⑧ 鈴の音、遠く*
橋が直ったと知らせを聞いたのは、昨晩のことだった。
だが、東の空は暗い雲に覆われている。
恐らく午後からは大雨になるだろう。
「出発は明日の朝にするわ。とりあえず、将大君と買い出し行ってくるわね」
「ん。了〜解」
すると、珍しく憐可が声を上げた。
「今日は、私も行っていい?」
「え? えぇ、勿論よ」
「やった! ねぇ、ミッちゃんも一緒どう?」
「……じゃあ、ついてく」
そうして四人で村に下りたのだが。
改めて注視してみると、やはり将大と憐可に対して、人々はひどく素っ気ない。
こと憐可に対しては、怯えているような様子すらあった。
「三本買うと、幾らになります?」
そんな空気を、三明も感じ取ったのだろう。
さり気なく店主の前に出る彼の背を、憐可はうっとり見上げ、将大がにやにやしながら小突いた。
「よっ、色男!」
「はぁ? ただ買い物してるだけだろ」
無事に食材を買い揃えた帰りがけ。
憐可が、小ぢんまりとした出店の前で足を止めた。
そこに並んでいたのは、赤銅色の丸い鈴。
「……ミッちゃん」
「ん?」
「これ……ほしいな」
「おれ、財布持ってないけど」
(しょうがないわね……)
憐可から見えないよう、陽南は自分の小銭入れを差し出す。
一瞬、怪訝そうな顔をした三明だが、すぐに意図を察したらしい。
「……じゃあ、コレ一つ」
「ありがとう! 大事にするね!」
鈴を手渡されると、憐可は満面の笑みで受け取った。
紐を通して首飾りのように提げ、愛おしげに指先で撫でる。
(なんだか……“猫の首に鈴”みたい)
そう思ったら、少しだけ胸が痛んだ。
「げっ、降ってきたぞ!」
「本当だわ、早く戻りましょ!」
店を出るなりぱらぱらと雨が降り出し、帰り道を急ぐ。
将大も憐可も異様なほど足が速く、二人はあっという間に陽南を追い越してしまった。
(本当に……鬼人、なのね)
どうにか玄関へ転がり込んだ頃には、すっかり息が上がっていた。
先に戻っていた憐可から手拭いを受け取りつつ、ふと気付く。
「あれ、三明は?」
「げっ、まさか……はぐれたか?」
「えっ!?」
将大が息を呑み、憐可が外へ飛び出そうとした──その時。
「ゴメン、遅くなって」
濡れ鼠になった三明が、外套で包んだ籠を抱えて立っていた。
「香草、持ってきた。ちょっと湿ってるけど……」
一昨日、憐可と二人で干していた香草。
雨から守るため、孤児院裏の畑まで取りに行っていたのだ。
「──ミッちゃんっ!」
「え、うわ……っ」
感極まった憐可が、勢いよく三明に抱き付く。
僅かに身体を強張らせた三明は、少女を受け止めきれず、そのまま尻餅をついた。
どうにも情けない姿に、将大は呆れ顔だ。
だが、陽南はなぜか笑えなかった。
「ご、ごめんね? ……ありがとう、ミッちゃん」
「……あぁ」
憐可はほんのり頬を染めたまま、濡れた野良着の袖をぎゅっと握り締めた。
「……あのね」
リンッ、と鈴が鳴った。
「私、ミッちゃんが好き」
囁くような一言が。
雨音の中、やけにはっきりと聞こえた。
「…………」
三明は、何も言わない。
微笑むでも、照れるでもなく、いつも通りの無表情。
長い沈黙の後、憐可がぎこちなく微笑んだ。
「あ、えっと……あんまり、気にしないでね? 明日出発だし……伝えときたいって、思って」
「…………そっか」
玄関に上がった三明は、そのまま廊下を歩いていってしまう。
(三明……?)
