701. 踏み出す一歩
「昨日の対抗戦は、胸に来るものがあったよ」
夜景に目を細めながら発したレヴィンの声音には、届かぬものに焦がれる響きが自ずと混じった。
「勝敗とは関係なく、皆……あの一戦で得たものがあったように見えた」
試合の前後で、明らかに顔つきが違った。
少なくとも、レヴィンにはそう感じられた。
「あんなに熱くなったリウチを見たのは久しぶりだった。シロミエールがあそこまでひたむきに闘い抜く様は初めて目にしたし、エランもダイゴス氏ほどの猛者を相手によく食らい付いたと思う。リム嬢がクレアリア殿に挑んだことは想像だにしなかったし、その闘いぶりも素晴らしかった。最終戦も、一瞬ながら濃密だった。シスの思いつめたような様子が少し気になったけれど……彼女が遠距離を制し、ベルグレッテ殿が近距離にて凌駕する……。強力な詠術士同士ゆえの、緊張感溢れる立ち合いだった」
レヴィンは推測を口にする。
「皆、『自ら踏み出した』からなのではないかと思うんだ。各々試合に期する思いがあって、もしくは闘いの中でそれを見出して……。試合の中で干戈を交えるうち、何かを得ることができた。だから終わった時、あのように晴れやかな面持ちとなれたのではないかと」
言うなれば、挑んだことで一皮剥けた。そんな印象があった。
「……うん。彼らは皆、己の意志で臨んだ。だから、前へと進めたんだ」
己に言い聞かせるかのように。
つい先ほど、『自分の意志を持たず歩まされているだけ』と自らを評した騎士は。
「だから僕も、一度ぐらいは意志を持ってみたい――」
レヴィン・レイフィールドは、有海流護へ対し告げるのだ。
「――リューゴ君。僕は君に、決闘を申し込む。受けてはもらえないだろうか」
ここまで静かに耳を傾けていた彼は、さすがに目を丸くした。
それも一瞬のこと。すぐに苦笑して、
「つか、急にどうしたん?」
流護が問うてくると、レヴィンはややためらいがちに首を振って真意を語る。
「……君とは、縁がないのだと思っていた」
「縁がない?」
「サスクレイスト闘技場では、せっかく君が名乗りを上げてくれたにもかかわらず、本格的に交える前に幕引きとなった。そして昨日……対抗戦が引き分けであれば、特別試合が組まれるやもしれないとの話が囁かれた。リューゴ君と僕が……なんて案も出ていたけれど、ミディール学院側の勝利で終わって、その件も立ち消えとなった。それでね、思ったんだ。君と僕は、交わる運命になかったんだ……と」
一度ならず二度までも、干戈を交える機会が失われた。であれば、それはそのような定めになかったのだと。
「けれど、簡単なことだった――」
今さらながらに気付く。
「そのどちらも、僕は状況に身を任せていただけだったんだ」
縁がなかった? そうではない。
闘いたい。
そう欲するなら、表明すればいい。意志のない己は、そんなことすらしなかっただけ。
(……駄目だな、僕は)
こんな簡単なことすらできずにいたのだから。
けれど今、言えた。
流護との決闘など無論、現実的に考えたなら不可能だ。
国家間を隔てる、レインディール遊撃兵と『サーヴァイス』隊長としての立場。互い、安易に勝敗など決してはならぬ間柄。
彼は明朝には出立する身。自分は自分で、休憩がてら兵舎を抜け出してきただけ。決闘などを行って大事があればどうなる。
そうした事情を鑑みれば、対決などできるはずがない――と。
今までの自分は、自然とそう考えることが先立ってしまっていた。常識で考えたなら不可能。何事に対してもそんな現実に縛られ、雁字搦めとなって。
(……でも、言えた)
この際、本当に決闘するか否かは問題ではない。
言えた。踏み出すことができた。今までの自分であれば、到底不可能だったこと。
これだけで、レヴィン・レイフィールドとしては価値ある大きな一歩となったのだ――
「…………、」
満足だ。悔いはない。
……さて、気持ちを切り替えなければ。
自己満足のための発言で、彼を困らせてしまった。早々に撤回しなければ――
「んじゃ、どこでやる?」
本当に、何でもないことのように。
首を横向けた流護が、そう尋ねてくる。肩をぐるぐると回しながら。
瞬間、レヴィンの思考が止まった。
「…………え?」
「いや、決闘すんだろ? 場所どうする?」
まるで、喫茶の店でも探すかのような気軽さで。
「な、何を言っているんだいリューゴ君……!」
「は? いや、あんたが言い出したんじゃねーか」
「そ、それは……! し、しかしだね……、か、からかわないでくれたまえ!」
「いやいや。これでやらねーんなら、からかってるのそっちじゃね?」
それはもっともかもしれない。
正面を向いた彼が続ける。
