693. 感情の正体
「…………、」
思いもしなかった返答に、リムはただ絶句する。
『喜面僧正』の娘だから、と誰もが顔色を窺って持ち上げる。
そのように畏怖される父、そして苛烈な母は「クレアリアを見習え」と口を揃えて。
いつからか、不満を抱えるようになった。
どうして誰も、公平な目で自分を見てくれないのか。どうしてこんなに比べられなければいけないのか。
もう、いっそ。クレアリアさまなんて、いなくなってしまえばいいのに。
そこまで思い詰めることもあった。
抱き続けるそんな鬱憤をどうにかしたくて、今回の試合に名乗りを上げた。
なのに。
邪魔だと感じていたクレアリアこそが、誰よりも自分を……リムという個人を、認めていた――?
「さあ、時間がなくなってしまいますよ。続けましょう。痛覚操作をお掛け直しなさい」
まるで舞踏にでも誘うかのように、優雅に手のひらを翻して。不敵な微笑みには、大人たちみたいな表裏が存在しないように見える。
「……わかり、ました」
なら。
そうまで言うのなら、確かめてやる。
リムがその場で詠唱を開始すると、クレアリアは妨害するでもなく、むしろ見守るかのように完了を待つ。
「……」
ゆらりと手をかざし、放つ。
無抵抗でそれを受け入れたクレアリアは、わずかに眉を動かし笑った。
「……よろしい。では、再開といきましょう。参りますよ」
一呼吸置いた後、急速に踏み込んでくる。
「っ!」
リムは驚きつつも下がり、詰められた距離をどうにか突き放しにかかる。
『おおっと!? クレアリア選手の打倒宣告後の再開以降、何やら立ち止まって会話を交わしていたらしき両者ですが……、ここで突如交錯! ……しかも……クレアリア選手、その直前にリム選手の術をあえて自ら受け入れたようにも見えましたが……?』
当惑のエフィ。父こと『喜面僧正』が、ホッホと表情通りの笑みを零す。
『打倒判定により苦境へと陥ったのは、むしろ攻勢を止められる形となったリムの方であったが……クレアリアお嬢様にしてみれば、無粋な横槍を入れられた、と感じられたか。敢えてその直前、己に不利な状況を再現しての仕切り直し。変わらず、確固たる強き信念をお持ちよ』
相変わらず手放しの賞賛。
でも、今なら分かる。
なぜ、この人を邪魔だと感じたのか。いなくなってしまえばいい、とまで思ったのか。
すごい人だから、だ。
(わたしなんかと、ちがって……)
はっきりと自分の考えを持って。臆せず言えて。強くて。格好よくて。
何もかも自分とは正反対で……この人のことが、羨ましかったから。
「――っ!」
でも、もう退かない。
今、乗り越える。
右手で痛覚増幅を継続したまま、左手から火球の散弾を掃射する。
クレアリアは至近距離からのこれをもはや避けもせず、両腕を交差させながら突っ切ってきた。
(っ!)
距離を詰めるにしても強引。一瞬焦ったリムだが、咄嗟に横へ回り中間距離の維持を試みる。
盾とした二の腕にかすかな火傷を負ったか、クレアリアはかすかに眉をひそめた。しかし回避行動を取らなかった対価として、思った以上の速度で最短距離を詰めてくる。
(まず……っ)
神詠術とは神に与えられた恩恵であり、誇りであり、そして術者の心を映す鏡。
惑えば、その揺らぎは如実に形となって表れる。
わずか緩んだ痛覚操作、その間隙を縫う水の収束。
リムがクレアリアの右手に瞬いたそれを認識したのと、側頭部に衝撃を受けたのは同時だった。
「っ、か、ぁ……!?」
視界が揺れる。遅れて迸る鈍痛。
直撃ではない。銀色の光にも似た瞬きが、自分の顔のすぐ脇を通過していった。
痛い。足がもつれる。倒れる。
(っ、むしろ……っ)
倒れてしまえば規定上、追い打ちを受けずに済む。シロミエールも実践した、試合を上手く運ぶ手段のひとつ。たった十秒ではあっても、わずかに休んで態勢を整えることが――
(…………、っ!)
いや、ダメだ。倒れるのはまずい。
打倒を宣告されて秒読みに入れば、確かに追撃は免れる。だが、そんな猶予を与えれば今度こそ自律防御を詠唱されてしまう。つい今さっきだって、それを恐れたばかり。そのせいで、試合を放棄しかけたではないか。
今さらだが。この試合、双方ともに半端な打倒を喫した時点で自分の負けが確定するのだ。
「あ、うあああああぁ!」
ほとんど反射的だった。目の前まで肉薄してきたクレアリアに対し、リムは突き出すような右の蹴りを放つ。
「!」
向こうとしても想定外だったようで、目を見開きながらこれを腕で受け止めて後退。わずかに間を離すことに成功する。が、
「っ、く……!?」
リムは思わず顔をしかめた。蹴ったほうではない、軸足とした左足に迸る痛み。無理に踏ん張って不安定な体勢から蹴ったせいで、足首に負荷をかけてしまったようだ。慣れない真似をするとこうなる。
(で、も……!)
