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あの日の春風は今も  作者: リンダ


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世界王者の初戦

 第75章 世界王者の初戦

 1 追われる日本


 ロサンゼルスオリンピック。


 女子サッカー一次リーグA組。


 日本対オランダ。


 ついに、日本の金メダルへの戦いが始まった。


 キックオフ直後から、柚月はすぐに違和感を覚えた。


 自分が受ける。


 一人。


 前を向こうとする。


 もう一人。


 早川莉奈がボールを持つ。


 一人目が縦を切る。


 二人目がドリブルの出口へ入る。


 長崎美琴が背負う。


 すぐに挟みに来る。


 正木静香が裏へ動けば、センターバック一人だけではなく、近くの中盤まで落ちてくる。


 徹底していた。


 世界王者、日本。


 ワールドカップを制したチーム。


 オランダは、その看板に怯えているのではない。


 倒すために、真正面から研究してきていた。


 早川がボールを戻しながら言う。


「すごい来ますね」


 柚月が短く答える。


「んだ」


 そして、相手を見る。


 まだ焦らない。


 2 最初の危機


 前半六分。


 オランダが右サイドから攻める。


 日本のプレスを一枚外す。


 中央。


 そこから一気に左。


 日本の守備が横へ動く。


 オランダのFWがペナルティーエリアへ。


 低いクロス。


 ワンタッチ。


 シュート。


 伊達葵。


 右へ飛ぶ。


 両手で弾いた。


「葵!」


 藤森彩香が戻ってクリア。


 最初の大きな決定機。


 スタジアムがどよめく。


 伊達はすぐ立ち上がった。


「大丈夫! 次!」


 藤森が大きくラインを上げる。


 だが、オランダは止まらない。


 フィジカル。


 パス速度。


 ボール保持。


 前半序盤は、完全にオランダの時間だった。


 3 柚月は見る


 前半十分。


 日本がボールを奪う。


 柚月。


 すぐにオランダの二人が来る。


 柚月は前を向かない。


 宮野沙季へ。


 宮野から森岡美里。


 森岡にも寄せ。


 戻す。


 日本は押し返せない。


 それでも。


 柚月は苛立たなかった。


「慌てんな!」


 仲間へ声を出す。


「相手が何してるか見ろ!」


 早川が一度深呼吸する。


 柚月自身も見る。


 自分なら。


 相手の立場なら。


 どうする。


 日本の危険な選手を止めたい。


 大船柚月。


 早川莉奈。


 長崎美琴。


 正木静香。


 この四人に二人ずつ関与する。


 なら。


 八人すべてが完全なマンマークという意味ではなくても、必ず複数の選手がその四人へ意識を割くことになる。


 それだけ。


 別の場所が薄くなる。


 柚月の目が変わった。


「絶対どっか空いてるべ」


 4 どこが空く


 前半十三分。


 柚月がわざと低い位置へ下がる。


 オランダMFがついてくる。


 もう一人が縦のコースを切る。


 柚月はすぐ戻す。


 次。


 早川が左へ流れる。


 二人が寄る。


 そこへは出さない。


 反対。


 宮原彩乃。


 少し余裕がある。


 柚月が見る。


 次。


 美琴が中央で受ける。


 二人。


 美琴はキープ。


 その外。


 國武真央。


 空いている。


「なるほど」


 柚月が小さく言う。


 四人を怖がるあまり。


 オランダは、ボールのある場所へ人数を寄せすぎている。


 しかも。


 日本が一度逆へ振ると。


 戻りは速い。


 だが。


 さらにもう一度逆。


 その二回目。


 ほんの少し遅れる。


 5 前後左右


 前半十七分。


 柚月は森岡を見る。


 目。


 右。


 左。


 それから一度後ろ。


 森岡が理解する。


 早川にも。


 視線。


 美琴にも。


 宮野にも。


 言葉はない。


 だが。


 全員、同じ意味を受け取った。


 揺さぶれ。


