさない。


一対一。


GKが身体を大きく見せる。


右を切る。


正木は一瞬だけ右を見る。


アンドレアがわずかに重心を動かす。


その瞬間。


正木は左足でボールをゴール左隅へ流し込んだ。


強くない。


だが。


正確。


アンドレアの手は届かない。


ボールがゆっくりとゴールへ転がる。


ポストの内側。


ネット。


3-1。


正木はゴールを確認した瞬間、両拳を握って叫んだ。


「よしっ!」


日本側ベンチが一斉に立ち上がる。


柚月も。


森岡も。


美琴も。


全員が正木へ走っていく。


早川が追いつき、背中を叩く。


「静香!」


正木は息を切らしながら笑った。


「今は走ってよかったですよね!」


柚月が追いつき、肩を抱いた。


「今走らんでいつ走るんだっちゃ!」


緊張の中に笑いが起こる。


残り時間は、もうほとんどない。


メキシコがキックオフ。


前へ。


しかし、その直後。


主審が時計を見る。


長い笛。


試合終了。


日本3-1メキシコ。


日本、一次リーグ二連勝。


勝ち点6。


選手たちは大きく息を吐いた。


簡単な勝利ではなかった。


PK。


一点差。


終盤の猛攻。


それでも最後に、自分たちのカウンターで試合を終わらせた。


メキシコのモンテロ監督は、しばらくピッチを見つめていた。


自分たちの強みだった走力。


日本はそれを恐れなかった。


むしろ。


走らせた。


疲れさせた。


そして最後の最後。


自分たちが前へ出ざるを得なくなったところで、正木の脚を使われた。


モンテロ監督は原町監督のところへ歩み寄り、握手を交わした。


「見事でした」


原町監督も答える。


「最後まで苦しかったです」


それは本音だった。


日本のロッカールームでは、まず伊達葵に大きな拍手が送られた。


原町監督が言う。


「今日の試合、あのPKが一番大きかった」


葵は少し照れたように笑う。


「決められなくてよかったです」


柚月がすぐ言う。


「決められなかったんじゃなくて、止めたんだべ」


森岡も笑う。


「そこ大事」


そして、美琴。


原町監督が見る。


「美琴」


「はい」


一瞬、緊張する。


「ハンドは反省しろ」


「はい」


「でも、そのあと落ちなかったのはよかった」


美琴が顔を上げる。


「葵さんが止めてくれたので」


伊達が答える。


「次は美琴が助けてくれればいい」


美琴は笑った。


「はい」


それがチームだった。


誰かがミスをする。


誰かが助ける。


その次は。


助けられた誰かが、別の誰かを助ける。


そして。


正木静香。


原町監督が言う。


「最後、よく決めた」


正木が笑う。


「今日は走っていい場面でした」


ロッカールームに笑いが起きた。


柚月も笑いながらうなずく。


「やっと分かったな」


二試合。


二勝。


勝ち点6。


日本はA組突破へ大きく前進した。


だが。


まだ一次リーグは終わっていない。


最後。


ガーナ。


フィジカル。


速度。


一対一。


これまでとはまた違う相手。


そして、ロサンゼルスオリンピックの戦いは、まだ序盤にすぎなかった。


次回予告


第80章「三戦目の意味」


オランダ戦、1-0。


メキシコ戦、3-1。


日本は一次リーグ二連勝で勝ち点6を獲得し、A組突破へ大きく前進した。


しかし原町監督は選手たちへ言う。


「突破したつもりでガーナ戦へ入るな」


一次リーグ最終戦。


相手はガーナ。


圧倒的な身体能力とスピードを持ち、一対一では大会屈指の強さを誇る。


一方、日本には二試合分の疲労がある。


大船柚月。


森岡美里。


早川莉奈。


藤森彩香。


主力をどこまで使うのか。


決勝トーナメントを見据えて休ませるのか。


それともA組1位通過を取りに行くのか。


そして、オリンピック初ゴールを決めた高橋結衣、終盤のカウンターを仕留めた正木静香、PKを止めた伊達葵にも新たな役割が与えられる。


原町監督はホワイトボードに一つだけ書く。


「三試合目も勝ちに行く。ただし、六試合目を忘れるな」


次回、第80章「三戦目の意味」。


金メダルを取るためには、目の前の試合を勝つだけでは足りない。勝ちながら、次に戦える身体とチームを残すこともまた、短期決戦を制する力になる。

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