今は、そんなことどうだっていい。
すかさず右手をかざし、それこそ幾重にも巻いた鎖がピンと張るような感覚。同時、明らかに止まるクレアリアの足。
痛覚増幅。
効いている。
間違いなく彼女は、焦れるような疼痛を受け続けている。瞬間的に動きが停止したのが、その何よりの証拠。それなのに。
「……いたく、ないんですか……?」
この試合中。
彼女は――クレアリア・ロア・ガーティルードは、一切苦痛に喘ぐ表情を見せないのだ。
どんなに攻撃を加えても。痛覚を増幅しても。涼しげな顔のまま。
「……、はっ、……はぁっ、はっ……!」
リムにしてみれば不可解極まりない。
だって自分は、今しがた側頭部にかすった一撃……そして直前に捻った足首の痛みだけでも、歯を食いしばって耐えているのに。
しかし微笑みすらたたえる彼女は、やはり当たり前のように。
「痛いですよ」
「……え」
「正直、格好をつけて痛覚増幅を仕掛け直させるんじゃなかった……と思うぐらいには。痛いし、苦しい。今すぐ横になりたいぐらいです。……ですが」
強い眼差し、そして淡い笑顔で。
「この程度で弱音など吐いてはいられません。私はこれから姫様に侍る騎士として、あらゆる危難を跳ねのけていかなければならないのですから」
「――――――」
今、分かった。
確固たる意志。そして覚悟。
クレアリアという人物は、己が抱く目標のために全てを捧げている。
普段の毅然とした態度も。理路整然とした思考も。優雅な立ち振る舞いも。神詠術に対する造詣の深さも。身に着いた高度な戦闘技術も。
全ては、そこに集約している。リリアーヌ姫のロイヤルガードとして、その隣に立つために。
邁進するその姿には、一切の迷いがない。
ゆえにこそ、人を惹きつけるのだ。同年代の生徒たちが一目置いて、父や母が褒め称えて。
そう、今分かった。
――自分が抱えていたこの感情が、何だったのか。
『まっ、んま〜っ。クレアリアちゃんに憧れてるのねぇ、この子ったらぁ』
「……あ、はは。ふ、ふふふ」
リムの喉から、自分でも珍しい感情が漏出する。
「……リ、リム殿?」
どれぐらい珍しいかといえば、試合中のこの人が怪訝そうな顔をするぐらい。
――ああ、ちがってなんていなかったんだ。
お母さまの、言ったとおりだったみたいです。
「……クレアリアさま」
「……、何です?」
こんな風に、はっきり自分から呼びかけることも珍しい。だからこそ、あの彼女がこんなにも困惑している。
でも、もう終わり。
ただ嫉妬し続けるのは……否、ただ憧れ続けるのは、もう終わり。
「――いきます……!」
リムは痛覚操作を緩めぬまま、自由な左手で火の散弾を撃ち出していく。
これまでと同じ攻勢。しかし先ほどまでと違うのは、自らも接近することだ。前へと踏み込みながら、これらの攻撃を行う。
「!」
驚いたクレアリアが目を見張る。
そして、こちらからの攻撃に対し回避ではなく防御態勢を取る。至近からの散弾。いかに彼女といえど、これほど近間からの攻撃術は躱せない。
それより何より、逃げ腰の術などではこの人に勝つことなどできはしない。恐れず、踏み込んでいかなければ。
――いつまでも逃げていては。前へと突き進まなければ、憧れを乗り越えることなどできはしない。
腕を盾に火弾を凌ぐクレアリア。リムはすかさず、痛覚操作でその傷の痛みを増幅する。
「……っぐ!」
近まったことで、確かに聞こえた。クレアリアの喉から漏れたかすかな呻きを、リムは聞き逃さなかった。
効いている。通用している。自分の攻撃が。
『お、おおーっと!? ここでリム選手、自ら接近して攻撃を繰り出すように! で、ですがなぜ!? これほど詰まった間合いでは、徒手による反撃の危険性が高まります! 先ほどまでのように離れて一定の距離を保っていれば、比較的安全圏から攻撃を続けることができたかと思いますが……!?』
エフィの通信に応えたのは、『白夜の騎士』だった。
『……確かに遠距離から攻撃を続けていれば、優勢は維持しやすかったでしょう。しかし時間制限もありますし、何より……どのような心境の移り変わりがあったのか、傍から見る我々には分かりかねますが……覚悟を決めたのでしょう。先ほどまでとは、リム嬢の顔つきがまるで違います』
神妙に述べたレヴィンが、傍らの最高大臣の様子を窺う。
『……ふん』
その相手は……父はといえば腕を組み、重たげな息を漏らすのみだった。
(でも……!)
もう構わない。それでいい。
前へと進んでいけば。クレアリアを……このすごい相手を乗り越えれば、全てはついてくる。きっと自信や評価も、父と母からの称賛も。
この人こそがそうであったように、そんなものは全部後からついてくる。結果を示していけば、自ずと。
でも今は何より、ただ単純に。
(わたし……このひとに、勝ってみたい……っ!)
生まれながらに炎の特性を宿す少女は、もしかすれば初めて自らの感情を爆発させた。
あるがままに、思うままに。
これまで感じたことがないような心躍る高揚感に、突き動かされて。




