704. 問答無用
「てかレヴィン、いいんか? さっきから通信がすげー来てたみたいだけど……」
「……いいんだ」
「大変だな、有名人ってのは」
休まる暇もない、とはまさにこのことか。通信のゆらめきが次から次へと現れる様は、鳴り続ける携帯電話と何も変わらない。世界が違ってもこんなところは同じなんだな、と妙な気持ちになる流護だった。
「んでも、ちょっとフラっと出てきただけなんだろ? 知り合いとかには言っておかんでいいのか? 少し散歩中~、とかさ」
「……知った声を聞くと、決心が鈍ってしまいそうだからね。それに、嘘をつくのも気が引けるし」
何と言うか、ドがつくほどの生真面目さだ。らしいのかもしれないが。
しばし黙々と、緩やかな坂道を上がる。やがて、
「……さあ、着いたよ。ここが、ラトゥーレスの丘だ――」
お気に入りの場所を紹介するように、先行していたレヴィンが振り返る。
「おお……」
目にした流護も、思わず感嘆の息を零していた。
長く緩やかな坂を上がり切った先に現れたのは、緑の草葉に覆われた広大な台地。
遠景には、果てを見渡せぬ海がどこまでも続いている。遥か上空にて半分に欠けた姿を見せる夜神イシュ・マーニ、その青い月光によって照らされる景観は、筆舌に尽くしがたい幻想的な美しさを醸し出していた。
遠くの海を臨む高台。観光スポットとしても絶好のロケーションに違いない。
特にこの場で印象的なのは――古の神殿か何かの痕跡だろう、朽ちた白い円柱がいくつも散見されることか。一本あたりの太さは一メートル半ほどもありそうだ。あるいは半ばから折れてなお天を衝き、あるいは重量感たっぷりに横倒しとなっている。どれほどの年月を風雨に晒され続けたのか、薄灰色と化したその表面は緑苔にびっしりと包まれていた。
「いやー、これ昼間だったら遠くまで見渡せて壮観だろうな。デートとかで来る人いそう」
ベル子と来てみたかったなあ、などと思春期少年が思い馳せつつ言うと、
「実際、恋人たちの憩いの場としても知られているよ」
あっけらかんとレヴィンが答える。
「…………。……俺ら、決闘しに来たんだよな?」
「? そのつもりだけれど……」
ホッとする流護である。彩花が喜びそうな展開にはならず一安心だ。というか心臓に悪い。
レヴィンの視線に、かすかな熱が灯る。
「ただ、ここへ人が訪れるのは昼間のみさ。夜間は誰もやって来ない。暗くて景色も見えづらいし、闇に紛れた崖際が危険だからね」
それは間違いない。街灯も見当たらないので、イシュ・マーニの光量次第でこの一帯は完全な闇に包まれるだろう。端部に柵も設けられてはいないようなので、あまり近づくのは危険そうだ。
「ここはね、最古の闘技場があったとされる場所なんだ」
「!」
合点がいく。何らかの建造物があったと思しき跡地。いくつも転がる柱の残骸は、その当時の産物か。
「闘技場発祥の地……至高の相手と雌雄を決するに、これ以上の場所はない。僕はそう思うよ」
一歩、二歩。流護から距離を取って進んでいったレヴィンが、振り返ってそう独白する。
「おう。そんじゃ早速だけど、始めるか」
ぱき、と両手の指を鳴らした流護が確認する。
正直、ここへたどり着くまでに結構な時間が経っている。
レヴィンの顔の広さを考えると馬車は使えなかったので徒歩でやって来たし、先ほどから彼の下へは何度も通信の波紋が着信していた。それを全スルーしたため、相手方は異変を感じ取っているはず。
流護も流護で、少し走ってくると同室の教師に告げたきりで出てきてしまった。あまりに戻らないようであれば、さすがに不審がられる……というより、すでにそう思われているに違いない程度の時間は経っている。
互い、残された時間はそうない。
「――」
思考を切り替え、少年は対峙する相手を見据える。
大陸屈指の英雄、バルクフォルト帝国が誇る『ペンタ』レヴィン・レイフィールド。
正直、このままやり合うことなく終わると思っていた。それがまさか、向こうからの申し出。
