694. 烈火
「……、…………あんなリムちゃん、初めて見る……」
ベルグレッテが目を見張って零すからには、そうなのだろう。
「ん……私は神詠術とか闘いとかよく分かんないけど、今のリムちゃん、めっちゃ生き生きしてる感じがする……!」
彩花ですら何か感じるところがあったらしい。
「うむ。『喜面僧正』の娘子、と聞けば思い浮かぶような……腑に落ちるような闘いぶりじゃの」
ダイゴスが不敵に笑めば、傍らのレノーレが無言で頷き。そして隣の包帯まみれのエドヴィンが、ケッと鼻を鳴らすのだ。
「やっぱ炎の使い手ってのはよ、あーじゃなきゃ面白くねー。やりゃできるじゃねーかよ、あのチビッコ」
「なんで偉そうなのエドヴィン! それよりまずいよ、リムちゃんいきなり強いよ! クレアちゃん大丈夫!?」
ミアも小動物の本能で悟ったかのようにあわあわしている。
だが実際、それほど質が変わった。皆が感じ取れるほどに、リムの動きが。クレアリアはこれまでにも増して防戦一方となっている。
「……どう思いますか、リューゴ解説員」
いきなりレノーレが振ってくる。相変わらずの無表情で。
「え、いや何すかそのキャラ……。……まあ、そうだな」
困惑しつつも、流護解説員は試合場を見下ろしつつリクエストに応えた。
「……これは前から思ってることなんだけど……クレアはさ、ぶっちゃけ『怖くねえ』んだよ」
「え? あんた、クレアさんのことめっちゃ怖がってるじゃん」
すかさず入る彩花の突っ込み。
「いや、そういうことじゃなくてだな。クレアの自律防御っていやチート技みたいな性能してるし、かといって本人もそれに頼り切ったムーブはしない。隙あらばアグレッシブに攻撃してくるし、それも結構手段を選ばない。術だけじゃなくて、物理的に剣とか蹴りとか、足下の砂を蹴り上げて視界を塞ぐとか、そういう泥臭い技も使う」
そのうえ、敵対者に対する容赦もない。
温情をかけない無慈悲な追撃ぶりは、優しすぎるベルグレッテにはない部分ともいえる。戦闘に関してであれば、間違いなく長所と呼べるものだ。
「でも、例えば……ベル子にはグラム・リジルがあるし、マリッセラさんだったらあの『銀翼』がある。どっちも、俺のことだって倒せる可能性がある『必殺技』だ。でもさ、クレアにはそういうのがないんだよ」
率直に言うなれば、クレアリアには絶対の攻撃手段が存在しない。格上の相手をも撃破し得る、突出した攻撃力。起死回生を狙える大技。そういったものがない。
「だから対戦相手として見た場合、俺からしたらクレアは『怖くねえ』んだ。倒される心配がねえから」
そしてそれは、苦境を覆すことが難しいという事実に繋がる。
格上に対してだけではない。拮抗した勝負を己に傾けることができない。
「そ、それじゃあ……」
彩花が言い淀んだ先を、ミアが驚いた顔で引き継いだ。
「クレアちゃん、負けちゃうの!?」
「どーかな。……でもベル子は、何となく想像してたんじゃないか? この試合が、こんな展開になるかもって」
試合が始まってすぐ、ベルグレッテは言っていた。
『期せず、試されるのかもしれないわ。これからクレアが歩もうとしている道のり……それを往くことができるのか。あの子に、その気概があるのかを』
流護が頭を掻きつつ尋ねると、少女騎士は神妙な面持ちで口の端を引き結んだ。
「……いつかきっと、こういった局面が訪れるとは思っていたけど」
確かにクレアリアは、若くして『神盾』の二つ名を授けられるほどの鉄壁の防御手段を持つ。
だがこれから先、守りに徹するだけではやっていけない。脅威を打ち払い、危難を切り裂く攻め手がなければ。
「……でもまさか、その相手がリムちゃんになるとは……さすがに、考えていなかったわ」
とはいえこの姉も、薄々憂慮してはいたのだ。
クレアリアの能力は充分に高い。攻守に補佐、どれひとつ取っても学院生の範疇を大きく超えている。ゆくゆくは一流の詠術士となることは間違いない。
だが、それでは足りない。
彼女が……彼女らが目指すのは、一国の王女を守護する至上の騎士なのだから。
「……そうね。私たちは、姉妹揃ってリリアーヌ付きの騎士となる予定だわ。私が攻め手を担い、クレアが守りを受け持つ……。そんな風に割り切って分担するのも一案ではあると思う。……でも」
