706. 賽は投げられた
驕りではない。
そう前置きしたうえで、有海流護には予感があった。
(レヴィン……あんた、間違いなく本物だよ。でも)
――今の自分がレヴィン・レイフィールドと闘ったなら、『こうなる』と。
薄々、そう思っていた。
ゆえに、拘泥はしなかった。
レヴィンと闘えそうな機会が流れても、そこを惜しむ気持ちは湧かなかった。彼との対決を皆に期待されても、乗る気はあまり起きなかった。
それでも。
今こうしているのは、彼のことが嫌いではないからだ。
最初は、ベルグレッテと家族ぐるみの付き合いがあると聞いて気に入らなかった。端正すぎる顔や壮麗な立ち振る舞いも相まって。
けれどいざ接してみれば、レヴィンという男はあまりにも素直に好青年だった。
誰もが思い描く、理想の騎士。
そうあらんと務め、自分を殺し続けた孤高の『ペンタ』。
おかしなものだ。皆に慕われながら、本当の意味で彼を理解している者などいない。
『強い者と闘いたい』。
腕を磨いた者ならば抱いて当然のそれを口にすることすら許されず、実行するなど論外。
そういった意味では、やはりレヴィンも孤独だった。他の『ペンタ』と同じく。
だから。
彼が決闘を望むなら、その思いに応えてやりたかった。もちろん、全力で。
せめてそれが、自分にできることだと流護は思ったのだ。
(――終わるぜ、レヴィン)
零距離へ。右の拳を腰溜め、緩く握り込む。
この敗北は糧となる。
レヴィンならきっと、これを学びとしてさらに強くなる。かつて桐畑良造に敗れ、それでも這い上がった自分のように。
だから今は。
友として、負けを贈る。
「――ふっ」
膨大な雷の斬撃――渾身の一撃を躱され、それも消失。かつダメージから未だ棒立ちとなる『白夜の騎士』、その胸部へ向かって正拳突き。
――を繰り出す直前、流護は大きくバックステップで後退した。
唐突に、視界を塗り潰すほどの『白』が見えたからだ。
「…………――」
数瞬の後。
ぴりり、と細い電光がわずか漂う。レヴィンを取り巻く形で。
攻撃、と呼ぶものでもない。かすかに弾けた静電気に等しい程度。それもすぐに夜の空気へ静かに溶け、フェードアウトしていく。
危険を感じ、飛び退くほどのことではない。
(…………なん、だ?)
それでも、流護は動けなかった。
かすかにうつむき佇む、無防備なレヴィン。足下もおぼつかない彼を前に、脳が警鐘を鳴らしている。
迂闊に近づくな、と。
「…………なあ……、もういいだろう、レヴィン」
にわかに訪れた、不気味なほどの静寂。
その中で、おもむろにリウチの震えた声が届く。
感極まったかのような彼が、言葉を紡ぐ。泣き笑いの表情で。
「――もう、我慢しなくていいんだ。やっと出会えたんだよ……お前が、好敵手って呼べるような相手にさ。だから」
「本当のお前を見せてやれ、レヴィンッ――――!」
紫電が閃光となり、迸る。
レヴィン・レイフィールドを中心に、雷光の渦が立ち上った。
それも幻かと疑うほど一瞬のこと、即座に立ち消える。
しかし、全てが一変した。
空気中に漂う、バチバチと弾けては消える白い雷の残滓。荒ぶるそれは、許容量を超えて溢れ出る力そのものだ。
そして何より異なるのは、単純にレヴィンの外見だった。
短く整えられていたさらさらの金髪が逆立ち、これまでの誠実そうな印象からは一転、獰猛な雰囲気を漂わせる。口の端から伝う鮮血は、むしろその野性味を引き立てるほど。
何より、目。
青く輝く瞳に、見慣れた優しげな温もりはない。
ただ鋭く、力強く、そして熱い。野を闊歩する猛獣めいた。
(――――)
ぞ、と流護は総毛立った。
髪型と、目つき。その印象が少し違っただけで、こうまで別人みたいな風貌になるものか。
「えっ……レヴィン、様……?」
「……っ、レヴィン殿……」
「何、だ……? レヴィン様……が……?」
システィアナも、ベルグレッテも、エーランドも。
古くからレヴィンを知る者たちですら、その変容に戸惑ってそれぞれに名を呼ぶ。本当に自分が知る彼なのかを、確認するように。
だが。
むしろ、こちらのほうが『本当の姿』なのではないか。
なぜか流護には、自ずとそう思えた。
(――似てる)
ディノやナスタディオ学院長、ブレーティ、メルティナ。この異世界にて『ペンタ』と呼ばれる者たちが宿す、彼ら特有の圧倒的な存在感。危険な空気。
(つか、いや……同じだ……)
それが、レヴィンの全身から余すことなく放たれている。
「――そうだな、リウチ」
