703. 捜し惑う人々
生温い夜風に一抹の不安を覚えながら。
ダルクォートン砦の門前まで赴いたシスティアナは、歩道との境目で所在なげに佇んでいたベルグレッテにその推測を告げた。
「リューゴとレヴィン殿が、決闘を……?」
困惑した様相の少女騎士が、か細い右手の指先を自らの顎先へと添える。半月ほどを一緒に過ごして分かった。この仕草は、彼女が考え込む際の癖だ。
「アヤカから聞いたわ。アリウミ遊撃兵なら、レヴィン様と闘いたいと思ってたんじゃないかって」
システィアナが言うと、ベルグレッテもかすかに首を縦に動かした。やや不安げに。
「……そうね……、けど……リューゴがそう望んだとして、レヴィン殿が応じられるとは……」
「うん、私もそう思っていたわけ。でも……」
知らない。
少なくとも皆の憧れであるレヴィン・レイフィールドは、一度もその期待を裏切ることなどなかった。
けれどそれは、自分を押し殺していたと同義ではないのか。
(だとしたら……私は、あの方の本心を知らない……)
例えばシスティアナは、学院生として毎日を過ごしている。
学業に不満なんてないし、充実していると胸を張って言えるが、時には何もかも放り出して休みたくなる時だってある。
しかしシスティアナの知る限り、レヴィンがそのような面を見せたことは一度もない。
彼はいつだって品行方正で、完璧で、非の打ちどころがなくて。でも。
『レヴィン様だって人間だ。誰にも言わないだけで、心の中に色んな思いを秘めておられるはずなんだ――』
想い人なのに。憧れていた存在なのに。
そんなことにすら、思い至らなかった。
否。きっと誰も思い至ることがないよう、わずかほどの翳りも見せぬよう、レヴィンは至上の騎士として立ち振る舞っていた。全ての人に対して。
『――ありがとう。今すぐどうこう……とは言えないけれど、いつかきっと……君の思いに報いることができたら、と思うよ――』
今にしてみれば、あの言葉だって自分を傷つけないために齎されたものだったのかもしれない。
(……、)
でも何より、今は。
「もしかしたら……レヴィン様のほうから、アリウミ遊撃兵に……っていう可能性もあると思うわけ」
わずかな願望すら口にしてこなかった稀代の英雄。彼が一人の人間として、戦士として何かを望むのならば。
己と肩を並べ得る、好敵手と呼べる存在が現れたなら――?
その推測は、必ずしもありえないことではない。
「……、でも……それでも、二人の立場を考えたなら……」
それでもベルグレッテは困惑を崩さない。当たり前だ。昔から家族ぐるみの交流があるというこの少女騎士ですら、レヴィンを語るならばその常識が立ちはだかる。それほど、『白夜の騎士』は品行方正で完全無欠だった。
けれど少なくとも、傍らでレヴィンを見守ってきた年月は自分のほうが長い。そのシスティアナの経験が鳴らしているのだ。警鐘を。
焦れる思いでいると、不意に横から男の声がした。
「おや、そこのお嬢さん方。こんな夜更けに何をしてるんだい? よければ俺と一杯どうだ?」
えーいこんな時に、とシスティアナは思わず相手を睨みつける。と同時、目を丸くした。その男が、赤の他人ではなかったからだ。
「ってリウチ!? 何してるわけあんた、こんなところで」
「俺はいつも通りブラついていただけさ。何をしている、はむしろこっちの台詞だろうに。てっきりお前さん方は、砦の中で最後の夜を過ごしているもんだと思っていたが」
それはもっともだった。大半の生徒は砦にやってきているが、リウチはそういう感傷に浸る性分でもない――
「っと、この際ちょうどよかったわリウチ。訊きたいことがあるの……!」
経緯を説明する。
レヴィンが誰にも行方を告げずいなくなったこと。そして、時を同じくして鍛錬に出たはずの流護の姿が見えないこと。そこから導き出される、不穏な推測。
聞かされた彼は――レヴィンの昔なじみはというと、さして驚いた顔すらしなかった。それどころか、漏れ出たかのような薄笑いで頭を掻く。
「そうか。あいつ……」
「いやいや、そうかあいつじゃないでしょ! どうして嬉しそうに! もしそうなら止めなきゃ……!」