 前後。


 左右。


 一回ではない。


 何度も。


 オランダに走らせる。


 ボールを奪わせない。


 マークへ来るなら。


 来てもらう。


 6 日本が変わる


 前半二十分。


 藤森彩香から柚月。


 二人来る。


 柚月は宮野へ。


 宮野から右の宮原。


 オランダが右へ。


 宮原から後ろ。


 藤森。


 左。


 國武。


 オランダが左へ。


 國武は森岡へ。


 森岡から柚月。


 中央。


 オランダが中央へ。


 柚月は早川へ。


 オランダ二人。


 早川はワンタッチ。


 美琴。


 また二人。


 美琴は失わない。


 身体を入れる。


 戻す。


 今度は逆。


 また走らせる。


 日本側ベンチ。


 岩出コーチが気づく。


「大船、揺さぶり始めました」


 原町監督がうなずく。


「相手のマークを弱点に変える気だな」


 7 二人つくなら、二人を連れていく


 前半24分。


 正木静香が右へ動く。


 二人が意識する。


 正木はさらに外。


 ボールは来ない。


 中央。


 森岡が入る。


 少し空く。


 柚月が森岡へ。


 ワンタッチ。


 早川。


 オランダが寄る。


 早川はまた戻す。


 正木が言う。


「私、ずっと連れてっていいですか」


 柚月が笑う。


「連れてけ連れてけ」


「ボール来なくても?」


「来ねぇ方が効くときもあるっちゃ」


 正木がさらに走る。


 相手もついていく。


 日本は、その背後を使う。


 8 オランダも修正する


 もちろん。


 オランダも気づく。


 日本がボールを失わなくなった。


 追えば追うほど。


 走らされる。


 オランダの監督が指示する。


「全部追うな!」


 マークの受け渡し。


 ゾーンへ戻る。


 だが。


 その切り替え。


 完全には揃わない。


 前半28分。


 柚月がそこを見る。


「今度は受け渡しがズレるぞ」


 宮野がうなずく。


 二人でつく。


 追わない。


 受け渡す。


 オランダが守り方を変えた。


 なら。


 日本もまた変える。


 9 危険な時間


 前半31分。


 オランダ。


 左。


 日本がボールを奪いきれない。


 中央へ。


 ミドルシュート。


 藤森がブロック。


 こぼれ球。


 オランダ。


 もう一度。


 伊達葵がキャッチ。


 日本はまだ押し込まれる時間もある。


 早川が息を吐く。


「簡単じゃないですね」


 柚月が答える。


「オリンピックだぞ」


「それ、何回目?」


「便利だからな」


 早川が少し笑った。


 緊張がわずかに抜ける。


 10 高橋結衣


 この試合。


 前線には高橋結衣も入っていた。


 本大会直前。


 18人へ滑り込んだ若手。


 初めてのオリンピック。


 最初は明らかに緊張していた。


 ボールが来れば、少し急ぐ。


 でも。


 試合が進むにつれて、落ち着き始める。


 柚月が言う。


「結衣!」


「はい!」


「全部もらおうとすんな!」


「はい!」


「走るだけでもいい!」


 高橋はうなずく。


 それならできる。


 相手を引っ張る。


 囮。


 そこから。


 別の選手が使う。


 11 35分を過ぎて


 前半35分。


 0-0。


 オランダのプレス速度が、ほんの少し落ち始める。


 日本はずっと揺さぶっている。


 右。


 左。


 前。


 後ろ。


 オランダは走る。


 止まる。


 また走る。


 早川が柚月へ言う。


「ちょっと遅くなってません?」


「んだ」


「狙います?」


「まだ」


 柚月は慎重だった。


 一回遅れた。


 それだけでは判断しない。


 もう一度。


 12 38分


 日本。


 美琴。


 二人来る。


 美琴が保持。


 宮野へ。


 宮野から左。


 國武。


 オランダが動く。


 國武から森岡。


 中央。


 早川。


 また右。


 宮原。


 オランダが戻る。


 遅い。