短く発したレヴィンの口角は、これまで見たことがないほど力強く上向いていた。唇から伝う血を右手の親指で拭い去る。やや乱暴なその仕草は『彼らしくない』はずなのに、やたらとなじんで見えた。
「この感覚、懐かしいよ。けどここまでの昂りは、生まれて初めてだ。僕はもう、自分を抑えられそうにない――!」
言葉使いこそ、これまでの生真面目ぶりそのままだったが。
発せられた熱量は、表情は、あの『獄炎の男』や『氷弾の狙撃手』と同じ好戦的なものに変貌していた。
「ふぉっふぉっ。結局、実現はしませんでしたのう――」
グラスに注いだワインをゆるりと手首で回しながら、アンドリアンが名残惜しげに呟いた。
「はーぁ? あにがぁ?」
同じく片手にしたワイングラスの中身をくいっと煽ったナスタディオは、ヒックと酒臭い息を零しながら相手を見やる。ソファにふんぞり返りながら。
帰りの行路について皆と相談するつもりだったが、流護が捕まらないので適当に済ませて飲むことにしたのだ。
厨房に酒をもらいに行ったところアンドリアン学長とばったり出会ったので、一緒に酌み交わすことにしたのである。それとミアは仕方ないので放流した。
西の学長は、ほっほっほと肩を揺すって笑う。
「夢の対決、ですじゃよ。レヴィン坊ちゃんとアリウミ遊撃兵……果たして、干戈を交わばどちらが上だったのか」
「あー……」
「おや? あまり関心がなさげですな」
あの二人が顔を合わせて以降、生徒らの間でも幾度となく議論されていたことだ。いやアリウミ遊撃兵だ、いやレヴィン様だと。よくもまあ飽きずに、と思うほど。
しかし、ナスタディオは渋い顔で酒瓶の中身を杯へ注ぎ入れつつ答える。
「だって、勝負は見えてますし?」
「ほう」
「――リューゴくんのが強いわ。圧倒的に」
断言すると、アンドリアンは実に楽しそうに身を乗り出してきた。
「ほう、ほうほうほう! それは何故に!?」
「ん~……まず、ですけど。あ、これ誰にも内緒ですよ? ぶっちゃけて訊いちゃいますけど……今のレヴィン殿って、ミッチーに勝てます?」
「ほ? ミッチーって誰じゃろ……?」
「ああ、ミードルイアですよぉ。ほら、『サーヴァイス』にいますでしょ? 一応、上から二番目ってコトになってるんでしたっけ? どことなくアタシに似た感じの……そう、アタシを全体的に劣化させたみたいな見た目した女!」
「おおっ! 思い出しましたぞ! そういやぁミードルイア嬢がよーく言っておられた。『ナスタディオとかいう私が将来を失敗したみたいな女』、と」
「あぁんのアマぁ……」
「ああなってはいかん、という見本が具現化しとるから助かる、と言っておられましたな。ふぉっふぉっふぉ!」
やっぱりぶちのめしてから帰ろうか。
「ま、とにかく。レヴィン殿もかなり腕を磨いておられるようですけど……恐れながら、まぁだミードルイアには届いてないと思うんですよね~」
ローヴィレタリアがレヴィンを『売り出したい』のは分かっている。
眉目秀麗、品行方正な美青年を英雄に仕立て上げたいのだ。おとぎ話の世界から飛び出してきた主人公さながらの容姿の彼を。
実際に以前、ローヴィレタリアに問うたことがある。国家最強の騎士というその旗、ミードルイアが掲げてはダメなのかと。
老父の答えはこうだ。
『ホッホ。逆に問うが、国を代表する英雄――と聞いてどんな人物像が思い浮かぶかね? 壮麗ながら勝気な女騎士、となるとやや王道から外れると思わんか。誰もが夢想する、絵本に登場するような眉目秀麗の心優しき青年騎士。それが実在するからこそ、人々の関心を誘うのだ』
一理あった。現実とはやはり夢物語のようにはいかないもので、周辺国を見ても、『最強どころ』は一癖も二癖もある人物ばかり。
レインディールは気難しく無愛想な『ペンタ』のラティアス、レフェは慇懃無礼な曲者極まるドゥエン。バダルノイスは男勝りかつ自由人な女性のメルティナで、ミードルイアとは印象が重なる部分すらある。
そんな中で一際存在感を出すために育成した、むしろ王道中の王道。
『白夜の騎士』は、なるほど確かに大陸随一の知名度を手に入れた。
余談だが、ミードルイアはかつて言っていた。
『レヴィン君の代わりなんて絶対にやりたくない』と。絶対に真似することはできないそうだ。
規則正しく、笑顔を絶やさず、秒刻みで入っている予定に謹直に対応する。そんな理想像であり続けるレヴィンをミードルイアは敬っており、また『立てる』ことに不満も感じてないと言っていた。
(当人たちがそれでいいなら、アタシがとやかく言うこともでもないし。けど――)
それは『最高』かもしれない。が、『最強』ではない。