(…………)
面倒なしがらみを全て投げ打って。
完璧なはずの彼が口にした、完璧とは程遠い個人の願い。
ただ、強い相手と思いっきり闘ってみたい。
戦士として鍛えたなら誰しも抱く真っ当なそれを、しかし彼は口にすることすら許されなかった。
でも、ようやく言うことができた。
(なら、叶えてやんねーとな)
「――では。準備は良いかい、リューゴ君」
「おう。いつでもいいぞ」
向かい合って、双方の距離は十メートル弱。
心なしか生き生きして見えるレヴィンに応じた、その直後だった。
夜の闇を裂いて飛来する、白い物体。ばさばさと音を立てて近づいてきたそれは、今まさに身構えようとしたレヴィンの右腕に取りついた。まるで、これから起こることを止めようとするかのごとく。
それは、一羽の小さな白いフクロウ。見覚えのあるその容貌は――
「……、オレオール……」
力なくレヴィンがその名を呟いたのと、
「レヴィン様っ!」
よく通る少女の声が木霊したのは、ほぼ同時。
先ほど流護たちが上がってきた坂の終わり……この高台の入り口に、システィアナを先頭としてベルグレッテ、エーランド、リウチ、ダイゴス、エドヴィン。
よく見知った顔が勢揃いしていた。
察するのは容易だろう。今から何が始まろうとしていたのか。
「レヴィン様っ、……本当に、こんな……」
よほどの全速力で駆けてきたのか、肩で息を切らすシスティアナが言葉を途切れさせる。
「……シス、ティアナ」
狼狽も明らかなレヴィンのかすれた声。そして。
「リューゴ……!」
困惑しきりなベルグレッテの呼びかけ。
「おー? ちょーどこれから始まるとこだったかよ? 間に合ったな、見逃さずに済んだじゃねーか」
カッカッカ、と笑うエドヴィンに対し、システィアナは珍しくも怒り顔となって「いや、させないから!」と叫ぶ。
息を整える間もなく、彼女は懇願するような眼差しをレヴィンへと向けた。
「レヴィン様、本気なのですか……? 本当に、アリウミ遊撃兵と決闘を……。そんなことは……許されない、はずです……」
「……」
まるで、悪事を咎められた子供のように。『白夜の騎士』は、彼女から視線を逸らしてうなだれる。
意気消沈は明白だった。
……この件は少なくとも、流護とレヴィンだけだから成り立った。
成り立とうと、していた。他に知る者がいないからこそ。
しかし皆に露見し、彼らが狼狽する様を目の当たりにすれば、否が応にも認識する。
自分が、過ちを犯そうとしていたことを。それを分かって踏み切ろうとしていた思いに、制動がかかる……。
「リューゴ、あなたも……どうして、レヴィン殿と……! 闘う理由なんて、ないはずでしょ……?」
ベルグレッテの問いかけに対し、しかし流護は悪びれず顔を向けしれっと言ってやった。
「いや? 最後だし、そういやまだレヴィンと闘ってねーじゃんと思って」
「な……!」
「俺が目指すのは世界最強だ。国同士の面倒事とか俺の知ったことじゃねえし、強い奴がいるならやって序列をハッキリさせとかんとな」
「な……」
ベルグレッテは元より、レヴィンが驚いた目となる。なぜ本当のことを言わないのか、とでも言いたいに違いない。
「リューゴ、それでいいのかいあんたは。無駄に負ける必要なんてないだろう」
「誰かと思えばエーランド君じゃないすか。何なら、あんたも加勢していいぞ。二対一でやってやる。二人がかりで負けたら、さすがに言い訳できんだろ」
くいくい、と指で招いて挑発する。一瞬だけ鋭い眼光を飛ばしてくる若き羚羊だったが、
「……その手に乗るか。おれは止めに来たんだ」
残念、どさくさに紛れて『決闘賛成派』につけようとしたが失敗したようだ。
「レヴィン様。認められませんよ、このようなことは……」
そして精鋭騎士として、エーランドは至極真っ当な意見を述べる。
