705. 極到
唐突な開戦、交錯。
この事態を止めるべく駆けつけたはずのベルグレッテとシスティアナも、エーランドも、にわかに息をのんで言葉を失った。
そんな、全てを寸断する拳の冴え。そして鋭く展開される雷壁。
至上の攻撃と防御。
それを目の当たりにした今この場にいる者、全ての脳裏に本能的によぎったであろう思い。
『より強いのは、どちらなのか?』
そんな一瞬の虚を突くかのように――その答えをこれから明示するかのように、またも流護が大地を蹴った。
(む)
これが速い。もはや流護とは数え切れないほど手合わせをしてきたダイゴス・アケローンだが、やはり実戦と訓練は異なる。
踏み込み、即一撃。あまりの速度から接近と攻撃が一体化した動作は、今やそれだけで大半の猛者を地へ這わせることが可能だろう。
自分ならどうしていたか――それを夢想する間もなく、霞む閃光めいた拳。飛びずさって躱すレヴィン。
(あれを避けるか)
さすがは『白夜の騎士』、あの桁外れの速さに反応している。
有海流護の『速度』は、もはや人類に知覚すら許さない領域へ突入している。
しかし、レヴィンは前もって情報を得ているのだ。いつぞやの『封魔』戦を経て、流護の動きをある程度認識できている。
(……じゃが……)
ダイゴスはその場に居合わせなかったゆえ、それは推測になるが。
(恐らく、アリウミは……)
答えが明確となるより先に、下がったレヴィンが態勢を整えた。右手を高々と掲げ、厳かに告げる。
「偉大なる雷神の加護をここに。――我が手に来たれ、雷霞蒼刃」
大気が、裂けた。
そう形容するに相応しい。
『白夜の騎士』右手へ、小さな落雷とともにそれが顕現していた。
わずか湾曲した、一本の剣の形に収束した蒼雷。
槍の柄より細く、長剣より短い。一見すれば頼りなくすら映るそれはしかし、無駄を極限まで削ぎ落した形の行き着く先でもあった。
威圧的な外観など必要としない。見る者の目を奪う絢爛ぶりも不要。
至高の騎士が研鑽の果てに手にした、戦闘のための刀剣。
「――――参る!」
今度は、レヴィンが動いた。
これが迅い。
霞んで残像を伴うほどの一足飛び。ダイゴスの注視をもってしても知覚が遅れる肉薄は、現象こそ酷似するものの流護のそれとは対極に位置する。単純な身体能力ではなく、神詠術の――雷属性の技術を極めに極めた末にたどり着ける最奥。
その踏み込み、その一閃。
流護の速度が人の認知を凌駕するのであれば、まさにレヴィンのそれも同様だったであろう。
だが、
「――――」
空を切った。
刹那の接近から放たれた蒼電の一刺は、流護の身に触れることなく虚空を突くに留まる。紙一重、神業に等しい回避。
(――、見えておる)
前兆が、攻撃の軌道が、線として認識できているがゆえの間一髪。『白夜の騎士』が相手であっても。
そして交錯法が、炸裂した。
反撃として放たれた流護の掬い上げる右拳が、レヴィンの胴体を真正面から打ち抜いた。
「――……がっ、は!」
紫電が散る。『白夜の騎士』の細身が、自発的にではなく暴威によって吹き飛んだ。後退の勢いで空中に浮いた身体が横回転し、着地の衝撃で大地を転がる。粉塵を巻き上げ、二転三転と。
「………………え?」
観戦する誰かの漏らした声。
そんな困惑が漏れるのも無理はない。レヴィンの一閃は、間違いなく至上の攻め手であった。
それを、あまりにもあっさりと。
「……く!」
レヴィンは転がった反動を利用し、即座に立ち上がる。さすがというべきか、拳を受ける瞬間に防御壁を展開し威力を削いでいた。加えて、鎧越し。それでもなおこの威力。驚愕に染まった彼の端正な顔がそれを示している。
一方の流護は急いて間を詰める――ことなく、ゆっくりと歩み近づいていく。これを機に攻め立てるどころか、相手の体勢が整うのを待つかのごとく。
「ふ!」
そんな悠長とも思える相手に対し。蒼雷の剣を水平に構えたレヴィンが、またも閃光さながらの速度で接近。