少女騎士は口にした。決して楽観することなく、その仮定を。
「これから先、私たち姉妹がいつまでも一緒にいられるとは限らない。クレアが一人で姫を守らなければならないような局面が訪れるかもしれない。なら、不可欠になってくるわ。強大な敵をも打ち倒せる、攻めに特化した一撃が――」
己が決定力に欠けることは、クレアリアも自覚していた。
それでも、これまで何とかなっていた。
そして漠然と思っていた。敬愛する姉と二人で歩んでいけば、このままであってもさしたる問題などないと。
(……我ながら、甘いこと)
そう、それは甘えだ。他人にはあれだけ厳しく当たるくせに、自分は楽観視していた。ある意味、姉に攻撃役を負わせていた。その役目を押しつけていた。
攻撃術が不得手か、と問われればそんなことはない。姉やマリッセラが突出しすぎているだけだ。
だが、必要なのだ。この道を往くのであれば――そのように抜きん出た力が。
「くっ」
とめどなく継続する疼痛は、まるで荊の鎖に繋がれているかのよう。
リムは右手でそれを維持したまま、左手で細かな火弾を浴びせてくる。そして先刻までと異なるのは、その燃える連弾が至近距離から放たれていることだ。
(……っ)
これほど近くては躱せない。腕を盾に凌ぎ続けるが、細かな火傷が刻まれていく。そしてその痛みが痛覚増幅によって強まっていく。悪循環だ。
リムの間合いの維持は絶妙だった。
踏み込めば退がる。引けば前進してくる。一定の距離を保ち、かつ攻撃の手を緩めない。
(……見事なものですね。見違えるようですよ)
一挙手一投足には力強さが溢れ、爛々と輝く緋の瞳には確かな光が宿っている。
迷いのない立ち回りに、遠慮や自信のなさは感じられない。
つい先ほどまでとは別人のようだ。
どんな心境の変化があったのか。
リムは今、極めて高い集中力をもって戦闘に没頭している。
驚きはしたが、意外ではない。この少女は元来、これだけの潜在能力を秘めていた。今まさに、それが遺憾なく発揮されているだけの話。
間違いなく。
リム・リエラ・ローヴィレタリアという小さく頼りなかった灯火は、燃え盛る烈火へと成長を遂げた。
(……ったく、それに引き替え……)
自分の凡庸ぶりが嫌になる。
リムの真髄に気付いていた。自律防御が発動できなければ『こうなる』ことも予想できていた。そしてその考えがまるで外れることなく当てはまり、苦境から脱せずにいる。
分かっていたのに対処できないという無能ぶり。
(……、……実に……実に、気に食わないのですが)
今の己にできる攻撃手段。
これから先、より強きを挫くために必須となってくる手札。
――『戦闘』とは、『嫌がらせ』の極致である。
これは偏屈者として有名なとある古の詠術士が遺した言葉だが、クレアリアとしては全面的に同意したい。
争いに美学や神聖性を見出す向きも存在するし、この模擬戦もまさにそういった考えに基づいて催されている行事ではある。
己とて、強者と対峙することで妙な高揚や誇らしさに近いものを感じることは確か。
が、いかに取り繕おうとも根源は『そこ』だ。
負けて喜ぶ者など存在しない。勝利することは、相手に嫌な思いをさせると同義。実戦ならば『嫌な思い』では済まない。死という名の、究極の理不尽を突きつける所業なのだ。
嫌がらせの押しつけ合い。それが戦闘の本質なれば、いかに相手が嫌う行為に終始できるか。これが勝利への肝となる。
そしてクレアリアは、それを得意とする人間に心当たりがある。
(……実に、腹立たしい)
風変わりな響きの名を持つその少年。
桁外れの身体能力から繰り出される破壊的な打撃が目を引きがちな彼であるが、強さの本質は他にある。
とにかく、自分の強みを押しつけることが上手いのだ。
術を使おうと思えば、牽制の打撃で妨害される。剣を振るおうと思えば、いつしか拳の間合いになっている。やりたいことをやらせてもらえない。一方的に封じ込められる。
単純な力自慢ではない。体得している格闘戦の熟度が恐ろしく高い。彼自身、その特徴は故郷を離れてこのグリムクロウズで闘ううちに磨かれていったようだったが。
そんな中でも、あの男が最も得意とする技巧がある。
(――さて、覚悟を決めましょうか……!)