 今度は明確だった。


 柚月が目を細める。


「来たな」


 森岡と目が合う。


 早川。


 美琴。


 全員。


 分かる。


 終盤。


 ここ。


 13 オランダは攻め込む


 前半43分。


 それでも先に攻め込んだのはオランダだった。


 右サイド。


 縦突破。


 クロス。


 藤森彩香がヘディング。


 完全にはクリアできない。


 セカンド。


 オランダMF。


 森岡美里が寄せる。


 相手は横へ。


 さらに中央。


 日本陣内。


 オランダが人数をかける。


 ここで先制したい。


 前半終了間際。


 だから。


 サイドバックも上がる。


 中盤も。


 日本は耐える。


 そして。


 パス。


 中央。


 森岡美里。


 読んだ。


 14 パスカット


 森岡が一歩前へ出る。


 ボールを奪う。


「取った!」


 その瞬間。


 日本のスイッチが入る。


 オランダは攻撃へ人数をかけている。


 戻る。


 だが。


 前半ずっと走らされてきた脚。


 一瞬。


 遅れる。


 森岡から早川莉奈。


「莉奈!」


 早川が前を向く。


 一人目が来る。


 早川は無理にドリブルしない。


 長崎美琴へ。


 美琴。


 背後から一人。


 身体を入れる。


 奪わせない。


 右。


 柚月が走る。


 15 柚月、右サイドへ


 美琴から柚月。


 右サイド。


 柚月が受ける。


 オランダDFが寄る。


 柚月は縦へ運ぶ。


 高橋結衣。


 中央。


 全力でペナルティーエリアへ走る。


 オランダDFが高橋を見る。


 一人。


 さらに。


 もう一人。


 高橋のスピードと位置を警戒して、中央へ寄る。


 柚月は見ている。


 結衣。


 でも。


 出さない。


 高橋が走る。


 囮。


 その後ろ。


 誰かが来る。


 16 藤森彩香


 ペナルティーエリア。


 後方から。


 藤森彩香。


 センターバック。


 自陣でオランダの攻撃を止めた直後。


 そのまま。


 走っていた。


 森岡がパスを奪った瞬間。


 藤森は日本のカウンターを見た。


 行ける。


 そう判断した。


 最終ラインから。


 中央。


 前へ。


 誰にも完全には捕まっていない。


 高橋がDFを連れている。


 正木も別のDFを動かす。


 その間。


 藤森。


 柚月の目に入る。


 17 折り返し


 柚月が右から低いボールを入れる。


 高橋へ行くように見える。


 高橋が一歩前へ。


 DFがついていく。


 だが。


 高橋は触らない。


 ボールは、その後ろ。


 藤森彩香。


 ペナルティーエリア内。


 右足。


 ボールが少し浮く。


 藤森は止めない。


 そのまま。


 振り抜く。


 18 ゴール左上隅


 強烈なシュート。


 オランダGKが飛ぶ。


 左。


 手を伸ばす。


 だが。


 届かない。


 ボールは。


 ゴール左上隅。


 クロスバーのすぐ下。


 ネット。


 1-0。


 日本。


 先制。


 前半45分。


 藤森彩香。


 センターバック。


 世界王者として迎えたオリンピック初戦。


 日本の最初のゴールは。


 DFの藤森だった。


 19 藤森、また走っていた


 藤森はゴールを確認した瞬間。


 両拳を握る。


「よっしゃあ!」


 高橋結衣が振り返る。


「彩香さん!」


 早川。


 美琴。


 森岡。


 柚月。


 全員が走ってくる。


 柚月が藤森の肩を抱く。


「なんでそこにいるんだっちゃ!」


 藤森が笑う。


「行けると思ったから!」


 森岡が吹き出す。


「DFでしょ!」


「知ってる!」


 高橋も笑う。


「私、完全に囮でした!」


 柚月が言う。


「最高だったっちゃ!」


 20 一本のカウンターではない


 原町監督。


 大きく拳を握る。


 岩出コーチが言う。


「カウンター、一発ですね」


 原町監督は首を振った。


「違う」


 前半。