「それに……仮におれがいいとしても、猊下がお認めになりません。先ほど、おれに連絡がありましたよ。レヴィン様が通信に応じない、と。確実に異変を気取られたはずです……」
「お前さんの誤魔化しが下手くそなせいでな」
横から差し込まれた呆れ気味なリウチの一言に、
「っ、元はと言えば! あんたがレヴィン様と共に歩み続けていれば、好敵手で居続ければ、こんなことにならなかったんじゃないのか!」
思いの外、エーランドが激情を露わにした。リウチもムッとした面持ちで応じる。
「俺は無理だと早々に判断しただけさ。このまま続けても、足を引っ張るだけだとな。そう言うなら、お前さんがさっさとレヴィンに追いつけよ。支えてやるんだろう?」
「っ、貴様……!」
思えば、リウチとエーランドが一緒にいるのは初めて見る。何やら折り合いがよくないようだが――
「やめてよ二人とも!」
システィアナが泣きそうな顔で叫んだ。
そして。
「…………皆、すまない。迷惑を掛けたね」
ゆるりとかぶりを振った彼が。レヴィン・レイフィールドが、誰よりも優しげな……悲しげな顔で、言葉を紡ぐのだ。
「……リューゴ君も。僕の我儘で、振り回してしまった」
自らの腕に取りついたオレオールの頭を優しく撫でてやりながら。
「やめるのか?」
流護が尋ねると、彼は曖昧な笑顔となる。
それは、せっかく踏み出した足をそこで止めてしまった……いや、引っ込めてしまったことの証左でもあった。
だから流護は、なおも言い被せる。
「また諦めるのか? 結局、縁がなかったとか運命じゃなかったとか言って」
しかしレヴィンは答えず、かすかに視線を地面へ落とすのみ。
「――分かった。じゃあ、もういい」
静かに流護が口にした直後だった。
それは鋭敏な野生の感覚だろうか。
レヴィンの腕に留まっていたオレオールが、バッと飛び立った。凄まじい速度で、上空へと『避難した』。
刹那、レヴィンの至近まで駆け迫った流護が拳を弓引く。
「っ!?」
目を剥いたレヴィンが身体をよじったのと、流護の放った右拳が彼の鼻先をかすめたのは全くの同時だった。
一撃を振り抜いた流護。紙一重で回避したレヴィン。
間髪入れず、格闘少年は左フックの追撃を打ち込む。
「くっ!」
身体ごと横回転しこれを捌いた至高の騎士は、大きく後方へ跳ぶことで間合いを引き離した。
その構図のまま、およそ数秒も時が止まる。
「な、な、……な、な……なっ……」
「ち、ちょっとリューゴ! なっ、なにをしてるの……っ!?」
絶句するシスティアナや大慌てのベルグレッテを始め、誰よりも、急襲を受けたレヴィン自身がこれまで見せたこともない驚愕の表情を露わにする。
そんな『白夜の騎士』へ、流護は平然と言ってのけた。
「あんたの気持ちは分かったよ。んでまあ、それはそれとして……とりあえず俺は『レヴィンに勝った』って箔が欲しいんで、勝手に殴り倒させてもらうわ」
エーランドが信じられないものを見る目で絶叫する。
「お、おお、おいっ、何をしてるんだリューゴ!? あんた、自分が一体何を言ってるか分かってるのか!?」
傍ら、同じく驚いた風だったリウチが――かすかに、ふと頬を綻ばせた。
「…………は、は。はははは……! そう、か」
エーランドとは対照的、得心がいったかのような面持ちで。
その隣で、腕を組んだダイゴスもいつもの不敵な笑みを「ニィ……」と深める。
「フ。襲われたなら、自衛が必要じゃろうの」
そんな発言の意図を汲み取ったとばかり、リウチも笑うのだ。
「ハハ……全くその通りだな、大きな人よ。おおーいレヴィン、やらなきゃやられるぞ!」
物騒なセリフを、しかし誰よりも嬉しそうに。
「なっ、何を焚きつけようとしてるのリウチ!? レヴィン様、だ、だめです……!」
「ちょっとリューゴ……!」
システィアナとベルグレッテ、生真面目な学級長二人はやはり静止すべく声を響かせるが、
「本格的に始まりそーだ。下がろーぜ」
当たり前みたいな顔で、エドヴィンが退避を促す。
「な、何言ってるのエドヴィンくん! こんなこと、認められるはず……」
