695. 欲しかったもの
『っ、っ、たっ……たた、倒れたああああぁぁっっ! 打倒! 打倒だぁ、前のめりに崩れ落ちたあぁ――――っ!』
エフィの絶叫とともに、生徒たちの歓声が爆発する。
『やっぱし、最後にモノを言うのは地道な研鑽よね。付け焼き刃なんてそうは通用しないし、身体に染みついた技術が咄嗟に出るものよ』
ナスタディオ学院長のそんな評が聞こえてきた。
地鳴りめいた喝采はエフィの広域通信に乗り、凄まじいまでの大音響を轟かせる。
「……っ、……、……か、…………」
地面すら震わせる熱狂。
闘技場のざらついた石床の感触を、頬に感じながら。
前のめりに倒れ伏した少女――――リム・リエラ・ローヴィレタリアは、明滅する意識を辛うじて繋ぎ止めていた。
『終始優勢と思われたリムおじょ……選手、ここに来て轟沈――――! 二人がぴったりと密着するほどの超至近の間合い、決まったのは……膝っ! 膝です! クレアリア選手の放った左の膝蹴りが、踏み込んだリム選手の腹部を直撃! リム選手の小さな身体が、思わず浮き上がるほどの……! これにはたまらず崩れ落ちましたあぁっ!』
そこでようやくリムは理解する。
クレアリアが伸ばした腕を躱し、踏み込んだ。
勝ちを確信したはずの自分がどうして倒れたのか。近すぎて見えなかったのだ。
そうだ。練習の時は、いつも形だけ。寸止めされていた膝の突き上げ。あの間合いであれば、これ以上なく有効な一撃だっただろう。
(……、か、っ…………、い、……息、が)
目の前がちかちかする。
(………………~~っ)
苦しい。呼吸がままならない。
骨が折れたかもしれない。
「リムちゃん! あああぁリムちゃぁん!」
歓声に交じって、母の絶叫がかすかに聞こえてくる。
「三……ッ、……四ッ……!」
いつしか始まっていたドーワ判定員の秒読み。そして。
『……ナスタディオ学院長の仰る通り。実戦において、付け焼き刃など通用はせぬ。慣れもせん、反撃を受ける間合いで闘い続けたリムの落ち度よ』
父の言葉はこれまでと変わらない。
それも当然か。結局はこうなった。
首をわずかに動かすと、目の前の石畳に屹立するクレアリアの両足……彼女の履く編み上げブーツが視界に入る。これが実戦なら、とっくに頭を踏みつけられて終わっている。
「七ッ……!」
進む秒読みとともに、その踵が翻った。
『っ、クレアリア選手、踵を返して歩き始めます……! ま、待ちません! その場でリム選手が起きるのを待たなぁい! もうリム選手が立ち上がれないと確信しているのでしょうか、試合場の縁へと向かっていきます……!』
「……、……ま…………」
まって。
まってください。
せめて。
せめて、言わなきゃ。
わたしは。わたしは、あなたのことを――大きらい、なんかじゃなかった。
震える腕を伸ばす。届かない。かすれていく視界の中で。
申し訳ない。ごめんなさい。
あなたは、あんなにも痛みに耐え抜きながら闘い続けていたのに。自分は、こんなにも簡単に倒れてしまって。
足音が遠ざかっていく。眼前に転がる存在に、興味をなくしたかのように。
(まっ、て)
しつぼうしないで。おいてかないで。
誰も認めてなんてくれないのに。この人にまで見限られたら、自分はもう存在する価値すらなくなってしまう。
だから――
「――十ゥッ……! それまでえええぇぃッ!」
『十秒経過あああぁっ、リム選手立ち上がれず! 試合終了っ、四戦目の勝者はっ……クレアリア・ロア・ガーティルード――っ! こ……これで対抗戦はミディール学院の二勝目……! そしてこの時点で、リズインティ学院の勝ちはなくなりましたああぁ――っ……!』
少女の薄らぐ意識は、そこで急速に途絶えていった。
「……なんて顔してんだよ、勝った人間の顔じゃねえぞ」
流護が苦笑しつつ軽口を叩くと、戻ってきたクレアリアは目も合わさず言い捨てる。
「生まれつきの顔ですよ。放っておいてください。医務室へ行ってきます」
試合に勝った喜びなど欠片もない。疲れ切った、感情を失ったかのような無表情で。そのまま足を止めることなく皆の前を素通りして、観覧席の出口へと向かっていってしまった。
「クレア……」
姉が、心配そうな眼差しを誰もいなくなった空間へと送る。ミアもぷるぷると縮こまった。
「うう……クレアちゃん、ボロボロだったよ!」
