⑩ 残響を越えて
重い瞼を押し上げると、見慣れた金髪が揺れていた。
いつもなら眠たげな半開きの金眼が、今は珍しく、不安そうにこちらを覗き込んでいる。
「……姉御。調子、どうだ?」
「…………夢?」
「夢じゃねぇって。お粥あるけど、食えそう?」
耳に馴染んだ、穏やかで落ち着いた声。
じわりと目頭が熱くなる。
「夢よ。三明は、死んだって……」
「や、生きてるけど」
ぼうっとした頭は、まだうまく働かない。
それでも、彼の首筋に真っ白な包帯が幾重にも巻かれているのは、はっきりと見て取れた。
「──ぁ……」
「ん?」
「三明……っ!」
悲しみと、安堵と、後悔。
それらが全部ない交ぜになり、陽南は布団を跳ね除けて飛び付く。
いつもならするりと躱すはずの三明は逃げることなく、黙って受け止めてくれた。
その手が、陽南の背中をぎこちなく撫でる。
「ごめん……」
「?」
「あたしっ……偉そうなこと言って、結局、何もできなかった……!」
背中を撫でていた手が、ぴたりと止まる。
「憐チャンが、望んだんだろ」
「……なんで」
「なんとなく。おれとあの子、結構似た者同士だったし」
三明が、やんわりと陽南の腕を解く。
いつもの、一定の距離。
金の双眸が、ふっと柔らかく細められた。
「姉御が元気になったら、また屋根の上で夜空でも見る? 星になった憐チャンも、どっかにいるだろ」
「……うん」
静かで優しい眼差し。
偶に見せるこの微笑みが、陽南の心をじんわりと温めてくれる気がした。
「……でも、どうしてあんたは無事──」
グゥゥゥゥ……。
空気を読まない腹の音が響き、みるみる顔が熱くなる。
「まずは飯食って、熱下げるのが先な」
三明は小さく息を吐き、お椀と匙を差し出してきた。
出来立てらしく、湯気の立つお粥だ。
「食べさせた方がいい?」
「だっ、大丈夫よ! 自分で食べるからっ!」
お椀をひったくり、勢いよく掻き込む。
穏やかに見守る視線が、なんだか無性にくすぐったかった。
◇
全快した頃には、出発予定から三日が過ぎていた。
「ヒナねーちゃん、入るぞ」
部屋の戸をノックし、将大が入ってくる。
妹を失ったことで塞ぎ込んでいた彼も、少しずつ元気を取り戻しつつあった。
「将大君……」
「謝るなよ? オイラもレンカも、万が一の時はこうするって決めてたんだ」
将大は気丈に笑ってみせる。
「それに、ミッちゃんは生きてたんだ。あいつも、少しは報われたと思う」
「そう、ね……でも」
毒を受けた三明が、どうして無事だったのか。
陽南が視線を向けると、三明は肩を竦めた。
「まぁ、偶然だったんだけど。前、おれの術──相手の術を反射する《光鏡》っての、見ただろ」
「うん」
ここへ来る道中、妖鬼との戦闘で初めて見た術だ。
「よく憶えてね〜けど……憐チャンに噛まれた瞬間、無意識に《光鏡》を発動してたのかなって」
「……え? でも、あんた大怪我してたわよね?」
「“桜血鬼”の呪毒は、術の一種なんだ。多分、噛まれた時に、その呪毒だけ弾いてたんだと思う」
将大が補足する。
つまり──術が発動していなければ、三明は確実に死んでいたということだ。
今更ながら、その事実に背筋が凍る。
「そうだったの……」
「全く、驚いたよ。一か八か、おれの血で中和しようとしたら、いきなり起き上がって『姉御は?』だもんな」
将大がにんまりと笑い、肘で三明をつつく。
「愛されてるねぇー」
「そ、そんなんじゃないからっ! ねぇ、三明!」
「…………」
「……三明?」
ふと、彼が妙に大人しいことに気付く。
いつも通りの、眠たげな無表情。
……でも。
「……もし」
その瞳の奥に、濃い闇の気配が見え隠れしていた。
「おれが、憐チャンに近付かなきゃ……今も普通に生きてたのかも」
「…………」
「姉御に、辛い決断をさせずに済んで……」
「……っ」
「多分……おれの、せい──」
「《っ、やめろよっ!!》」
涙を溢れさせながら、将大が叫んだ。
空気を震わせる、鬼の咆哮。
陽南は思わず怯み、三明もぴたりと口を閉じる。
