699. 頂の空虚
さわやかな夜風に乗って、生徒たちの声が各所から聞こえてくる。
部屋で、中庭で、この半月の間に育まれた絆を改めて確認するみたいに。
「……」
流護が訓練に使っていた裏庭も、今やすっかり片づけてあった。
ひっそりと闇に沈むそこは、誰からも忘れ去られてしまった場所のように侘しい。
実際のところ明日以降、この狭い一角が活発に利用されるといったこともないだろう。そう思うと、感慨もひとしおだ。
後ろ髪引かれる思いでその場所を通りすぎると、並木通りの先に二人の生徒の姿が見えた。
(……お)
名前までは知らない。黒ローブの男子生徒と、ブレザーの女子生徒だった。隣り合って、街灯下のベンチに腰掛けている。その密着具合からして、どういった間柄なのかは言及するのも野暮というもの。しかし、である。
(いやあ。これから苦労しそうっすねぇ)
異国の学院生同士のカップル。
ベルグレッテたちのような貴族の家柄としての交流でもなければ、おいそれと国境を越えて会うことすらできない。物理的な距離の遠さもさることながら、往来に命の危険を伴う環境。
現代日本における遠距離恋愛とはまた訳が違う。
果たして、彼らにハッピーエンドは訪れるのだろうか。
「僕たち……また……会えるかな?」
「うん、きっと会える……! 私、信じてる……」
無論彼ら自身も、その困難さは分かっている。しんみりとしているのは、単に離れ離れとなってしまうからだけではないのだ。
(うんうん)
以前の流護であれば青春カップルに対しクキー! と思春期少年特有の羨望を爆発させていたかもしれないが、これは素直に応援したい気持ちになった。
彼らの邪魔をしないよう遠回りで外周を回って、門前に差し掛かった時だった。
(敷地の外出たら一旦休憩すっか。……ん?)
前方にひとつの人影。
最後の夜だ。何となしに物寂しくなって、宵の散歩に興じている生徒がいてもおかしくはない。
――しかしその人物は、生徒ではなかった。
夜の街でも映える眉目秀麗。街明かりに反射する銀の鎧姿は、おとぎ話から抜け出してきた伝説の主人公のようだ。
いついかなる場面で見ても、ビジュアル的に非の打ちどころがない。
正直なところ男の流護からしても、こんな風に不意に彼を目にすると一瞬息をのんでしまう。それほど容姿が突出して優れている。
はた、と流護は走り続けていた足を止める。
彼の……レヴィン・レイフィールドの目の前で。
「おう。こんなとこでどうした?」
気さくに話しかけると、『白夜の騎士』は戸惑いも露わに口を開いた。
「……ああ、リューゴ君……。いや。近くの兵舎に所用があってね、少し滞在していたんだ。窓の外をふと眺めたら、ちょうどここが見えたから。結局僕は、合同学習の期間中にここへは来られなかったなと思って」
寂しそうに、彼はそんな言葉を音に乗せる。
「まあ忙しいんだろ? しょうがないんじゃね」
「そう、だね」
「来たら来たで、大騒ぎになるだろうしな」
「はは……」
一拍の沈黙。近くの店や家から、人々のかすかな賑わいが漏れ聞こえてくる。
「リューゴ君は……走っていたみたいだけれど、鍛錬かい?」
「まあな」
「明日は早いと聞いていたけれど、そんな時でも欠かさずに凄いね」
「日課みたいなもんだからな。ま、ちょうど休憩しようとしてたとこだけど」
「そうか……」
またも静かな間。
正直な話、もうレヴィンと顔を合わせることはないと思っていた。
昨日は模擬戦が終わるや否やレインディール組の皆で帰還しているので、バルクフォルトの関係者とは顔を合わせていない。
明日の朝には出立。
いかに両国のかかわる初試みの『修学旅行』といえど、異国の学院生の見送りに国の騎士団の総隊長がわざわざ出張ってくるなど普通なら考えられない。
何となく、このまま……曖昧なまま、終わるのだと思っていた。
「…………リューゴ君。もし良ければ、休憩がてら少し一緒に歩かないか?」
「……おう、いいぞ」
だからか、そんな彼の提案も断る気にはならなかった。
ようやく空が闇一色に包まれた。
しかし白夜が特徴的なこの地方、さらに夏を控えたこの時期では、数時間も経てば再び光明が世界を照らし始める。