「……ケガ以上に、メンタルに来てそうだったけどな」
今しがたの実況で、学院長やローヴィレタリア卿が言っていた通りなのだ。付け焼き刃など、そうそう通用するものではない。
クレアリアの発想はよかった。
彼女はおそらく、いつぞやの流護の助言から『掌底』を狙った。
しかし、ほとんど土壇場の思いつきにも等しい一手。集中し切っていたリムには通じず、そして――
(咄嗟に出た膝蹴りが勝負を決めた)
無意識に繰り出せるほどなじんでいたそれが、危機に瀕して反射的に出た。
妹騎士の足癖悪さ(褒め言葉)は、流護も日々の訓練で体感している。
倒れ伏したリムを見下ろすクレアリアの表情は、「やってしまった」といわんばかりにこわばっていた。無意識に……反射的に、加減なく叩き込んでしまったと。
(逆に言や、あのリムって子がそこまでクレアを追い詰めたってことでもあるんだけど……)
当初の下馬評を覆す、拮抗した勝負だったといえよう。
「もう、だから言ったじゃんー……!」
「ん? 何がだよ」
と、何やらここで彩花がおかんむりだった。
「こんな試合でバチバチやり合って! リムちゃんめっちゃ苦しそうでかわいそうだったし、クレアリアさんはヘコんでるし……! なんか後味悪くない? 人間関係壊れたらどうすんのこれ!」
「それは……まあ、本人たち次第なんじゃね」
「丸投げ!」
ちなみにリムはカウントアウト後も起き上がれず、担架によって運ばれていった。周囲の係員を振り切ったエルメラリア夫人に付き添われて。
「そもそもさ、あのリムって子が試合に出るなんて誰も思ってなかった訳だよな。んでも自分の意思で出て、試合中にも何か喋ってたし……。こればっかしは、あの二人の間で折り合いつけることなんじゃねーの」
正直、リムがどういった感情から試合への出場を決めたのか想像はつく。
この結果を受けてどうするのかは彼女次第だろう。かつてのクレアリアのように成長の糧とするのか、それとも立ち止まってしまうのか。リムをよく知らない流護としては、どちらに転ぶのかは分からないが。
「……大丈夫よ」
と、話を聞いていた姉が断ずる。少し心配そうな顔ではあったものの。
「あの二人なら、きっと問題ないわ」
『……ということで、リムお嬢……、選手が優位に試合を進めていたかに思われましたが、大逆転の膝打ち……。ええとアンドリアン学長としては、どのように見られましたか!』
『ふぉっふぉっ。えー、そうですな。あー、とにかく間合いが近かったの一言に尽きましょう。えー、あれほどの距離となると、徒手での決着も不思議ではなくなってくる中で――』
「猊下」
「…………」
「猊下」
「……、む。何じゃ、レヴィンよ」
腕を組んで微動だにせずいた最高大臣へ呼びかけると、二度目で反応があった。そちらを見ずに、騎士は提案する。
「リム嬢のところへ行ってあげてください」
「……何を言い出すかと思えば……」
予想通りの反応に対し、しかしレヴィンは引き下がる気もなかった。
「リム嬢がどういった心持ちでこの試合に臨んだのか……それは僕には分かりません。ですがきっと、彼女のことですから出場を決断するには大きな勇気を必要としたはずです。そして、実に見事な闘いぶりだったではありませんか。戦場に立った詠術士として指標となるような、讃えられるべき姿だったと思います。是非、労いのお言葉を掛けに行かれてください」
「…………ふん。気が向いた折にでもな」
ローヴィレタリアは公正を旨とする最高大臣兼、リズインティ学院特別顧問である。これほどの試合を演じた『生徒』に対し、評価せぬことは道理に沿わない。
が。その答えでは足りないと、レヴィンはなおも言い添える。
「いえ。今、お声掛けに行かれてください」
「む……何を――」
「頑張ったら、親に褒めてもらえる。子にとって、これほど嬉しいことはないではないですか。……僕には望めないことでしたから。是非」
最高大臣だとか、顧問だとか、生徒だとか。まずそれ以前に、父と娘なのだ。
そう主張すると――わずかな逡巡の後、ローヴィレタリアは席に立てかけてあった錫杖を手に取った。括りつけられた鈴が、しゃしゃんと控えめな輪唱を奏でた。
「…………やれやれ。ここはお主の顔を立てるとしよう。……エフィよ」
『あ、は、はい! 何でしょう!?』
「席を外す。最終戦まで二十分ほど間を空けよ」
