698. 帰還前夜
この地方特有とされる青白い雲がたなびき、黄昏時の空を鮮やかな紫色に彩る。
ミディール学院生とリズインティ学院生のそれぞれ三年生が留まるダルクウォートン砦を、そんな夜の気配が包み始める頃。
「うーん、さすがに狭いね!」
目を白黒させるミアだが、その状況を嫌がる雰囲気はない。それどころか、明らかなワクワクがだだ漏れている。
「全くですよ。ひとつの寝台に二人は収まらないと」
クレアリアが目を平坦にしつつも、
「……ええと……どうぞ、リム殿。その、お嫌でなければ」
「は、はい。……しつれい、します」
その少女を手招きし、奥に詰めて座る。
「えっと、隣、お邪魔するね。アヤカさん」
「あっ、はい! どうぞどうぞ」
てんやわんやの様子を見守る彩花の隣に、黒ローブの女子生徒がやってきた。彼女の座るスペースを確保すべく、自分のベッドの奥へ腰を落ち着ける。
「ったく、狭苦しいったら!」
ベッドのひとつでは腕を組んだマリッセラがプリプリしていたり、
「悪いんだどエメリンさんや、もうちょっと奥詰めておくれ~」
「うーん、狭いよー」
ミディール学院でおなじみのマデリーナやエメリンたちも集っている。
――さて。場所は砦内に宛がわれた女子の寝室。
三週間もの日々を過ごしてすっかり慣れたその場所には、およそ二十名近くにも及ぶ女子たちが集結していた。ミディール学院とリズインティ学院の生徒が半々、プラス彩花である。
元より広い部屋ではあったものの、さすがにこれだけの人数が集うとぎゅうぎゅう詰めだ。
「ふっふ! さあ、皆集まったわね!?」
と、そんな中でシスティアナが首を回して全員を見渡す。
「よーし、じゃあ一同を代表して、ベル! 音頭を頼めるかしら!」
「わ、分かったわ。それじゃあ……みんな、飲みものを持って」
ベルグレッテの言葉に従い、各々がグラスを手にする。ちなみに、中身はもちろん酒ではない。ジュースである。
「ええと、それでは……今回の合同学習を通じてのみんなとの出会い、そして結ばれた友諠、これからの明るい未来を祝して……乾杯!」
かんぱーい、と輪唱する声、そしてグラスをかち合わせる涼やかな音。彩花も、周囲にいた生徒たちと次々にグラスを合わせていく。
(……うん、おいしい)
何の変哲もないリンゴジュースだが、こうした雰囲気の中で味わうとまた趣があるものだ。
――長きに及んだ交流、その最後の夜。
ということで、都合のついた女子たちの間でお泊り会を開催することになったのだ。
そして各所で始まるお喋り。
「あーあ、明日でついにお別れかぁ……。でも、ずっと友達だよ。手紙出すから!」
「うん、わたしも! 本当に楽しかった!」
ブレザー女子と黒ローブ女子の間では、すでにかけがえのない絆が結ばれている者も少なくないようだ。
「でもさ……きっと、もう二度と会えないよね……」
「そ、そんなこと言わないで。今回の修学旅行を切っ掛けにして、行路の安全性を高めるなんて話もあるし……。きっとまた会えるよ!」
近づく別れの時を惜しみ、涙を浮かべている者もいる。
「エメリンさんは、通信術が得意よね。でもそれでも、これだけ離れてると届かないよねぇ……」
「うーん、さすがにねー。『ペンタ』でも無理だと思うよー」
「マデリーナさんは商人になるんでしょ? なら将来、こっちに来る機会とかあるんじゃない?」
「ん-、どうだろうねぇ。王都で店を切り盛りすることになると思うんだよね。こっちにも支店を出せれば、もしかすれば……ってところかねぇ」
「じゃあ、商売繁盛を祈ってるわ!」
どうにかして皆、今後も交流を持ちたい意向ではあるようだ。
しかしきっと、現実的ではない。
レインディールからバルクフォルトまで、馬車で原則二週間。しかも、道中では何が起きるか分からない。命の保証もない。気軽に行き来できるような環境でないことは確か。
「……その点、我々はまた来年になれば顔を合わせますしね。……その……リム殿にとっては、不本意かもしれませんが」
「っ、そ、そんなこと……ありません。……たのしみに、しています」
「そ、そうですか」
「はっ、はい」