幾度目か。左腕を盾にして強引に突っ込んだクレアリアは、火弾の小雨に焼かれながらもなお前進する。退がろうとするリムに食らいつく。
「っ……!?」
リムの動揺は明らかだった。これほど無理矢理に突っ込んでくるとは思わなかったのだろう。実際、クレアリアの左腕がぶらんと力なく垂れ下がる。もうこの戦闘では使いものにならない。こんな代償を払ってまで突っ込んでくるとは考えもしなかったのだ。
それゆえに。
「――」
慮外の行動から生まれる虚。それによりわずか緩んだリムの痛覚操作。その間隙を縫って、クレアリアは残る右手からかすかな飛沫を射出する。
顔の近くで弾けた水に対し、リムは反射的に目を閉じた。
「――――」
すでに、クレアリアの視点は固定されている。
幼さの残る、リムの小さな丸顔。その下部、顎の先端に。
(……確か、『正中線』でしたか)
拳は握らない。手首を起こし、指は上向きに伸ばし先端を折り畳む。
『クレアの場合なら「掌底」とかいいかもな。そのまま、スッと平手を突き出す。実は握り拳って手首が動きやすいから、殴った時に変な角度で当たったりして痛めやすかったりもするし』
その点、手のひらの付け根に近い部分を当てるこの技法は、打った面や手首を痛めにくい。拳打に比して射程距離や威力は劣る。
しかし、その欠点は神詠術で補うことができる。たった今の目眩まし然り、手のひらに水の術を纏わせ殺傷能力を高めることもできる。
『んでも的確な場所に的確な攻撃がコツンと当たりゃ、誰だって倒せるよ』
『貴方が相手でも、ですか?』
『当てさせねえけどな!』
彼の持ち味はただの怪力ではない。大概の相手は、その力で叩けば倒れる。けれど、本質はそこではない。
おそらくは幾千、幾万の鍛錬の果てに至ったであろう、『急所への正確な加撃』。
このところは攻撃軌道の知覚などという常軌を逸した技巧すら会得し、その強さに拍車がかかっているようだが、それはひとまず置いておく。
(……実に、非常に癪ですが――)
使わせてもらう。
前に進むために。
強くなるために、使えるものは全て使う。
いきなり何者をも打ち倒せる大技は会得できない。だから。せめてここから、今の自分にできることから始めさせてもらう。
「――――しっ」
一呼吸の間もなく射出するそれが。
クレアリア自身も驚くほど、スッと繰り出された。
これだ。間違いない。今後の自分の、決め手となる。
そんな確信を抱くほど、すんなりと。
わずかな水の薄膜の余波を纏い。予備動作のない『掌底』が、リムの顎を打ち抜く。
――――ことなく、空転した。
(………………は?)
何にも触れることのなかった右腕を伸ばし、見開いたクレアリアの瞳に映るのは。
わずかに顎を引き、紅い瞳で……縦長の瞳孔でこちらを見据えるリムの顔。流れゆく、ふたつの赤い残光。
別人のような、意志の強さを感じさせる面立ちで。
なんて、凛々しい。
(……、ああ、そうか)
納得した。
難しい話ではない。
手を伸ばせば触れられるほどの近い間合い。顔面への攻撃も想定にあったろう。恐れず集中していた彼女は、それを確かに見定めただけのこと。
(リム殿……)
付け焼き刃の一撃などでは、届かなかったということ。
(本当に、強く……なりましたね――)
以前の彼女であれば、目眩ましを受けた時点で確実に怯んで動きを止めていたはずだった。
『掌底』を躱したリムが、素早く一歩踏み込んでくる。
クレアリアの目に映ったのは、彼女の小さな左手に滾る、しかし力強い烈火の煌めきだった。