 何度も。


 前後。


 左右。


 日本がオランダを揺さぶった。


 マークを二枚つけさせた。


 追わせた。


 受け渡させた。


 また追わせた。


 走らせた。


 そして。


 45分。


 ほんの一瞬。


 戻りが遅れた。


「四十五分で作ったカウンターだ」


 原町監督が言った。


 21 アディショナルタイム


 オランダはすぐに攻める。


 失点直後。


 前へ。


 日本は慌てない。


 柚月が叫ぶ。


「切り替え!」


 藤森もすぐ戻る。


「戻るよ!」


 つい数秒前までゴール前にいたセンターバック。


 今度は自陣へ。


 オランダ。


 クロス。


 伊達葵。


 キャッチ。


 時間。


 主審が時計を見る。


 22 前半終了


 笛。


 日本1-0オランダ。


 前半終了。


 日本は苦しんだ。


 押し込まれた。


 伊達が救った。


 藤森が身体を張った。


 柚月。


 早川。


 美琴。


 正木。


 徹底的に警戒された。


 それでも。


 警戒されるということは。


 別の誰かが空くということ。


 日本は、その答えを見つけた。


 23 ロッカールーム


 選手たちが戻る。


 藤森はまだ少し息が荒い。


 伊達が笑う。


「センターバックなのに、どこまで行ってんの」


 藤森が答える。


「葵が後ろ守ってくれるから」


「責任重大すぎる」


 少し笑い。


 原町監督が前へ。


「いい前半だ」


 静かになる。


「ただし、オランダは必ず修正する」


 一人へ二枚。


 それを減らすかもしれない。


 中央を締めるかもしれない。


 さらに前から来るかもしれない。


「後半は、またゼロから見る」


 柚月がうなずく。


「はい」


 24 高橋結衣


 原町監督が高橋を見る。


「結衣」


「はい」


「得点には触ってない」


「はい」


「でも、お前が中央へ走ったからDFが二人動いた」


 高橋が少し驚く。


「はい」


「十分仕事してる」


 高橋は強くうなずく。


「はい!」


 初めてのオリンピック。


 初戦。


 得点しなくても。


 アシストしなくても。


 チームの一点へつながる仕事はある。


 それを、高橋はこの45分で知った。


 25 雪辱への最初の一歩


 柚月は水を飲む。


 1-0。


 まだ半分。


 でも。


 パリとは違う。


 四年前の悔しさ。


 金メダル。


 まだ考えない。


 見るのは。


 後半。


 最初の五分。


 それだけ。


 森岡が柚月へ言う。


「世界王者の初戦、簡単じゃないね」


 柚月が笑う。


「簡単だったらつまんねぇべ」


「言うと思った」


 そして。


 二人は立ち上がる。


 次回予告

 第76章「王者への修正」


 1-0。


 日本リード。


 しかしオランダは、前半の失点から日本の狙いを理解する。


 大船柚月。


 早川莉奈。


 長崎美琴。


 正木静香。


 四人へ二枚をつけ続ければ、ほかの選手にスペースを与える。


 後半。


 オランダは複数マークを減らし、ゾーン守備へ変更。


 中盤の距離を狭める。


 さらに高い位置から日本へ圧力をかける。


 日本が前半に見つけた答えは、もうそのままでは使えない。


 柚月は言う。


「やっぱ変えてきたな」


 早川が聞く。


「次はどうします?」


「また見るっちゃ」


 一方。


 一点を追うオランダは攻撃の人数を増やす。


 後半序盤。


 日本ゴールへ立て続けに決定機。


 伊達葵が再び立ちはだかる。


 そして原町監督は、試合中盤。


 ベンチを見る。


 宮野沙季。


 相沢紗英。


 井上梓。


 まだ日本には、使っていない18人の武器がある。


 次回、

 第76章「王者への修正」


 世界王者だから、正解を知っているわけではない。


 相手より一回多く、正解を見つけ直せるか。


 その力が、追われる王者には求められる。

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