『はっはい! 承知しました!』
「エフィ、声が通信に乗っているよ」
レヴィンが苦笑すると、彼女は露骨に慌てながらも務めを果たした。
『あ、ええ、えっと! それではいよいよ残すところは最終試合! ……となりますが、ここで二十分の休憩時間を挟ませていただきます! 両陣営、来賓の皆様、今のうちに最後の一戦に向けて準備をお願いいたします……!』
「…………、……おか……あ、さま……?」
右手に温もりを感じながら目を開くと、心配そうな表情で覗き込む母の顔が視界を埋めていた。
「ああ! あぁリム! リムちゃん! 大丈夫ぅ!? 痛いところはないぃ!?」
そう叫ばれながら握りしめられた右手が今は一番痛いぐらいだったが、それはさておく。
視線を巡らせると、場所は石造りの狭い医務室。いるのは、自分と母の二人だけだった。
(……ん)
決定打。クレアリアの左膝が突き刺さった右脇腹は、とうに処置がされているらしくこうして横になっている分には問題ない。手を添えてみれば痛いことに違いはないが、幸い骨は折れていないようだ。
(……すごい攻撃、だった)
耐える耐えないの問題ではなかった。もはや呼吸もままならず、とてもではないが立ち上がることなど叶わなかった。
あれが、クレアリア・ロア・ガーティルードの一撃。
訓練では幾度となく目にしていた、いつも寸止めで意図的に留められていた一手。
それがいざ振り抜かれたなら、『こうなる』のだと。開幕直後の蹴りにも戦慄したが、やはり見ると受けるでは大違いだった。
「んもぅリムちゃん! どうしてこんなことをしたのぉっ! クレアリアちゃんと試合をするだなんてぇ! アテクシを心配させないで頂戴!」
そう叫んで手をより強く握りしめてくる母の瞳は、涙で潤んでいた。目元の化粧が滲み、隈みたいになってしまっている。試合中もひっきりなしに金切り声を響かせていたためだろう、声も若干かすれていた。
「……しん、ぱい?」
リムがその言葉をなぞると、母は「当たり前でしょぉ!」と声を荒げる。
「事前にアテクシに何も言わないでぇ! どうして試合になんて出たのぉ! 納得いく説明をして頂戴よぉ……!」
母の悲嘆ぶりに申し訳なさを感じたリムは、観念して口を開いた。
「…………お母さまも、お父さまも……いつも、クレアリアさまをすごいって、ほめるから……だから……」
勝つことができれば、きっと自分を認めてくれると思った。
客観してみれば幼稚に感じてしまうその動機をつい言い淀むと、エルメラリアは震えるようにかぶりを振った。
「……それがぁ……理由でぇ……? どうしてよぉ……! アテクシにとっては、リムちゃんが一番に決まっているじゃなぁい!」
家族だけの時は、確かにそう言ってくれる。でも――
「……だって……いつも、他の人のまえでは……」
母がハッと目を見開いた。
「……、……ああぁ……そんな……」
何かに気付いたように。
直後、感極まったエルメリアに抱きしめられる。
「あぁ、ごめんなさい! ごめんねぇリム! アテクシの態度が、アナタにそんなことを思わせていたのねぇ! 誤解よぉ! アテクシは、この世で一番アナタを愛しているのよぉ! ごめんなさいねぇ、おーいおいおいおいおい……!」
「……、お母さま……、ほんとうに……?」
「んっもぉ当たり前でしょぉ! アナタより大事な人なんていないんだからぁ! ンヒイイィィーッ! ズビビビビ! ズビビビ! おーいおいおいおい……!」
「……お母、さま……ぁ……!」
母を抱き締め返し、その温もりを感じながら。
少女は、欲しかったものが最初からあったことを理解したのだった。
(…………そっとしておきましょうか)
医務室の扉の把手へ指を伸ばしていたクレアリアは、そこに触れることなく下がって踵を返した。
そしてなるほど、全てに合点がいった。
なぜリムが此度の試合に臨んだのか。自分がどう思われていたのか。
察せなかった自分の鈍さにうんざりする。嫌われて当然だ。もう少し人の気持ちを推し量れるようにならなければ。
『リムちゃ! ああぁリムちゃん! 母は、アナタを愛しているわよおおおぉぉ! ん誰よりもおおぉぉぉん!』
『おかあさま……』
室内からは、エルメラリアの絶叫は元よりリムの涙声も漏れ聞こえてくる。廊下が静かなので尚更だ。
(…………。……何だか、私も母様に会いたくなってしまいましたね)
