697. わだかまる思い
『さあ、ついに両者出揃いました! どちらも三年生のまとめ役! まさに、最後を飾るに相応しい一戦でしょう! アンドリアン学長にご紹介いただきこそしましたが、システィアナ選手は私も面識があります、確かに締めを任せるとなれば彼女ですね、と納得するところがあります! そして対するベルグレッテ選手も、先の一戦のクレアリアさんのお姉さんということで、期待は高まるばかり!』
全方位から降り注ぐ喝采の中、システィアナは反対の舞台端にいる少女を改めて見やった。
(さすがね、ベル)
緊張も、入れ込んでいる様子もない。
加えて、こちらを侮ってなどいない。この距離からでも、ピリリとした空気が伝わってくる気がする。
いっそ油断でもしてくれればつけ入る隙が生まれるかもしれないが、それは期待できない。この三週間で、彼女がそんな人物でないことはよく分かっている。
「準備はいいか!?」
試合場の外に構えたドーワ審判員が声を張る。
期せず、システィアナとベルグレッテの点頭は重なった。
「ッ……始めええええぇぇ――ィンッ!」
終わりの始まりを告げる渾身の怒号。爆発、と表現するに相応しい大歓声。
試合場の二人は、それに反してその場から動かなかった。
(……っ、ベルも『そう来る』ってわけ……!)
開幕直後のこの瞬間、予想される展開は二通りだった。
すぐさま接近しての近距離戦に持ち込んでくるか、その場で詠唱を始めるか。遠距離戦を得意とするシスティアナは最初から後者一択のつもりでいたが、ベルグレッテがどう出てくるかは判じかねるところだった。
しかし、彼女も同じ選択をした。
(いいわ、受けて立とうじゃない……!)
自分の得意分野。望むところだ。
「――――我が手に来たれ、紅蓮の一矢」
詠唱を完遂した少女は、己の全霊となるその力を顕現する。
形状は弓と矢。
身を翻し、片膝立ちとなって炎矢を番え、対角線の遥か向こうへいる彼女へと照準を合わせる。
『うおぉ――っ、出たぁ! システィアナ選手の得意技にして必殺の一矢、燐焔宝弓! し、しかもこの雰囲気は……っ、』
『む……』
ローヴィレタリアが短く呻き、
『……本気だ』
レヴィンが正鵠を射る。
そう、一切の加減なし。
模擬戦の範疇を逸脱した、直撃すれば最悪の事態が起こり得る一撃。間違っても、友に向けて放つような術ではない。
だが。
遥か遠くにいる彼女は、まるで動じた素振りなど見せはしなかった。それどころか、勇ましい表情でかすかに首肯する。
(でしょうね、ベル。あなたなら……)
たった三週間の間柄でも、もう分かり切っている。
彼女は頼りになる仲間だ。そして翻せば、これ以上ない強敵。本気を出さなければ、とても勝機など望めない相手。
「いっ……けえええぇ――――っ!」
システィアナは指を弾き、灼熱の一閃を解き放った。
自らの耳をもつんざく轟音。その向こう側で、聞こえるはずのない声が聞こえた。
「水よ、我に力を――」
と。
実際に聞こえた訳ではない。ベルグレッテの可憐な唇が、そう動いたのだ。
膨大な煌めく水流が、瞬く間に現界。少女騎士を守護するように渦巻き取り囲む。
確か、その名は――アクアストーム。命名はミアだという。実習の中でも見せてもらった。その姿はさながら、白銀に輝く水の大蛇。
舞台の中心にて。
真正面から激突する、炎の閃光と水の激流。わっ、と悲鳴じみた観客たちの歓声すらかき消される。
『ぬ、ぬわ――――! もう模擬戦の規模じゃないですよこれ――……!』
エフィの叫びすら聞き取れなくなるほどの残響の合間、システィアナは歯を噛んで力を注いでいく。
(負け、る……)
踏ん張った足の裏が、地についた膝が、渾身の一手を放ち続ける肉体が、後ろへと押される。それでも。
(負け……る、もんですか――――!)
赤と青が均衡を保つ中、即座に二矢目を番え、速射。アクアストームと食い合う炎の閃光を後押しする。
「っ……っし!」
確かな手応え。行ける。押し返せる。
「いっ、けえええぇぇぇ――――!」
三射目。ダメ押しの一矢が、ついにベルグレッテの維持するアクアストームを消し飛ばした。
勢いのまま直線に突き抜けた真紅の矢が、観覧席の壁へと突き刺さる。虚空に帰す白い飛沫が、きらきらと舞台を彩って――
(……え?)
確かに、打ち勝った。それはいい。
でも。
すでにその対角線の延長上に、ベルグレッテの姿はなかった。
「――――」
それは静かな小川のせせらぎのように。
横。もう、目の前。
脇から接近してきたベルグレッテが……互いの大砲を隠れ蓑にここまで迫った少女騎士が、軽やかに踏み込んできていた。
両手に、白く輝く二振りの剣を携えて。
――彼女は最初から、アクアストームで押し切るつもりなどなかったのだ。
(やって、くれるじゃない……!)
だがシスティアナとて、接近戦が不得意な訳ではない。燐焔宝弓に力を注げば、そのまま曲刀として扱うことができる。
応戦だ。
ただ、やはり分は悪い。彼女の近接戦闘能力の高さは実習の中でも存分に理解している。
(どうにか凌いで、また遠距離戦に持ち込むっ……!)