そして今度は、一撃ではない。連続した突きの掃射。蒼く輝くそれは、夜空を埋め尽くす流星か。
恐るべきは、これがわずか一呼吸の間に行われたこと。
が。
有海流護もまた――わずか一呼吸の間に、この全てを腕甲にて弾き逸らした。
「冗談、だろ……」
呆然としたエーランドが呟いた直後、攻守が翻る。
とめどない流星群の中からひとつ、流護は選び抜いた刺突を一際強く捌いた。それにより、レヴィンの身体がかすかに傾ぐ。
そして反撃の右、横に弧を描く鈎突き。流護が『フック』と呼称する拳打。
ここで凄まじきはレヴィン・レイフィールド。自らの攻めをいなされ、姿勢を崩された瞬間に飛んできた反撃。これを大きくのけぞることで空転させる。
が、一撃で終わりではなかった。
流護は左足で踏み込むと同時に左の直拳。これがかすかにレヴィンの側頭部をかすめる。そして左の鈎突きと胴を狙った右の掬い上げ。それがあまりに速く、もはや着弾は同時。
左はどうにか雷壁で弾くレヴィンだったが、右が直撃。彼の纏う銀鎧が棍棒でも叩きつけられたかのような重い残響を轟かせる。
そうして青年騎士の身体がくの字に曲がった刹那、大きく踏み込んだ遊撃兵の右拳が残影を伴って霞む。
それをも雷壁展開で受けた『白夜の騎士』だったが、直に殴られたのと変わらぬ勢いで後方へ吹き飛んだ。そして先ほどの再現そのまま、地面を二転三転し土埃を舞わせる。
かすかな砂塵が晴れると――、そこには大地にうつ伏せとなった英雄の姿が現れた。
「う、そ……。レヴィン様……レヴィン様!」
唇をわななかせたシスティアナが、信じられないとばかり悲痛な声を零し。
「…………レヴィン様が……、圧倒、される……だって……?」
忠臣たるエーランドは、悪夢でも見ているかのごとくかぶりを振る。
「……、ヘッ」
エドヴィンは強かに口角を吊り上げるが、若干こわばっていた。常々流護の勝利を信じて疑わない悪友であるが、『まさかここまで』とは思わなかったのだろう。あの『白夜の騎士』を相手取って。
傍らで、ダイゴスは薄々感じていた予感を確信へと変えていた。
(……やはり……今やアリウミは、『凶禍の者』すら寄せ付けん――)
人の領域を超越した膂力。『この世界』のそれより洗練された格闘技術。そして開眼した、攻撃軌道を察知する感覚。
これらが完全に融合したならば、もはや『拳撃』は手のつけられない存在となる。
近頃の訓練で感じていたそれが、いよいよ現実味を帯びつつあった。
流護はまたも追撃に移らず。ゆったりとした足取りで、倒れ伏すレヴィンへと向かっていく。
それは、ある種の余裕ですらあった。
しかし間違っても、油断ではない。
相手は『ペンタ』。いかなる攻撃手段を持っているか分からない。ゆえに、迂闊には攻めず反撃に重きを置く。まずは飛んできた攻撃を確実に捌き切り、それから攻撃に転ずる。
堅実な戦法ではある。
だが、決して簡単なことではない……どころか、あまりにも理に適っていない。
戦闘の鉄則は、相手の強みを出させずに封じること。敵の力を零に抑え、自分は百を発揮すること。いかにそこへ近づけるか。
『暗殺者』ダイゴスとしても、それは大前提となる。標的に気取られ、牙を剥かれているようでは仕事にならない。
攻撃など、わざわざ誰も受けたくはない。ゆえにそれをさせず、敵を打ち倒す。
それは全ての戦闘者が目指す境地であり、理想のはずだ。
しかし今、流護は逆を実行している。
先に攻撃させ、確実に凌ぎ、反撃にて追い詰める。
あの天轟闘宴にて、悪名高い魔闘術士の首領――ジ・ファールと交戦した際に、似たような戦法を取ったとは聞いている。
あえて相手に全力を出させ、それを受け切って上回る。
だが、今は対峙する相手の格が違う。
誰もが畏怖する特別な存在である『ペンタ』、それも生ける伝説と名高いレヴィン・レイフィールドを相手に。