レヴィンが望むのであれば、邪魔などせず見守りたいとは思う。しかしやはり、これを容認すれば大きな外交問題に発展し得る。それに二人とも、大きなケガをしてしまうかもしれない。
想い人の願いだから、と私情で見過ごすようなら――今後一切、システィアナには誰かの不正を糺す資格などなくなる。
「あんた、二人の行き先に心当たりはない……!?」
「さてね。だが……仮にあの二人がやり合うんであれば、まず場所選びが問題になってくる」
前提として、道を行くだけで民の注目を集めるレヴィンである。何人にも目撃されるようなことがあってはならない。決闘の現場など見られようものなら、国中を巻き込んだ騒ぎとなる。
(……、)
決闘など、珍しくもない……といっては語弊があるが、経験したことのある詠術士はそれなりにいるはずだ。先日の対抗戦とてそれに近い。
(……なのに……)
思えば『白夜の騎士』は、そのような自由すら許されないのだ……。
「あいつの『力』のデカさを考えるとな……」
思案する素振りを見せていた英雄の昔なじみは、おもむろにくるりと踵を返した。
「ちょっとリウチ、どこへ行くのよ」
問いかけに振り向く彼はしかし、システィアナではなくその右肩に座る『彼』へと呼びかけた。
「行くぞ。まさにこんな時は出番だろう、オレオール」
それで主たる少女もハッとした。自分の頬のすぐ横でまん丸な目を向けてくる相棒と見つめ合う。
そうだ。その手があったではないか。なぜもっと早く思いつかなかったのか。
ベルグレッテも何をしようとしているか気付いたようで、あっと声を上げる。
システィアナは一も二もなく駆け出して、リウチを追い抜いて振り返る。
「ベル、リウチ! 早く!」
やれやれと苦笑する級友、困惑しきりな親友を伴って、少女は夜の街を全力で疾走した。
「何だって? レヴィン様が、リューゴと決闘……?」
場所は砦近くの兵舎。
まず最初に確認したが、やはり現時点でレヴィンは戻ってきていないという。
そしてシスティアナから事情を聞かされたエーランドは、訝しげに眉を寄せた。
「いや、そんなバカな……」
そう呟く言葉とは裏腹に、深刻そうな面持ちで黙り込む。……と、彼のその視線がリウチへと向けられた。
「……あんたも、そう思うのか」
「なくはないと思うがね」
一瞬の無言の間を置き、リウチはエーランドを見下ろして言葉を続ける。
「お前さんも同じだろう? だからそんな顔をしている」
「…………」
しばらく無言で考え込む若き精鋭の少年だったが、おもむろに踵を返した。
「……何にせよ、レヴィン様のお姿が見えなくなって随分経つ。あの方を捜すことに異論はない」
そう言い残し、兵舎の奥へと消えていく。
「……エラン……」
彼の後ろ姿を見送ったシスティアナは、その複雑であろう胸中を察した。
『あの』レヴィンがそのようなことをするはずがない。
万人が抱くその先入観に始まり、しかし誰よりも近くで『白夜の騎士』を『人間として』見てきた彼だからこそ。
加えて、自分に何の相談もなくいなくなってしまったことに寂しさも感じている。それゆえの表情。
ややあって、エーランドが戻ってきた。その手には、一本の硬筆が握られている。
「ほら、レヴィン様がお使いになっていたやつだ」
彼がそれを差し出す。システィアナに――ではなく、右肩に座る白羽梟のオレオールへと。
丸い両目をパチクリさせた相棒は、首を細かに動かして様々な角度から硬筆を眺める。
「たしか……バルクフォルトの伝承にあったわよね。『大魔女の使い魔』、だったかしら」
「そそ。この子も伝承に漏れず、人捜しが得意ってわけ」
その様子を興味深そうに見守るベルグレッテが誰にともなく言うと、システィアナはふふんと誇らしく頷いた。
古の時代、白羽梟を従えた偉大な魔女がいたという。
ある時は行方知れずとなった子供を瞬く間に見つけ、またある時は逃亡した賊徒をあっさりと捕捉した。
それは魔女の神詠術による力――ではなく、彼女に侍る使い魔の功績だった。
大陸西部にのみ棲息する白羽梟。
元はバダルノイスに分布していた種が餌の少なさから南下してきたとの説があり、学会では『白影』とも呼ばれる。延びる影が、足下から決して離れることはないように。