そうした性質もあってか、このバルクフォルトにおいて昼神インベレヌスは勤勉の象徴でもあるらしい。砦に滞在する日々、さすがに手すきの時間も多かった流護が蔵書を読んで得た知識だった。
そんな短い夜に沈む街並みへ、凪いだ視線を巡らせながら。それこそ勤勉の代名詞みたいなレヴィンが、はにかんで尋ねてくる。
「およそ半月、だったよね。このバルクフォルトに滞在してみて、どう感じたかな」
「ん? いや、いいとこだと思うぞ。めちゃくちゃ治安いいし」
まずレインディールと比べたなら、真っ先にその点が挙がる。
「こっちの王都とか、その辺ですーぐ殴り合いが発生するからな。みんな血の気が多すぎんだよ」
盗みも日常茶飯事だ。人ごみでは引ったくりが後を絶たず、それを追いかけた血気盛んな男たちが入り乱れて乱闘が勃発する。
遊撃兵となったばかりの頃は居合わせれば仲裁に入っていたが、当然ヒートアップした男たちは突っかかってくる。遠慮なくそれをねじ伏せるうち、今では流護が顔を出せばピタリと争いが収まる程度にはなった。
「はは。この帝都も、そんなには変わらないよ。本通りは一見華やかだけれど、下町はならず者の巣窟になっている。漁師も気性の荒い人が多いしね」
自分の短所のように恥ずかしそうに話すレヴィン。そこに、
「おおっ、レヴィン様だぁ!」
「なんと奇遇な!」
通りの向かいからやってきた中年男性の二人組が、まるで純粋無垢な少年みたいに駆け寄ってくる。
「お聞きしましたぞ~、レヴィン様! 何でも、あの『封魔』を討滅なさったとか……!」
「いやはや凄まじい限りですな! 過去に誰も倒したことがない怨魔を! これほどの稀代の英雄と同じ時代を生きられるという幸せ! バルクフォルト国民として、実に鼻が高い!」
「ああ、いえ。そのことに関しては、僕の力ではなく……」
「かー、この謙虚さよ! 俺らも見習わなきゃならんね!」
「まったくだ! くだらん自慢話ばっかりする仕事場の同僚どもに見習わせたいよ! ああ、お時間を取らせてしまい申し訳ありません……! お忙しいでしょう、では我々はこれにて!」
揃って頭を下げ、小走りで去っていく。ちょっとした嵐のようだ。
「おう、人気者だな」
流護がからかい気味に苦笑すると、しかしレヴィンはバツの悪そうな顔となる。
「例の『封魔』の件だけれど……すっかり話に尾ひれがついていてね。奴を討伐したのはリューゴ君なのに、いつしか僕の手柄であるかのように語られているんだ。申し訳ない」
「そうなんか。ま、いいんでね? 実際、トドメ刺したのはレヴィンだし」
流護としては割とどうでもいい。『過去に討伐事例のない怨魔を倒した』という箔は確かに魅力的だが、この手の話はどうせ正直に語ったところで誰も信じないのだ。
一方で、レヴィンならそんな功績を打ち立てても不思議ではないという信頼がある。それだけ、これまで名声を高めてきているということだろう。
流護もこれから名を売りたい身だが、まずはそういった土台作りから始める必要がある。
だが。
「――――僕の経歴なんて、作られた上辺だけのものでしかないんだよ」
英雄のその独白は突然だった。
「昔からそうさ。僕は生まれてこのかた、『挑戦』というものをしたことがない」
見上げた流護の視線を受けて、詳細を求めていると解釈したのだろう。レヴィンは寂しげな瞳で続けていく。
「我がレイフィールド家は、数ある貴族の一家系にすぎなかった。縁者もいなくてね、高名な詠術士や勇猛な武人を輩出したという記録もない。でも、それで良かった。父と母、そして僕だけの家族だったけれど……何不自由なく、幸せな生活を送っていた。ひとつだけ特異なことがあったとすれば……それは、僕が『ペンタ』として生まれたことだったのかな」
この世界にて憧憬や恐れの対象となる、選ばれし超越者。
稀有なその能力を生まれ持った彼はしかし、悲しげに目を細める。
「両親は僕が四歳の頃、馬車の事故で亡くなった。この帝都から南方の街へ向かう途中、崖から転落してしまってね」
「……、……それは、怨魔とか、野盗とか……」
流護が原因を推測して問うと、レヴィンは淡い笑みを浮かべて首を横へと振る。
「本当にただの事故だったのさ。だから……恨みを晴らす相手も存在しなくて、ただやるせなさだけが残った。それから一人残された僕は、『ペンタ』だったこともあってローヴィレタリア猊下によって育てられることとなった」
