第十七話 平成村マヨネーズ事件・前編
安土城下の片隅に、『平成村』と呼ばれる一角がある。
厳密な区分はないが、平成あたりからタイムスリップしてきた未来人が多く住み着いている地区である。
共同炊事場で、三人の男と二人の女が集まり、なにやら画策していた。
見たところリーダーと思しき男が言った。
「この戦国の食糧事情は実に酷い」
四人が頷く。
「全く困ったものよね」
「いかんともしがたいな」
戦国の食糧事情は、二十一世紀からすると貧弱なものだったようだ。
日本では七世紀の天武天皇以来「肉食禁止令」がある。この法律自体は形骸化していたが、仏教の殺生禁断の教えから、肉食をタブー視する風潮は根強かった。
しかし織田信長は「仏がワシの言うこと聞きやがれ」という魔王属性の持ち主だったので、この肉食タブーを全く気にしなかった。
そのため信長の統治下では食肉には寛容であったとされ、それについてはブロイラー並び豚コマきらめくスーパーが当たり前の平成・令和の未来人にも救いとなっていたのだが──
「マヨネーズがない!」
そういうことではなく、五人はどうやらマヨラーのようであった。
マヨネーズ──スペインの東にあるバレアレス海にある島々、その中のメノルカ島で使われていたソースである。いつ頃から作られていたのかは、はっきりとは分からない。
十八世紀半ば、当時イギリス領であったこの島にフランス軍が攻め込み、その時に発見された。
メノルカ島のマオンという街で使われていたため、「マオンのソース」としてパリに持ち込まれた。これがマヨネーズの語源とされる。
「鶏卵と、植物油と、酢、塩があれば戦国時代でもマヨネーズは作れる!」
さてこの材料である。
まず鶏卵。
現代の白色レグホンは「卵を温める本能」を取っ払われたりとかして、ひたすら卵を産みやがれと魔改造されたものである。そういうわけで、ほとんど毎日卵を産むというチートな品種となっているのだが、戦国時代の鶏はこれではない。
そもそも鶏卵は、戦国の市場で日常的に買える食材ではない。この頃は、鶏卵を食べるという発想がほとんどない。鶏そのものも一般的な食材とは見做されていなかった。
さてポルトガルから宣教師のルイス・フロイスなどが遊びに来ていた相手が織田信長。
「やっほー信長っち、このカステラ食べてどうぞ」
「なにこれ美っ味っ! どうやって作るの? え? 卵?」
こうして織田信長ら上流の人々に「卵、超美味い」ということがバレてしまう。
それから鶏卵そのものを食べるということが徐々に広がっていくのだが、この頃はまだ上流階級の人々の嗜好品といった位置付けで、1パック300円やそこらで買えるようなものではなく、非常に高価なものであった。
「なので、平成村で飼っている鶏から奪い取りました!」
一人の女性が卵を二つ懐から出した。
歓声が上がる。拍手が起きる。
さて植物油。
これも当時は高級品。値段で言えば、米の十倍ほどもする。
一人の男が菜種油の入った小瓶を取り出す。これだけで二十文したらしい。
「二十文っていくらくらい?」
「五千円くらいかな」
マヨネーズを作る油に五千円と考えると、尻込みしてしまうところだが、選ばれし戦国のエリート・マヨラーの五人にとって、マヨネーズに勝るものはない。
「この世はマヨネーズで出来ている!」
「マヨネーズで出来ている!」
標語の意味は分からないが、その熱意はなんとなく伝わる。
さて酢である。
実はこれも高級品なのだ。
戦国時代にも酢は普通に存在する。しかし主流は米酢。米から酒を造り、さらに発酵させて酢にする。現代のスーパーで一本百円台で投げ売りされている穀物酢とは、少々事情が違う。
「これ、分けてもらってきました!」
小さな徳利が掲げられた。割れんばかりの拍手と歓声。
これほど盛大な拍手歓声に迎えられ、酢が登場することも珍しい。
それほど多くは要らないが、ないと絶対にマヨネーズは作れない。ほんの少しでいいからと土下座して、スマホで写真を撮ったりという接待をして、どうにか大匙三杯分ほどの酢を分けてもらった。
最後に塩である。大方の予想通り、これも戦国時代では高級品と言えるだろう。
残念ながらこの時代、エレキテルすら遥か未来である。イオン交換膜などあるはずもなく、海水中のナトリウムイオンと塩化物イオンを電気で集めるような真似は誰もしていない。
塩の値段は地域差が激しいのだが、近江国は比較的、塩の価格が安定している地域である。平成村にも備蓄はあり、それを一つまみ拝借してくる。
女の一人は、大根と黄瓜を持ち込み、丁寧に洗ったあと、井戸水に浸けて冷やしている。
「皆のもの! 時は来た! マヨネーズ!」
「マヨネーズ!」
「マヨネーズ!」
鬨の声が上がる。器に二つの卵黄が落とされる。健康そうに盛り上がったその黄身に、また拍手が起こる。
久しぶりに見る卵黄は、五人の目には太陽のように見えた。
そこに酢を垂らし、塩を入れる。
「分量は?」
「酢が大さじ1で、塩が小さじ1/2」
「……」
目分量である。まあ致し方ない。
さて撹拌だ。
「じゃーん! 戦国ホイッパー!」
男の一人が竹の先を細く割いたものを取り出す。また拍手が起こる。マヨネーズに関わるものなら何でも大喜びだ。実に安い拍手である。
さてここからだ。全員は顔を見合わせて頷いた。腱鞘炎必至の乳化バトルが始まる。
「腱鞘炎! 腱鞘炎!」
四人の腱鞘炎という掛け声に背中を押され、ガシャガシャと黄身を引っ掻き回す。
「少しずつ油を垂らすんだっけ?」
「確かそう。キューピーのサイトで読んだ!」
「油を垂らすタイミングは?」
「なんかいい感じになったらよ!」
「よし、いい感じにしろ!」
「腱鞘炎! 腱鞘炎!」
一人が脱落し、次の者に交代する。
「乳化しろって祈りながら撹拌して!」
「うおおおおおお、乳化! 乳化!」
「そーれ腱鞘炎! 腱鞘炎!」
竹の先端にマヨネーズになりかけのものが絡みつきはじめる。
「これ、出来てきてるんじゃない?」
そーれそーれそーれそーれ。
そうしてどうやらマヨネーズっぽいものが完成し、二人目の撹拌者が荒い息遣いで、寝転んだ。
「俺達が知ってるマヨネーズより、かなり黄色いけど……」
「問題は味よね」
女の一人が小指につけて、そっと舐めてみる。
「!!!!!!!!」
思わず、目から涙が浮かんだ。
ありがとう、リシュリュー公爵。あなたが百七十年後、マオンで出会うその味に、わたしたちは辿り着きました。
「マ、マヨネーズだこれ……! ちゃんとマヨネーズになってる!」
そうしてその器を高く掲げた。他の四人が平伏した。