ずぶ濡れの背中が、微かに震えているように見えた。
◇
「ったく。ミッちゃんの奴、飯食わないつもりか?」
それ以降、三明は明らかに憐可を避けていた。
台所で食事の支度をする時にも、夕食の席にも顔を出さない。
「……どうしよう。私のせいだよね」
「全く、あの馬鹿……。待ってて、あたしが連れてくるわ」
「ううん。夕飯だけ、持ってってあげて」
今にも泣き出しそうな顔で、それでも気丈に笑う憐可。
咲子も事情を聞いたらしく、小さく頷いた。
「三明……入るわよ」
食事を盆に乗せ、彼の部屋を訪れる。
返事は無かったが、陽南は構わず戸を開けた。
「夕食の時間よ。食べないの?」
「…………」
雨音が、静かに部屋を満たしている。
三明は窓際で膝を抱え、暗い空を見つめていた。
陽南は盆を置き、その隣に腰を下ろす。
「憐可ちゃんに……何か、言ってあげたら?」
「ダメだ」
有無を言わさぬ、即答だった。
「これ以上……あの子と、仲良くなっちゃダメだ」
「──え?」
「元盗賊の人殺しが、誰かに好かれる資格は無ぇ」
温度の無い金の瞳。
そのまま俯き、黙り込む。
(……そっか)
陽南は、小さく息を吐く。
二人は似ているのだ。
自分など相応しくないと、身を引こうとする。
(結構、お似合いなのかも……)
しくりと痛む胸には、気付かないふりをして。
湿り気を帯びた金髪を見下ろし、口を開く。
「誰だって失敗したり、罪を犯したり──間違えることは、あるでしょ」
「…………」
「大事なのは、自身の過ちに気付いて、正そうとすることじゃない?」
「…………」
沈黙を貫く彼に構わず、陽南は続ける。
「三明は、過去を改めようと足掻いてる。あたしはそんなあんたを──旅の相棒として、信頼してるわ」
返事はない。
表情も見えない。
「レオさんや、ママや赤司隊長だって、見守ってくれてるじゃない……?」
濡れたままの背中すら、微動だにしない。
喉の奥が、少し震えた。
「大事に思ってくれる人が、ちゃんといるのに……! あんた自身が『好かれる資格が無い』なんて……そんな悲しいこと、言わないで……っ!」
じわりと、目頭が熱くなる。
「……なんで」
ようやく三明が、口を開く。
「なんで、姉御は……そこまでおれを、信じられるんだ……?」
「……なんでって、言われても」
少し考えてから、陽南は答えた。
「強いて言うなら、三明だから?」
「意味、分かんねぇ……」
三明は、ふっと小さく息を吐く。
「簡単には、割り切れねぇ……けど」
やや掠れた声。
相変わらず、こちらを見ようとはしない。
「姉御がそんな顔すんのは……なんか、イヤだし」
「……うん」
「一応……できるだけ、気を付ける」
少なくとも、想いは伝わったらしい。
彼の肩に、そっと手を置く。
「ほら、元気出しなさい。色男が台無しよ?」
「…………」
三明が、僅かに首をもたげる。
──そして。
陽南の肩口に、金の頭をそっと預けてきた。
「っ、ちょ、みっ、三明っ!?」
雨音が、遠く感じる。
身体が、じわりと熱くなった。
「い、いきなり何? どうしたの?」
「…………」
「……三明?」
なんとか平静を装って、名前を呼ぶ。
返事は、ない。
(っ、え……?)
やがて肩の温もりが、ふっと離れていくと。
「──っ!」
そのまま三明は、力なく床に倒れ込んだ。
◇
「大丈夫。少し熱は高いけど、ただの風邪よ。一晩休めば良くなると思うわ」
様子を見にきた咲子から、水の入った手桶を受け取る。
「すみません。ありがとうございます」
「いえいえ。明日の出発も、体調次第で考えましょ」
咲子が出ていくと、部屋にふたたび雨音が満ちた。
陽南は改めて、三明の横顔を見つめる。
赤い顔で横になったまま、無言で天井を仰ぐ彼。
固く絞ったタオルを額に乗せると、ゆっくりと目を閉じた。
「…………」
程なくして、薄っすらと瞼が開く。
虚ろな金眼が、ぼんやりと窓の外を映していた。
(……意外と、疲れが溜まってたのかも)
一見すると無気力そうなのに、何かと器用にこなすしっかり者。
距離感も程よく、隣にいて居心地のいい相棒。
でも彼からすれば、何かと気を遣っていたのかもしれない。
(そんなに肩肘張らなくていいのに。だってあたし、三明のこと──)
そこまで考えて、なんだか気恥ずかしくなった。
陽南は思考を打ち切り、隣に敷いた布団へ潜り込む。
(…………はぁ)
雨の音。
風の音。
遠くで唸る、雷の音。
(あんたのせいで、眠れないじゃない……)
肩に寄りかかってきた体温を思い出す。
ただの立ち眩みだったのか、それとも──。
(だめだめ、早く寝なきゃ)
陽南は頭から布団を被り、瞼を押さえ込んだ。
やがて、じわじわと眠気が訪れる。
(…………?)
微睡みの中、何か物音を聞いた気がした。
だが眠気には勝てず、意識は静かに沈んでいく。
リィン……