迷わずそう決めたシスティアナの視界から、まさに水みたいに。
ベルグレッテの姿が、『流れ消えた』。
「――――――え」
その原因が、あまりの実力差に由来する視認漏れだと。
システィアナが気付いたのは――、
『たっ、たた、倒れたあああぁ――――――っ! ベルグレッテ選手がすれ違った直後っ……、一秒、二秒ほども経ってから、システィアナ選手っ……、糸が切れたかのようにっ……膝から崩れ落ちたああぁ!』
石畳にうつ伏せに横たわり、
「……っ、……十っ! それまでえええぇェェィッ、試合終了オォォォ! 勝者、ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードオオォッ!」
ドーワ審判員の最後の怒号と、観覧席の大喝采を耳にした後だった。
三勝一敗一分け、ミディール学院側の勝利。
そんな結果で幕を閉じた対抗戦から一夜明けて藍葉の月、十九日。
いよいよ合同学習も終了、ミディール学院生たちは明日にはこのバルクフォルト帝国を発つ予定となる。
「昨日はごめんなさいね。ろくに挨拶もできなくて」
ミディール学院生らの宿泊するダルクォートン砦は屋上。
澄み渡った青い空と広がる白い雲を背に、システィアナは昨日の対戦相手へ詫びの言葉をかけた。
「いえ……。気にしないで」
その相手――ベルグレッテはというと、すっかりおなじみとなった慈愛溢れる微笑みを咲かせる。
本当に、何というか。
あんなにも強力な使い手だとは思えないぐらい。
――試合時間、わずか一分足らず。
敗北した直後は、その結果を信じられなかった。
何が起きたのか、システィアナには分からなかった。
開幕から、全力の遠距離攻撃をぶつけ合って。ほぼ互角、どころかそこはわずかに自分が上回った。
しかし少女騎士はそれを牽制として間を詰めていて、そして――
(こめかみと、顎……)
ベルグレッテの握った水の双剣によって、撫でるようにそれらを『押された』。
次にシスティアナが目覚めた時、そこはすでに医務室の寝台の上だった。ケガらしいケガもなかったが、身体の中でその二箇所に違和感が残っていた。
「それにしても、知らなかったわ。人って、こんな簡単に倒れるものなのね……」
どんな攻撃が来ようと、決して屈せぬ心づもりでいたというのに。
後になって聞いた。人体にはいくつか致命的な『急所』が点在しており、そこを的確に突けば昏倒させることも容易なのだと。
確かに拳闘試合などにおいて、屈強なはずの大男が一見何気ない攻撃であっさりと倒れるのを見たことがある。倒した側も倒された側も意外そうな反応をするのだが、まさにそれなのだろう。
「そもそも戦闘における知識にも差があった、というわけね……」
競うのは人と人。年齢も同じ学院生同士。
その昔、どこかの偉い騎士が残した格言がある。『闘いとは天秤』だと。
より先に、より的確な攻撃を当てた側が勝つだけの話だと。天秤がどちらに傾くかなど分からない。そんな話。
……そんな一縷の望みにすがり、わずかほどでも勝る可能性がある、などと考えるのはおこがましい話だったということか。
「いえ。私も、リューゴとの訓練で学んだのよ」
それをやってのけた少女騎士はというと、どこまでも謙虚である。
「でも、それを体得したのはあなた自身でしょ。誇るべきことだわ」
この技術は、四戦目にてクレアリアも実践しようとしていたという。不発にこそ終わったが、彼女たちは新たな知識や技術を取り入れて日々研鑽を重ねているのだ。
(……不純な動機で挑んだ私なんかが、勝てるはずもなかったってわけね……)
目指す境地も、努力の質も違う。
ベルグレッテを高く評価したローヴィレタリアの見立ては正しく、自分はあまりにも未熟だった。覆すことなど、到底できなかった。それだけのことだ。
「まぁとにかくっ! 終わったからには、もう遺恨もなしよ! さあ、今日は思いっきり羽を伸ばしましょ、ベル!」
「……うん、ありがとう。シス」
今日は最後の一日。
合同学習は終了しているが、両学院の生徒には本日いっぱい自由行動が認められている。
屋上から見下ろすと、砦前の広場には黒ローブとブレザーの生徒が多く入り乱れて思い思いの時間を楽しんでいた。
別れを惜しんで、大半のリズインティ学院生たちがここへやってきてともに過ごしているのだ。
「…………」
終わる。
今日を境に、明日以降のシスティアナの日常は大きく変わる。
ベルグレッテやミディール学院の皆が帰って、マリッセラもそこに同行して。
残るのは、繰り上げで首位になる自分。そして夢破れた恋。
自分は、これからどうするのだろう。
目標も失われ、抜け殻のように生きていくのだろうか。家名を復権させたいという思いはある。しかし……。
(……今なら、ちょっと分かるかも。リウチがああいう風になっちゃったのも……)
「…………はぁ」
「シス?」
「ううん、何でもないわ。さっ、いよいよ今日で最後よ! 何する? 海! ……には、この前行ったものね。しかも、ひっどい目に遭ったし……。さ、どうしよっか!」
だからといって、ここでベルグレッテを恨むなど言語道断だ。ただでさえもう何も残っていないのに、そんな逆恨みまでするようではいよいよ自分を嫌いになる。
(ただ、私が下手を打っちゃっただけなんだから。いつもみたいに……)
そしていつもより、失うものが大きかっただけ。
(…………、)
右肩に乗ったオレオールが、少し悲しそうな目を向けくる。ベルグレッテも、きっと感じ取っている。自分の空元気を。
「と、とりあえず下に降りましょう! ほら、ベル! 早く!」
「……、ええ」
いよいよ最後なのだ。後味の悪さなど残したくはないのに、システィアナにはそれを払拭するいい考えも浮かばなかった。