「たかが一人の人間に、運命を変える力なんてないんだよ! 未来を予測できたら、誰も苦労しないだろ!?」
「……大将」
「大体、それってレンカの気持ちを全部否定するってことか!?」
将大はぼろぼろと涙を零しながら、それでも言葉を続ける。
「あいつは初めて恋をして、確かに辛そうだったよ! けど、後悔はしてなかった! ミッちゃんに鈴を貰った後も、『好きになって良かった』って、幸せそうに笑ってたのに!」
「…………」
「『おれのせい』なんて二度と言うな! ミッちゃんがそんな顔してたら、レンカだってゆっくり休めないだろ……っ!」
その先は、涙で言葉にならなかった。
泣きじゃくる将大を前に、三明は困ったように眉を下げる。
「ゴメン、大将。おれが悪かったから……そんなに、泣くなよ」
「泣いでないっ……!」
「いや、普通に泣いてるだろ……」
迷うように視線を彷徨わせてから、三明はぽつりと呟いた。
「……おれ、憐チャンの命も背負って、生きてくよ」
「…………」
「約束する。だから──」
三明が、そっと将大の頭を撫でる。
ますます大きくなる慟哭に、続く言葉は掻き消された。
◇
裏の畑にある大木の下。
そこに、小さな墓標が立てられていた。
木の葉が、さわさわと風に揺れている。
「……また、会いに来るからね」
「じゃ〜な、憐チャン」
三明と二人、墓の前で手を合わせる。
目頭が熱くなるが、陽南はぐっと堪えて背を向けた。
「今まで、お世話になりました」
陽南は深々と頭を下げる。
門の前では、咲子と子供たちが二人を見送っていた。
「なぁ、ミッちゃん」
そんな中、将大が一歩前に出る。
「オイラも、一緒に行っちゃダメ?」
「……そ〜だなぁ」
三明は少し屈み、将大と目線を合わせる。
「せめて、十五で成人してからだな。この孤児院にとっても、頼れるガキ大将は必要だろ」
赤い瞳を見開いた将大は、噛み締めるように頷いた。
「そう、だよな……じゃあ、二年後! 約束だぞ!」
「了〜解」
二人を見守っていた陽南は、懐から赤銅色の鈴を取り出した。
「将大君、この鈴なんだけど……」
将大の前に差し出す。
しかし、彼は首を横に振った。
「あぁ、それか。オイラは要らないよ。あいつがヒナねーちゃんに渡したんだし、あんたが持ってろよ」
「……分かったわ」
陽南は鈴をしまおうとして──やめた。
代わりに髪紐を取り出し、千切れた紐に鈴を結び付ける。
「憐可ちゃんのこと、忘れないわ……絶対に」
決意を込めて、朱い髪を高く縛り上げた。
チリン、と澄んだ音が鳴る。
将大の表情が一瞬だけ揺れ、すぐに強気な笑みへと戻った。
◇
修復された橋を渡り終えた途端、小雨がぱらつき始めた。
「また降ってきたな」
「……そうね」
傘を差しながら、陽南は灰色の空を仰ぐ。
首の動きに合わせて、鈴がチリンと鳴った。
三明がいつも空を見上げる気持ちが、少し分かった気がする。
「あんた、将大くんのこと……本当に良かったの?」
「いい。今は気持ちの整理、必要だろ」
さりげない一言に、目の奥がツンとした。
誤魔化すように、話題を変える。
「ねぇ、三明。憐可ちゃんのこと……正直どう思ってたの?」
ほんの軽い気持ちだった。
純粋な好奇心もあった。
「……?」
「似た者同士って言ってたし、少しは好意もあったんじゃない?」
「…………」
不意に、三明の表情が凍りつく。
「──好きにはならないし、なれない」
「!」
冷たく言い切る声に、陽南は息を呑んだ。
「誰かと深い仲になるなんて、おれには無理だ」
鉛色の空を仰ぐ横顔。
徐々に温度を失っていく金眼。
その奥に、一瞬だけ、チリッと静電気のような火花が弾けた気がした。
(え……?)
「……ゴメン。ちょっと先行って、頭冷やす」
瞼を閉じて小さく頭を振ると、彼は足を速めた。
遠ざかっていく三明の背中。
陽南の足は止まり、その場に立ち尽くす。
(……あたし、は)
鈴の音が途絶える。
傘を叩く雨音だけが、やけに耳障りに響き続けていた。
──これは、
それぞれの覚悟を胸に刻み、
前へ進み続けることを選んだ話。
【第二章 完】




