第九話 戦国の衛生環境を改善したい
「殿、次は『戦国の衛生環境を劇的に改善するチートアイテムを作りました!』って鼻息荒くしてる高校生です」
秀吉が木箱を持ってきた。
中には、白茶けた、蝋とも膏ともつかない塊が入っている。
「はいはい、シャボンね。令和だと石鹸って呼んでるやつね」
「さようで」
「石鹸は南蛮からもう来てるけどね。おいそれと使えないほどの高級品だけど。で、これの原料は?」
「木灰から取った灰汁に、植物油を混ぜて煮たそうです」
「うん。それで作れるね。で、その油はどこから持ってくるの?」
秀吉が腕を組んで頷いた。
確かに、油脂と灰汁があればシャボンになる。
そこまではいい。
問題は大量に作ろうとした時だ。
「油一升って米一升の十倍の価格なんだよね。
荏胡麻を育てて、採って、搾って、ようやく油になるの。灯明にも使うの。夜を明るくする貴重品なの。それを何百人分の手洗い用に回すって言うなら、先に油をどうやって増産するか、そういうことから必要になる」
「全く使えないってことですかね?」
「いや、そうは言ってない。細菌の話は耳にタコができるほど聞いた。昭和部屋、平成部屋、令和部屋のクロスサンプリングで確認したから、彼らの公衆衛生の常識については、真実相当性はあるんじゃないかと判断できるわけよ。
でも民衆に行き渡らせるってのは無理がある。ローコストで大量生産できるものじゃないからね。
だからシャボン用途に増産させた油を織田家が買い付けるという方法かな。
その油でいくつかの石鹸を作る」
「それを南蛮に輸出するんですか?」
「いや、炊事場と医者と産婆。それから厠を扱う連中。そういうところから回すのよ。そういう考えならシャボンに予算を付けられるかも知れんね」
「はー、なるほど」
「で、そういう予算を付けられる計画ができたら持ってきてねって、そういっといて」
秀吉が木箱の石鹸を一個持ち上げた。
「じゃあこれは?」
「せっかく作ったんだから使うよ。俺の部屋に置いといて」
「上様が使うんですか」
「だって高級品でしょ?」
当たり前じゃん。
「で、もう一個。『全軍に手洗いとうがいを義務化すれば感染症が激減します』と」
「あー。それは半分正しい」
「半分?」
「手洗いはやらせていい。そこは正しいよ。問題は『手を洗え』って言ったところで仕事した気になることなの」
俺は机の上の湯呑みを指した。
「水なら毎日上げてるよ。俺が飯食ったり茶飲んだりするんだから当たり前でしょ」
しかし蛇口を捻れば綺麗な水が出てきたりはしない。
安土城は本丸直下に井戸があるが、これを25m上の天守で使うために小姓がえっほえっほと運んでいる。
階段といっても、ほとんど梯かってくらいの角度。それを水の入った桶を抱えて登る。
水源はどこにでもあるわけじゃない。手洗いやうがいが病気の予防になるとして、軍の何百人あるいは何千人に義務付けるということの実装可能性をどう考えるか。
「水はどこに置くの。誰が汲むの。何で流すの。何人ごとに洗い場を置くの。なくなったら誰が補充するの。排水はどこへ流すの。冬でもやらせるの。出陣先では?」
「面倒ですね」
「面倒なのよ。運用ってそういうもんなの」
みんなで同じ盥に手を突っ込んで洗えばいいってんなら別だけど、それだと意味がないってんだもんね。
だから柄杓で汲んで、それを手にかけて洗う。しかし手に一回かけただけで、水を流して捨ててしまうということを何百人単位でやろうってのは、はてさて現実的にどうするか。
「だから欲しいのは『手を洗いましょう』っていう標語じゃないの。洗い場を何か所作って、一日に水がどれだけ要って、誰が補充して、シャボンなり灰汁なりをどう供給するか」
俺は秀吉に手を振った。
「その子、水汲み場に回しといて」
「研修ですか?」
「そういうこと。三日くらい水運んだら、今度は洗い場を一か所自分で設計させて。人足何人使うかも書かせてね」
「了解です」
「たぶん終わる頃には分かるよ」
「何がです?」
俺はシャボンの匂いを嗅いだ。
「水道局って神だったんだなって」