戸から離れて、ふぅと溜息をつきながら顎を浮かせた瞬間、
「あれ。中に入られないんですか?」
顔や身体中に包帯を巻き、杖を支えにしたエーランドが目の前に佇んでいた。
「うわっ。エ、エーランド殿? なぜここに」
よほど感傷的になっていたらしい。これほど近づかれるまで気付けなかったとは、不覚の極みである。
「リムの試合が終わったと聞きましたので。おれは観戦できませんでしたが……ふむ。なかなかに白熱した勝負となったみたいですね」
ざっとクレアリアを頭からつま先まで眺めたエーランドが微笑みを漏らす。満身創痍は一目瞭然だろう。もっとも、それは彼も同じだが。
「ええ。強かったですよ、リム殿は。……とても」
「そうでしょう。ずっと努力を重ねていましたから、リムは。あなたに憧れて」
「……憧れてなんて……いなかったようですよ」
「? なぜそう思うんです?」
「だって、言われましたから。……大嫌いだと」
おかしなものだ。試合中は、今まで見たことのないリムの感情の発露に昂ったが。そう自分で反芻すると、胸がちくりと痛む。
「ああ、そうなんですか」
それを聞いたエーランドはというと、実にあっけらかんとした反応だった。もう少しこう、同情してほしい訳ではないが他に言いようはないものか。
「リムはまだ子供ですから。おれもよく言われますよ、同じことを」
ははは、と朗らかにすら彼は笑う。
「以前、言いましたよね。クレアリアさんのことは、リムからよく聞いていたと。本当に嫌いな相手なら、あんな風に語って聞かせたりはしませんよ。名前すら出したくないでしょう」
「……ですが……」
ちょうどその時、医務室からガタンと物音が響いてきた。
『ちょ、ちょぉっとリムちゃぁん! まぁだ動いちゃダメよぉ!』
『でも……いか、なきゃ』
『どこへ行くって言うのぉ!』
『……クレアリアさまに、あやまりに行かなきゃ。ひどいことを……おもってもないことを、言っちゃったから……』
「!」
思わず、少女は身を硬直させた。エーランドはというと、何やらおどけた顔で肩を竦めてみせるのみ。「ね?」とでも言いたげに。
『あらぁ……そうなのねぇ。でもぉ、大丈夫よぉ。クレアリアちゃんなら、言わずとも分かってくれると思うわぁ。だぁって、リムちゃんの憧れる人だものぉ。そうでしょぉ?』
『…………、はい』
漏れ聞こえてきた会話を耳にして。
「――」
クレアリアは、この場から離れようと一歩踏み出した。
「おや。どこへ?」
妙に白々しく尋ねてくるエーランドに対し、そちらも見ずに返す。
「私は、試合後のリム殿の状況が気にかかったのでここを訪れただけです。大事がないと分かったのであれば、この場に留まる理由もありません」
「はあ。ところでクレアリアさん、顔がにやけていますよ」
言われて、少女は反射的に自らの顔の下半分を押さえる。
「いえ、嘘ですけど」
平然と言ってのける彼を振り返ったクレアリアは、ずいと歩み寄って正面から睨みつけてやった。
「いい機会なので教えて差し上げます。私は、嘘をつく殿方が大嫌いです」
「おお。リムの『大嫌い』と違って、真に迫っていますね」
何が面白いのか、気を悪くした風もなく笑っている。
「それより、立ち去ってはダメですよ。リムも言っていたじゃないですか。謝りに行かなきゃって。せっかくここにいるんですから、謝られておきましょう」
こちらの返答も待たず、エーランドは当たり前のように扉へ近づいていく。
「は!? や、やめてください!」
焦って声を上げたのがまずかった。
『あらぁ? 外に誰かいるのかしらぁ?』
万事休す。もうエーランドのことなど放っておいて走り去ろう。
そうと決めるや否や退散にかかるクレアリアだったが、すぐそこの曲がり角でなぜかローヴィレタリア卿とぶつかる羽目になり、その巨体に弾き返される形ですっ転んでしまった。その騒ぎでリムとエルメラリア夫人が部屋から出てきてしまい……といった顛末を迎えることとなった。
顔を赤らめて恥ずかしそうに、しかし素直に謝ってくるリムの態度がくすぐったかったり、しきりに咳払いをするローヴィレタリア卿が不器用にリムを褒める様子が微笑ましかったり。
ちなみに夫の顔を見るなり「キエ――ッ!」と叫んでその横っ面を張り飛ばしたエルメラリア夫人の苛烈さは、いつ見ても圧倒されるばかりである。