少なくともレヴィンは、現時点のバルクフォルト帝国において。
一方で流護は、出会った頃と比して飛躍的な成長を遂げている。特に、『封魔』すら下すに至った近接戦闘能力は今や他の追随を許すまい。
(いよいよ、『こっち側』の領域に入ってきたのよねぇ……ンフフフフ)
グラスに入った赤い液体を揺らす。
「ふぅむ。ところでナスタディオ学院長は、リゲルレッド卿と面識はおありでしたかのう?」
と、思いつきのようにアンドリアンが尋ねてくる。
「いーえ、名前は聞いたことあるけど」
『サーヴァイス』副隊長、ワーバリヌス・デ・ルア・リゲルレッド。
巨躯を誇る寡黙な壮年の男だそうで、ミードルイアからも聞いている。「あれは掛け値なしに化け物」と。岩塊が間違えて人の意思を持って生まれてしまった存在、とも言っていた(ついでに、やれば負けはしないとも)。
精鋭部隊の副長を務める猛者だというのに、レヴィンと比したならその知名度は皆無に等しい。
「そうですな。率直に申せば、彼こそが間違いなくバルクフォルト帝国にて最強の騎士――」
そこでグラス内のワインをくいと飲み干して、アンドリアンは続けた。
「――でした、のう。昨年までは、間違いなく」
「『でした』?」
反芻すると、古くからバルクフォルトを見守ってきた至大詠術士は頷いた。
「貴女がレヴィン坊ちゃんと初めてお会いになったのは、いつ頃のことでしたかのう」
話があっちに行ったりこっちに行ったりするが、この老父は昔からこうだ。酔うと特に。
「ん~……? いつだったかしらねー。彼が天轟闘宴に出る前後ぐらいだったかしら? とにかく、そのあたりの時期だったと思いますけど」
あの頃の彼は、まだ子供らしい初々しさを宿していた。それが今や、非の打ちどころのない美青年へと成長を遂げた。年月の流れとは早いものである。ちなみにだが、このアンドリアン学長と知り合ったのもその頃だ。
「ふぉっふぉっ。なれば、無理もない……」
「えー? 何がですぅ? 思わせぶりに言わないでよ~」
何だか少し「分かってないな」との含みを持って笑われた気がして、ナスタディオは眉に皺を寄せる。
「いえ、失敬。その頃であれば、とうにレヴィン坊ちゃんは『しっかりしておった』と思いましての」
「んん? 昔は違ったってこと~?」
からかい気味に指摘すると、意外にもアンドリアンは迷わず首を縦へと動かした。
「いや、この話は内密に願いますぞ。ほんに一部の者しか知らぬことですからな。酔うておるから言いますがの、坊ちゃんの教育については、主に私とトネドが二人で進めて参った。いや……それはもう、昔の坊ちゃんには手を焼かされたもので。外面こそ非の打ち所がなかったが、とても内面は騎士の模範たりえるものではなかった。まぁ率直に言って腕白坊主でしてな。現在のお手本のような立ち振る舞いが自然な所作として身につくまで、相当な年月を要したものですぞ」
「へ~~……」
それは知らなかった。ローヴィレタリアもレヴィンを『立てる』と決めたはよかったものの、全てが順風満帆という訳ではなかったということだろう。
「……坊ちゃんは、今でも抑えておられる。『あの貌』を」
「『あの貌』?」
「何、特別なものではござらぬ。今の坊ちゃんが誰しもが思い描く理想の騎士像そのものであるなら、『あの貌』は多くの『ペンタ』が生まれ持つ戦闘的な気質そのもの……。……そう、ナスタディオ学院長……貴女が心の奥底に秘めたるものと同じ。唯我独尊たる、傑出した強者が抱く自負心の表れ」
「……アタシは別に、そんなコトないですけど~?」
「ふぉっふぉっ。ならば、そういうことにしておきましょうぞ。ともあれ、坊ちゃんのその気性は闘い方にも表れておった。強いことは確かだが、あまりにも騎士らしくはなかった。翻せば、『ペンタ』らしくはあった。それを、じっくりと騎士の規範たるよう矯正していった訳ですな」
「ほ~……」
今のレヴィンの姿からは想像がつかない。もちろん、そうであるようローヴィレタリアとアンドリアンが育て上げたのだろうが。
「で、話が前後しますがの。今年の頭ぐらいに、リゲルレッド卿が言っておったのです。今のレヴィン坊ちゃんが『あの貌』を出したなら、もはや俺でも危うい、と。……否、それどころか――」
長年にかけて培った、騎士としての技巧。精神性。
そこに『ペンタ』としての生来の『力』が真に合わされば、もはや敵う者などいなくなる、と。
そしてそれこそ、レヴィン・レイフィールドが最終的に目指すべき境地なのだと。
「――その瞬間が楽しみだ、と。あの巌のごとし御仁が、そう笑っておった」




