第十八話 平成村マヨネーズ事件・後編
「黄瓜と大根、切ってきたよ!」
器には、細長く切られた黄瓜と大根が、黄金のマヨネーズのディップを今かと待ち構えるように並べられていた。
また拍手が起こる。
黄瓜とは、戦国時代の胡瓜である。現在は黄色くなるまで完熟させる前に食べるが、この時代は実が黄色くなってから収穫していた。
男の一人が黄瓜を摘んで食べてみる。
「うわ……苦っ!」
「うーん、キュウリが欲しかったけど、大根の方がいいかな?」
一人が大根を食べてみる。
「……なんか違う。なんていうか、甘くなくて、ちょっとエグいかな」
現代人が食べている野菜は、長い時間をかけて品種改良されたものだ。
もちろん戦国時代であっても、良いものを選定しながら増やしていくということは行われてきている。
しかし二十世紀初頭にメンデルの遺伝法則が再発見されてからは、そのスピードは格段に跳ね上がった。百年前の野菜と今の野菜は相当な違いがある。
ましてや戦国時代、現代人が普段スーパーで買っている胡瓜や大根とは、やはり違うようではあるが──
「しかしマヨネーズがある!」
マヨネーズがあればどうでもいいのである。
女の一人が黄瓜を持ち上げ、マヨネーズを可憐な手付きでディップした。見事なディップだと歓声があがる。
あまりみずみずしくない黄瓜の先に、色の濃いマヨネーズが輝いている。
恐る恐る口にする。指が震えている。他の四人は固唾を飲んで見守っている。
パク。モグモグ。ごくん。
「……うん! いける! 少し黄瓜の苦味があるけど、大丈夫。マヨネーズがコーティングして、その苦味すら美味しい」
実にあやしい食レポだが、本人がそういうのなら、それでいい。
他の四人も黄瓜と大根に手を伸ばし、マヨネーズをディップして口に入れる。
「うわ! これ、ちゃんとマヨネーズだ!」
「尊い! 尊いよ! 尊い味がする!」
「大根のちょっとしたエグみすら、マヨネーズに浸すと神々しい!」
「いつかみんなでメノルカ島に聖地巡礼に行こう!」
鶏卵二つ分のマヨネーズは、あっという間に無くなった。
五人は桃源郷にでもいるような至福の表情で、マヨネーズの余韻に浸っていた。
その夜──
平成村マヨネーズ五人衆が、厠に駆け込んでいた。一人はマーライオンのように美しく嘔吐物を吐き出していた。
「お腹痛い……」
とはいえそこは平成村。経口補水の知識くらいはある。
「ちょ、誰かポカリ買ってこい」
そんな冗談を言う奴もいたが、そこは転生・タイムスリップ仲間。
白湯を沸かし梅干しを取りに走り、倒れた五人の介護に大わらわとなった。
翌日、安土城でその騒動の顛末を聞いた信長は、腹を抱えて大笑いしていた。
「野菜を生で食べたの? ぬははは!」
なにせ下肥を撒いた畑である。加熱しなければ、寄生虫も大腸菌も元気いっぱい貼り付いている。
「ほんで、この時代の卵でマヨネーズ作っちゃったのか。未来の卵が安全なのって、殻を消毒して、ヒビがないかの検査して、低温で運んだりとかが出来るからでしょ?」
現代の卵は、鶏舎そのものの衛生管理から始まり、次亜塩素酸ナトリウムで殻を洗浄殺菌し、検卵器を通して、コールドチェーンで低温輸送されて店頭に並んでいる。
卵を生で食べられるのは、現代の技術や社会インフラが基盤にあってこそ。TKGは実はかなり贅沢な現代食なのだ。
平成村の飼育環境の中で産み落とされ、糞にまみれて常温放置された卵を、井戸水で洗っただけでは。
蘭丸が半笑いで頷く。
「サルモネラ菌は酢で死滅すると考えていたらしいです」
「確かに酢は殺菌力高いもんね……でも、この時代の酢じゃどうかな」
現代のマヨネーズに使われる酢は、酸度四・五〜五%以上とされている。
しかし戦国時代に一般的に使われていた酢は、酸度は三~四%弱だったと考えられている。
サルモネラ菌はpHを4.0以下の強酸度にしないと簡単には死なない。
平成村五人衆のマヨネーズが、そこまで落ちていた保証はない。
尚、十世紀の書「延喜式」に書かれている製法を復元した実験では、酢酸濃度七%を超えた例があり、昔の酢だから酸度が足りないと断言することはできない。
どちらにしても酸度計のない十六世紀。余程化学に精通していればともかく、少なくともこの五人に酸度を知る術はない。
更にいえば、現代のマヨネーズは「酢でサルモネラ菌対策はバッチリ!」という考え方では作られていない。卵の黄身を61度で3分半加熱殺菌するといった低温殺菌により、菌の不活化をしている。
そして最大の問題は、出来上がってすぐに食べていることだ。
いくら酢に殺菌作用があるとはいえ、混ぜた瞬間にサルモネラ菌が「ぐえー死んだンゴ」と全滅してくれるわけではない。
酢酸などの作用で菌をじわじわ死滅させるには時間が必要である。現代の市販マヨネーズでも、病原菌を試験的に添加した場合、死滅まで最大二十四時間ほどを見ている。
「寄生虫の卵と大腸菌がビッシリついた生野菜に、サルモネラ菌培養ペーストをディップして食ったって事ね」
信長は笑いすぎて出てきた涙を手の甲で拭った。
幸いにも、死人が出なかったからいいものの。
「二度とやるなって言っておいて」
「いやそれが……」
なんだよ?
『それでも我々はマヨネーズを諦めません。きっと安全なマヨネーズを作って見せます!』
「だ、そうです。五人とも言ってました」
「なはは、心意気はあっぱれだね」
信長はその五人衆に「平成マヨネーズ」というユニット名を与え、次やるときは医療班を横に置いてやるようにと申し付けた。
戦国の世にマヨネーズ。
それを作る材料も技術も足りていても、それを安全に食べられるかどうかは、別の話のようである。