人の目には分からないようなわずかな痕跡を頼りに、目標とする相手の下へ確実にたどり着く。かつて極寒の地で数少ない餌にありつくために得た力だろうか。
知能も高く、ある程度は人語も解している節がある。それゆえ強い警戒心を備えており、本来であればあまり人に近寄ろうとしないらしいのだが――
(ふっふ。思えば、この子とも長いわね……)
近所の森の中で、傷ついて血を流し地面にうずくまっていた一羽の小さな雛鳥。まだ茶色い産毛を残した、玉のような姿だった。
かつてのシスティアナは、ハンカチを裂いた切れ端で彼を手当てし、獣に襲われないよう小高い枝の上へ避難させてあげた。
いいことをした、と何とも誇らしい気持ちで帰宅したのだが、その夜――彼が窓辺へ来訪した。巻いてやったハンカチを頼りにたどり着いたのだろう。
それ以来、恩義を感じたのか親と勘違いしたのか、彼はずっとシスティアナに寄り添っている。
名前がないのも不便に感じ、古ラスタリッド語で『白の光』を意味するオレオールと呼ぶことにした。
厳密には飼育している訳でもないので、時たまふらりとどこかへ飛び立っていったりもするが、時間が経てばシスティアナがどこにいようとその肩へ舞い戻ってくる。
ちなみに不可思議なことに、白羽梟はほとんど鼻が機能していないのだという。
つまりどうやって目標の位置を正確に捉え、その下へたどり着いているのか。学者にもまるで分かっていないらしい。
そんな話はともかく――しばらくして、レヴィンの硬筆を念入りに凝視していたオレオールが胸を反らして羽をぱたぱたと振った。「準備はできたぞ」と言いたげな顔でシスティアナを見つめてくる。
「ええ。それじゃあオレオール、お願い! 私たちをレヴィン様のところまで案内して……!」
兵舎を飛び出し、夜空高く舞い上がったオレオール。エーランドを加えたシスティアナたちは、その白く小さな後ろ姿を地上から追う。
駆けながら、上空を仰いだベルグレッテが呟いた。
「……もしかしてオレオールは、私たちがついてくるのを待ってくれてるのかしら」
「ええ、その通り!」
愛らしい外見ながら、白羽梟は猛禽である。本気で飛翔したなら、とても人の足では追いつけない。しかしオレオールは自分が案内役を務めていることを自覚し、速度を緩めてくれているのだ。
「本当に賢いのね……」
「ふっふ。自慢の相棒だもの!」
息を弾ませつつ、夜空の白点と化した相棒の背を追い続けることしばらく。
「……なあ、シス。この方角は……」
「…………そうね」
緊張をエーランドの言葉に、システィアナは曖昧な頷きを返す。
オレオールは、街の北西部へ向かって一直線に飛翔している。
この延長線上に何があるのか。人目につく訳にはいかないレヴィンの事情、そして目的を考えたなら、おぼろげに見えてくる。
(レヴィン様……っ)
走り出してどれほど経った頃だろうか。
行く先の坂を上がり切った辺りで、繁華街を向かいから歩いてくる二人の青年の姿が目に入る。どちらも知った顔だった。
「あっ! ダイゴスさんに……エドヴィンくん!?」
泰然とした巨漢と、鋭い雰囲気を纏った青年。ミディール学院おなじみの二人組だった。さすがに足が止まる。
「ああ? こんな時間に揃いも揃って、何で走ってんだよお前ら」
訝しそうに、エドヴィンがもっともな意見をぶつけてくる。
「うむ。負傷の心配は要らぬようで何よりじゃ」
ダイゴスの不敵な笑みを受けたエーランドが、露骨に苦い表情となった。
「お陰様で、まだ身体中が痛いんだけどね」
「して、何かあったのか」
そして察しのよさは、さすが『十三武家』の戦士である。その閉じたみたいに細い糸目が、より窄められたように見えた。
「ええと、そうね……詳しく話すから、ちょっと二人もついてきてくれない!?」
とにかく今は、止まっている時間が惜しい。
最後の夜に土産の買い出しに出ていたという二人へ事情を説明しつつ、一行は追跡を再開する。
「…………どういうつもりじゃ」
王城の私室にて息をついたローヴィレタリアは、渋顔で暗い窓の外を睨みつけた。