「いい加減、邪魔すんのはやめてやれよ」
「邪魔って……!」
なおも食い下がるシスティアナだったが、『狂犬』はまるで平静を崩さない。
「お前らだって昨日あんだけの試合しといて、分からねーとは言わせねーぜ。特にシス。お前、ベル相手に本気でブチかましたよな」
「っ――」
「イヤ、責めてるんじゃねーよ。そーせずにはいられなかったんだろ? 分かるぜ、その気持ちはよ。強さを磨いてきた奴らがよ、他に強ぇ奴がいるって知って試したくならねーはずがねー。あいつらぁよ、ここまで散々オアズケ食らってんだ。闘るならもう今しかねー。好きにやらせてやりゃいーじゃねーか」
「……っ、」
反論に窮するシスティアナ。言葉に詰まるということはつまり、少なからず否定できない部分があるということ。
そこでリウチが心底楽しげに笑う。
「お兄さんに賛同する訳じゃないが……つまるところあの二人がやっちゃならん理由ってのは、どちらかが大ケガをするなりその勝敗を世間に知られるなりするのがマズいって点にある。なら――今この場には俺たちしかいないんだから、誰も公言しなければ露見はしない。それに――」
軽薄なこの青年が、珍しく熱意を込めて。
「レヴィンなら、不必要なケガを負わせず勝つことも可能だろうしな。その二点が満たされるなら、やっても問題はないってことになる」
それを聞いたエドヴィンが鼻で笑った。
「ケッ。お前と意見なんぞ合っちゃいねーな。勝つのはアリウミだ。断言するぜ」
放っておけばこの二人の間で『再戦』が始まりそうな気配だが、その戦意を託すように見やるのだ。それぞれ、勝ちを疑わぬ相手へと。
つくづくままならぬものだ、とレヴィンは自嘲せざるを得ない。
常に騎士の模範たりえんとし、誰にも迷惑や心配をかけずに立ち回りたいというのに。
(いつも、皆には余計な苦労を掛けてしまうな……)
仲間たちはそれぞれ意見が食い違っているようだが、レヴィンを案じているという点では同じ。それは、唐突に殴りかかってきた流護でさえも。
もはや周囲に有無を言わせぬためだろう、流護がさらに速度を増して向かってくる。その様で、遅まきながらレヴィンはハッとした。
(あっ)
今時期のラトゥーレスの丘は、夏に向けて緑が芽吹き始める。
かすかに苔が息づく大地は、迂闊に踏めば滑ってしまう箇所もある――
(――いけない)
あの夜が。今まさに激突するというあの刹那。倒れ伏した流護の姿が、レヴィンの脳裏に甦る――
より早く。
瞬く間に眼前へと迫った遊撃兵の少年は、石礫を撒き散らして大地を踏み締めた。
「!」
違う。あの時とは、力強さが。
彼の足の裏で、固い岩盤の地面が沈み込むほどの。
強靱極まる軸足はもはや鉄の杭にも等しい。滑倒など起きる余地もなく、大地へ打ち込まれたそこを起点に、掬い上げる軌道の右拳が放たれる。
「――――っ!」
レヴィンは咄嗟に展開した雷壁でこれを防御。それでもなお、
「……、……――!」
凄まじい轟音、そして衝撃。
同時、身体が後方へと弾け飛ぶ。浮遊感を伴い、自ずと数マイレも間合いが離れた。着地した足がもつれ、それこそ滑って倒れかけつつ、防御壁を生み出した左腕に痺れが伝う。
「……っ」
何という威力か。これが、『拳撃』。
純粋な人体による無手の一撃で、これほどの。
不倒の『封魔』すら沈めた剛腕。
(……――彼……は、本気だ――)
あの夜とはまるで違う。
踏み込みの一歩を比してもまるで異なる。
――有海流護は今、本気でレヴィン・レイフィールドを倒しにかかっている。
「……――」
つい先ほど、リウチやダイゴスが得心していたように。
やらねば、やられる。
そんな『大義名分を与えてくれた』遊撃兵は、強かに笑みを作るのだ。
それはどこか。その昔、鍛錬に身が入らなかった自分にリウチが発破をかけてくれた時のような。
対等の存在と競うことができていた、あの頃を思い起こさせる好敵手の表情だった。