クレアリアとリムは何やら初々しい会話を交わしていた。模擬戦以降、ちょっと距離感が変わっている気がする。
「……いつかまた、バダルノイスに来たらいい。……メルも、あなたに会えれば喜ぶと思う」
「そ!? そそ、そ、すーっ……そうでしょうか!? わ、わたしなんかが……会いに行っても、よろしいんでしょうか……!」
「……うん。……私も、その時を楽しみにしてる」
「……! はっ、はい! きっと……いえ、必ず!」
レノーレとシロミエールは隣り合って、これまでと変わらない……否、しっかり仲の深まったやり取りを続けていて。
「アヤカさんは、ミディール学院の食堂で働いてるんだっけ」
「あっ、はい。そうです」
「得意料理とかはあるの?」
「えーと、まだ厨房とかにはそんな入ってはないんですけど。そうですね――」
彩花も隣の女子に声をかけられ、会話の輪が広がっていく。
神詠術という超常の力と、怨魔という恐ろしい怪物が実在する異世界。
でも、同じだ。
こうして、年の近い子たちと話していれば。他愛のない会話も、笑い声も、自分のいた地球と……日本と、何ら変わらない。彩花としては、ただ純粋にそう思う。
死と隣り合わせの危険な世界だなんて、認めたくないぐらいには。
(…………ほんと。ずっと、こんな時が続けばいいのにな……)
何の力も持たぬ少女には、ただそう願うことしかできなかった。
「うし」
荷物をまとめた有海流護は、一息ついて自らのベッド周りを改めた。
すっきりとして、私物の類はもう置かれていない。
準備は完了。あとは明日、ここを発つだけだ。
三週間もの間ここで寝泊まりしたので、さすがに少し愛着も湧いている。一方でそろそろ学院の自室が恋しい思いもあり、なかなか複雑だ。
すぐ脇で開け放ってある窓からは、心地いい夜風が吹き込んでくる。そこより垣間見える空は紫の残滓を漂わせていて、えも言われぬ美しさを醸し出していた。バルクフォルト特有の、短い夜の世界が始まる。
(この空も見納めか)
最後だと思うと名残惜しくなるものだ。
せっかくなので携帯に写真でも残しておこうかと思ったが、どうせ彩花がスマホで撮っているだろう。
その窓からは風だけでなく、かすかな喧騒も入り込んできた。
いよいよ修学旅行最後の夜、両学院の生徒たちが別れを惜しんで交流しているのだ。
聞けば、リズインティ学院の三年生はほとんどこの砦に来ていて、今夜は泊まっていくつもりの者が多いらしい。
ベルグレッテや彩花たちも、システィアナらとお泊まり会だそうだ。
修学旅行の目的のひとつであった、『同好の士たちとの交流』は大成功といえる。
異なる国の詠術士の卵同士、こうした繋がりを持てたことは大きな成果と呼べるのではないだろうか。
そして、昨日の対抗戦。
催しとしては余興だったろうし、勝敗に固執したものではなかった。
しかし、出場した彼らの満ち足りた顔が印象的だった。各々、あの勝負を通じて得たものがあったかのような。
(…………)
正直、蚊帳の外だった少年としては少し羨ましい。
(……そいや、レヴィンも言ってたっけな。「羨ましい」って)
「アリウミ遊撃兵、いよいよ修学旅行も終わりですな。明日以降の帰路も、よろしくお願いします」
何となく窓の外を眺めていると、同室の男性教員が話しかけてきた。
歳は五十代ほどで、やや広くなった額や刻まれた皺が年相応の苦労を感じさせる人物である。親子ほども年齢が離れているだろうに、彼の腰は低い。
この部屋に着いた当初も、こんな風に彼と他愛ない世間話をした覚えがある。
「まあ、帰るまでが修学旅行っすからね。きっちりと仕事するっすよ」
「おお! 帰るまでが修学旅行、ですか。なるほど……素晴らしい言い回しですね!」
日本なら誰もが聞き覚えのありそうなその文言を口にすると、ファンタジー世界の教師は感銘を受けたとばかりに破顔した。
「さて。最後に、砦の周りでも走ってくっかな……」
走り納めである。そう思うと、寂しさもひとしおだ。
「ううむ、いかなる時も鍛錬を欠かさぬその姿勢……まだお若いのに、頭が下がるばかりですな」
「いやまあ、これぐらいしかやることないんで」
苦笑した流護は、肩を回しながら部屋を後にした。