ガラスに反射する面相は、『基面僧正』にあるまじき表情。とても民に見せられるものではないが、今この場には自分しかいないので問題はない。
(……奴め、どこで何を……)
先ほどから何度通信を飛ばしても、レヴィンが応じないのだ。
明日は、合同学習を終えたミディール学院生がバルクフォルトを発つ日。
本来はシガキンスらを交えて来期の予算案について話し合う予定が入っていたが、そのシガキンスが何やら市場に大量流通している蟹の肉を食べ過ぎたとかで腹を壊し、急遽取り止めとなったのだ。
そのため、不意に丸一日の予定が立ち消えた。
であれば、ミディール学院の見送りに顔を出すなりすればこちらの心証もよりよいものとなろう。レヴィンを赴かせれば、尚更。
ゆえに、これら知らせと提案のため連絡を取ろうとしているのだが――
「……」
品行方正、完全無欠。
そんなレヴィン・レイフィールドが、通信に応じない――ことは、往々にしてあった。
七、八年ほど前までは。リウチとともに鍛錬に明け暮れ、今の『白夜の騎士』とはまるで異なる性格だったあの頃であれば。
単純に気付いていない、もしくはすでに就寝している。それらも考えられなくはないが、仮にこのいずれでもないのなら。
(…………何を考えておる、あ奴)
ふと、脳裏をよぎる。
かつての、『ペンタ』として生まれたレヴィン・レイフィールドの性質。英雄と据えるにはそぐわぬ、苦労して抑え込んだ『あの貌』が。
(……)
近頃、やや非日常が連続している。
前例なき学院同士の交流。『封魔』の出現。
そうした事象が、鎮まって久しいあれを刺激しなかったといえるだろうか――
今一度、ローヴィレタリアは通信術を行使した。しかし、その相手はレヴィンではない。
『リーヴァー、こちらエーランド!』
待たずして、即座に応答が返ってくる。騎士とはこうでなくてはならない。
だが、気になる点があった。
「うむ、ローヴィレタリアだ。して、エーランドよ。お主……今、どこで何をしておる?」
まず、夜の空気がさざめく音。室内ではない。そして、わずかに切れている彼の呼吸。連続する足音。兵舎で事務仕事をこなしている、という訳ではなさそうだ。
『げ、猊下……! ええと……そうですね、今は……少々、街中におりまして』
「ホッホ、そうか。ところで、レヴィンめは何をしとる? 連絡がつかんのでの」
『えっ!? いや、その……それが、僕も分かりかね……まして……』
顔も見えないやり取りながら、若き精鋭のうろたえぶりは明らかだった。
「共にはおらぬのか?」
『え、ええ、はい、まあ』
「ホッホ、珍しいこともあるものだの。お主がレヴィンの所在を知らぬとは」
『あっ、いえ、その……はい……』
消え入りそうなエーランドの声の裏側で、疾走していく馬車の車輪と蹄の音が木霊する。キイ、と甲高い金属の響きが老人の耳を打った。
「よい。分かったわ」
通信を切ったローヴィレタリアは、迷わず錫杖を手に取って部屋の外へ向かう。
(ふん、相変わらず嘘が下手糞な小僧よ)
励んでいる。成長している。が、まだ若い。
大臣は片手間で再度通信を紡ぎ、兵士に馬車を手配させた。
エーランドの声の後ろで聞こえていた馬車の音。あの車輪の軋みは、帝都北西部のみで運用されているエンカド式のそれだ。旧い様式かつ北西から吹く海風に長年晒され続けるゆえ、錆びて独特な音を発するのだ。
そして、帝都の北西部にあるのは――
(……レヴィンよ……認める訳にはいかぬぞ)
どこにいるのか。そして、人知れず何をしようとしているのか。
こうまで情報が揃えば、想像は難くなかった。一人の詠術士として――力を磨き続けた至高の戦士として、彼が願うもの。
その昂りは推し量れる。かつて戦場に身を置いていた者として。
(だが、ならぬ)
それが国家を背負う者。一時の情で動けば、皆に示しがつかなくなる。
勝つか負けるかではない。もうそんな次元にはいない。その一挙手一投足に、臣民の全てが注目する。『動いた』時点で、周囲にありとあらゆる影響を及ぼす。
レヴィン・レイフィールドは今や、『象徴』そのものなのだから。
ようやく、そこまで育て上げたのだから。
(一時の感情でそれを棒に振るなど、あってはならんのだ――)