敵の強みを抑え、自らの能力を十全に発揮する。
そんな戦法を得意としていた少年は今、まるで対照的な立ち回りをもって、大陸最高と名高い騎士を圧倒していた。
「…………う、く……」
レヴィンが両手で大地を押しのけるようにし、どうにか身を起こす。
下向く表情は窺い知れない。上体を支えるその腕は震えていた。土くれの上に、鮮血の雫が滴り落ちる。
誰が想像しただろうか。かの名高い英雄の、このような姿を。地に伏し、土にまみれているという窮状を。
バルクフォルトとしては、絶対にあってはならぬはずの姿。
「…………あの、時の……」
かすれた声は、瞠目しつつ戦局を見守るベルグレッテのものだった。
「あの時の、学院長の予想は……」
それは独り言だったのだろう、しかしダイゴスも思い当たった。
このバルクフォルト帝国を訪れた最初の夜、闘技場の余興にて相見えた流護とレヴィン。
ベルグレッテであってもどちらが上回るか予測などできない事態だったが、ナスタディオ学院長は意味深に微笑んで告げたという。
『そうね~。リューゴくんのこれまでの実績とレヴィン殿の活躍ぶりを比較して考えたなら、かなり拮抗するんじゃないか……なんて思っちゃうけど。でもアレよね~。アタシの知る限りであれば、』
『――実はかなり差があると思うわよ。この二人』
果たしてあの底知れぬ『凶禍の者』は、『これ』を予見していたのか。
「……、…………!」
大地に手をついて起き上がろうとしていたレヴィンの身体が、支えを失ったように沈みかける。
それでも再度地を這ってしまわぬよう、すんでのところで持ち堪える。
(効いておる。最早……)
夢の対決。
有海流護と、レヴィン・レイフィールド。
観客を呼び込んで券を売れば、間違いなく莫大な利益を見込める催しとなるだろう世紀の一戦。
流護なら、勝ちもあり得る。期待を込めてそう推測する者も決して少なくはなかろう。
だが。
こうまで圧倒するなど、誰が思ったか。
未だ起き上がれぬレヴィンから数マイレの距離を隔てた位置で、流護はピタリと足を止めた。追撃はしない。
この期に及んでの、徹底した後の先。
レヴィンが持ち直すのを待っている。動くのを待っている。攻撃を仕掛けてくるのを待っている――。
「……ふ」
ダイゴスの目から見ても、レヴィン・レイフィールドは改めて噂に違わぬ至高であった。
迅雷がごとき踏み込みからの、蒼電閃く刺突。
奇を衒うことのない、誰が見ても分かりやすい騎士流の剣術。ゆえに、極まった速度と精度が際立つ。剣術とは、これほどの域に達するものかと感銘を受ける。
(それを……こうも完封するか、アリウミよ――)
ダイゴスは全身の肌がぶわりと粟立つのを自覚した。
「…………、ふっ、……く」
ここでようやくレヴィンが持ち直す。
どうにか直立するも、足取りがおぼつかない。その青い瞳は揺れていた。鼻から鮮血を零し、小刻みな呼吸を繰り返している。
「は、はは」
乾いた笑い声は、ダイゴスのすぐ近くからだった。
どうにか立ち上がった『親友』の姿を見やったリウチが、ただ小さく呟いた。
「はは……もう、いいだろ……レヴィン……」
聞こえた訳はないはず。しかしそれに反するがごとく大きな息を吐いたレヴィンが、瞬く間に閃光の刃を具現化する。先ほどまでの蒼い細剣ではない。
最初の夜。闘技場にてヒュージコングを薙ぎ払った、全長十マイレにも及ばんとする稲妻そのもの。詠唱の気配はなかった。これほどの術を瞬く前に顕現するのは、まさに『ペンタ』の特性といえよう。
縦。
振り下ろされたそれが描く軌跡は、半円状に光の壁を打ち立てる。その巨大さは、瞬間的に昼のような明るさを振り撒いた。
半身を翻すだけでそれを完全回避した有海流護の表情は、まるで変わらず凪いだまま。落ち着き払った佇まいは、老練の達人を思わせる。
そして。
レヴィン渾身の一撃を軽々と凌いだ流護の姿が、黒い残像となって霞み迫った。