……ここで、密かに抱いていた疑問が解消した。
まず、傲慢な気性が目立つとされる『ペンタ』にもかかわらず、人格者として知られていたレヴィン。幼少時からのローヴィレタリア卿による教育の賜物だったのだろう。
そして、もうひとつ。
この国の要人を交えて開かれた、オルケスターについての首脳会談。
リウチやシロミエール、エーランドの親といった面々に声をかけたとローヴィレタリア卿に聞かされたが、そこに『レイフィールド家』の者の名はなかった。実際、場にもいなかった。これが少し引っ掛かっていたのだ。
その点でいえばシスティアナの家も同様だったが、そこは彼女が言っていた。今現在は貴族としての家名が落ちているので、ああいった場に呼ばれるほどの序列にないのだと。
「それから僕は、猊下の下でリウチと共に鍛錬に明け暮れた。……ああ、リューゴ君は、彼とは面識があったかな」
「おう、何回も話してるよ。港でリウチさんの知り合いの漁師の人から、貝とか分けてもらったし。気さくでいい人だよな。女好きだけど」
「はは。昔は、あんな風に軽薄な態度で女性へ接する男ではなかったのだけど。彼とは何年も二人で切磋琢磨してね、鎬を削ったものさ。……でも、月日が過ぎるうち……いつしか、彼との間には距離ができてしまった。それでも……一人となっても、僕は邁進し続けなければならなかった。未来のバルクフォルトを担う騎士となるために」
一瞬の躊躇いを置いて、騎士は黒一色の夜空を仰ぐ。
「そうして僕は気付けば、猊下が用意された道を歩むだけの存在となっていた――」
空虚さが滲んだ言葉だった。
「例えば、僕が過去に出場した天轟闘宴。あれは、レフェ最強と名高いドゥエン氏が不参加の回だった。あらかじめ勝てる舞台が用意され、僕はその筋道をたどるだけだった」
「……んで実際、楽勝だったか?」
「いや。腕利きばかりだったさ。考えもしないような闘い方をする戦士もいて……世界は広いのだな、と思い知らされたよ。特に……最後に当たった相手が、恐るべき使い手だった」
聞いている。その相手の名は、グリーフット・マルティホーク。こんなところで繋がるのだから不思議な縁だ。
流護も天轟闘宴で見えることこそなかったが、彼の実力の高さはバダルノイスの一件を経て認識している。
そして当時十三歳のレヴィンは、そんな彼と対戦し勝利を収めたと。
「……でも、滾ったよ。今にして思えば……初めて、強敵と呼べる相手と刃を交えたのはあの時だった。『これだ』、と。僕の求めていた何かに……その時、手が届きかけた気がした」
少しだけ熱を帯びたかに思えたレヴィンの声音だったが、緩慢に萎んでいく。
「けれどあの戦いを契機に、僕に宛がわれる『試練』はより安全なものへと変わった。『万が一』が起こらないように、との配慮なのだろうね。『翔鬼』マナンガライトを討った時も、『東の黒毒沼』にてファスティカリクス掃討作戦を決行した際も。いずれも『サーヴァイス』や兵士たちが死力を尽くして敵を追い詰めた後に、僕はそこへ駆けつけただけ。とうに弱り切った敵を討ち、結果のみを掻っ攫っていったにすぎない」
僕は、と『白夜の騎士』の……稀代の英雄の言葉に震えが交ざる。
「――僕は……自らの意志で困難に立ち向かって勝利を手にしたことなど、ただの一度もないんだよ。全て、『勝たされて』きたんだ」
「なるほど……」
「僕自身、納得して選んだ道だ。しかしそれでも、年々虚しさが募ってくることに気付いたんだ。確約された勝利とは、こうも無味なものかと……」
言うなれば、ブランディングである。
レヴィン・レイフィールドという完璧な英雄像を作り上げるために、活躍の舞台を用意されてきた。確実に勝てる相手とだけ闘わされてきた。
そして彼は、その期待通りにやり遂げてきた。しかしそんな現状に、もどかしい気持ちを抱いている……。
「リューゴ君は、『サーヴァイス』の上位に列する者の名を耳にしたことがあるかな」
「ん? いや。確かエーランドで上から五番目ぐらい……なんだっけ?」
隣国バルクフォルトが誇る精鋭部隊、『サーヴァイス』の名前はレインディールでも耳にすることがあった。