「つーかさ、言っただけで満足してんなよ。これから先、一生そうやって生きてくのか? 自分のやりてえこともやらねえまま、人から言われたことだけに従ってよ。それでいいのか? あんたはさ」
「――――」
刹那、息が止まった。
そうだ。それが嫌だから、踏み出した。決闘を口にした。
「なんかさ、分かった気がする。あんたが心ん中に抱えてたもんが」
「えっ?」
思いもよらないことを言われ、レヴィンは思わず流護を凝視する。
「あの、最初にあんたと闘技場で会った夜さ。違和感があったんだよ。ヒュージコングを相手にした見世物やって、その後に挑戦者とか募って。あん時レヴィンって、終わったあとベル子とメシ食いに行く約束してただろ?」
「ああ……うん、そうだね」
日々、分刻みで入れている予定。
急遽、別の予定を割り込ませることも日常だ。
レヴィンとしてはいつものことで、流護が何に違和感を覚えたのかが分からない。
「なんかさ……あんたのこと、聞いてた印象と違うなって思ったんだ。少なからずこれから闘うのに……万が一のケガとかあるかもしれんのに、終わった後の予定が当たり前に入ってて。最初、実は爽やかそうなフリして『ペンタ』特有の傲慢な奴なのかと思った。勝って当たり前だから、余裕こいてその後の予定とか入ってるんかと。でも、そうじゃないんだ」
確信したかのような彼が、凪いだ目を向けて。
「あんたにとっては闘うことすら『用意された日常』になっちまってて、もう何も感じなくなってたんだ。本当にただ、仕事の一つ。昂りも何も感じなくなっちまってるから、その後の予定が入ってるのも当たり前になってんだって」
虚を突かれた思いで、レヴィンの息が瞬間的に止まる。
『分刻みで入れている予定』。『レヴィンとしてはいつものこと』。
「んでも、今回は違うよな。俺らが決闘なんかしたら、後々が面倒なことになる。その後のこと考えたら、本当ならやるべきじゃない。でも、そういうことを無視してでもやりたい、って思ったんだろ」
「――――」
「あんたの言い方借りるなら、これで『三回目』だぜ。闘れる機会があんのに、またみすみす逃すのか?」
まるで悪い遊びにでも誘うように、流護は笑みを形作る。
「……、……けれど、君は……リューゴ君は、それで……いいのかい?」
おずおずと口にした、その疑問に対し。
「俺は構わんぞ。今ここででも始められる」
一切の迷いがない、その返答。
(そうだ、彼は……)
レヴィンも遅まいてハッとした。
以前の、彼と皇帝ヴォルカティウスとの対峙の折にも脳裏によぎったこと。
いつ、いかなる時も。誰と対峙しようと。どのように仕掛けられても、即応できるだけの肚が決まっている。
例え、その相手が一国の王であろうとも。そして、『ペンタ』であってもだ。
迷いも萎縮も動揺もない。
『最強』を目指すというその途方もない宣告が、本物であることを証明するかのごとく。
「――」
今、この機を。逃していいのか。
きっと、もう二度とない。ここを逃せば、彼と闘う機会が再び訪れることはないだろう。
それも運命と称して見送るのか。
何もせず、今までみたいに。
これほどの猛者と交わらずして、大陸最強の騎士?
エーランドは、『十三武家』の精鋭と渡り合った。『サーヴァイス』の五番手……国内でも指折りの猛者として上り詰めながら、挑戦する姿勢を見せた。そして、自らの可能性を見せた。
あの激闘が脳裏をよぎる。
(い、や……)
彼だけじゃない。
思ったじゃないか。
あの対抗戦を見て。
羨ましい、と。
「まあ、せっかくここまで完璧な無敗の英雄像ってのを『作って』きたんだ。無駄に俺とやって、戦績に傷つけることもないんじゃね? とは思うけどな」
流護は不敵に、事もなげに言ってのける。ただの挑発ではない。それは自負だ。レヴィン・レイフィールドが相手でも負けはしないと。
そうだ。そんな彼が相手だからこそ……勝てるか否か分からぬ相手だからこそ、惹かれているのだ。
敷かれた盤石の道筋をなぞるだけでなく。自らの意志で、挑戦を。
「んで、どうする?」
「……………………相応しい、場所があるんだ」
小さく。思考の堂々巡りになるより先に、レヴィンの口から言葉が飛び出した。
「はは、そー来なきゃな。んじゃ、行こうぜ」
流護は、遊びにでも応じるかのような気軽さで笑う。
――ああ、考えてみれば。
激務にかこつけて、こんな風に誰かをどこかへ誘うことすらありはしなかった。
そういえば、いつだったろう。エーランドとともに楽しい時間を過ごし、次の約束をしたのは。それすら未だ果たせていないことを思い返しつつ、レヴィンは足を向ける。
自らの意志で、相応しいその場所へと。