しかし、詳しい話までは聞いていない。エーランドの名前も序列も、この国へやってきて……交流をして初めて知った。
「ああ。エランも本当に頑張っているよ。短期間で上り詰め、目覚ましい成長を遂げているけれど……中でも、上位二名の実力には敬服するばかりさ。リゲルレッド卿と、ミードルイア殿……ともに、本来であれば大陸に名を轟かせていてもおかしくない使い手だ。正直なところ……この両名に関しては、今の僕が挑んだとて勝てるかどうか……」
「え? そんな強いん?」
思わず流護が目を丸くすると、『大陸最強の騎士』は迷わず顎を上下させた。
「ミードルイア殿に関しては、ナスタディオ学院長と懇意だね。どこか似た者同士でね、互いに認め合っている存在だそうだよ。ああ、本人にこう言うと否定されるのだけど」
「へー、そうなんか……」
『あの』ナスタディオ学院長が認める人物、というだけで只者でないのが分かる。
しかし、だ。
「いや初めて知ったな。そんな凄い人がいるなら、もっと名前知られてそうだけど」
「だろう? それも猊下のご方策なんだ。僕だけを際立たせるための、ね」
ふう、と彼は溜息をつく。
「そしてリゲルレッド卿もミードルイア殿も、本当にできたお方なんだ。猊下の考えに賛同され、僕を立てるため影に徹している。あれほどの実力を持ちながら……」
申し訳なさそうに独白した。
流護としても、バルクフォルトの話を聞いた際に気にかかったことがあった。
あまりに輝かしい、稀代の英雄レヴィンのエピソード。
耳に届くのは完璧すぎる『白夜の騎士』の逸話ばかりで、その他の者については一切聞こえてこない。とにかくバルクフォルトにおいては、レヴィンのみが称えられている。そんな印象だった。
「あの両名の真の実力について知っているのは、国内でもほんの一握りの者だけさ。エランですら正しく把握できてはいない」
確かな強者が他にもいながら、しかしレヴィンのみを際立たせる徹底したプロモーション。
ローヴィレタリア卿は、この『白夜の騎士』をスターの座に据えようとしている。
そして、その筋書き通りに事は進んでいる。
が、当人は。
「滑稽な話さ。僕は覇道を歩んでなどいない。傀儡のように、自分の意志も持たず歩まされているだけなんだ――」
誰も嘲笑ってなどくれないから、自分がする。そうといわんばかりの自虐的な笑みだった。いっそ罵ってほしい。そんな心の裡が垣間見えるような。
「んー、そうだな。俺の意見を言わせてもらうと……」
恥じ入るような彼に対し、流護は率直に口を開く。
「それは、悪いことなんかな?」
レヴィンは、足すら止めて驚いた瞳を向けてくる。
「そういう話はさ、俺の故郷でもあったよ。売り出したい選手に箔をつけたくて、あれこれ注目させるようなことをするんだよな。やたら人前に出したり、わざと勝てそうな対戦相手連れてきたりとかさ。……でも、案外上手くいかねーんだ。格下の相手にコロッとやられちゃったり、逆に疑惑の判定で勝たされたり、私生活のくだらんスキャンダル抜かれて印象悪くなったり」
ついでに言えばメディアが推そうとするに従って、不自然さが際立ち反発も大きくなったりする。
名が売れるにつれ……上を目指すにつれ避けては通れぬ強敵と対峙することになり、実際に交わった結果大敗を喫することもある。化けの皮が剥がれる、幻想が崩れる、と表現される現象だ。
概して、狙い通りに本物のスター選手が生まれることのほうが少ないのではなかろうか。
「期待されてその通りにやってこれたってのは、普通にすげぇことだと俺は思うよ」
成功を重ねるごとに、プレッシャーも増えていく。
何より流護自身、味わっている。新進気鋭の新人として空手部に入部しながら、その思いに応えることはできなかったのだから。
「その『サーヴァイス』のすげえ人たちも、レヴィンならやれるって思ったから協力してんじゃねえかな」
高い実力を有していながら、自らが裏方に回ることも厭わなかった。もちろん、流護としては当人たちを見たこともないのでその真意は知りようもないが。
レヴィンはというと、変わったものを初めて目にするかのような視線で流護を凝視していた。ややあって、
「………………そう、か。そういう捉え方も、あるんだね。……やはり、君は興味深いよ」
どこか羨ましそうに、そう呟いた。




