⑥ 谷間の灯*
木々の隙間で、小さな灯りが揺れている。
近づくにつれ、古びた木造の建物が闇の中からゆっくりと姿を現した。
軒先にかかる表札には“桜岳孤児院”とある。
ドアノッカーを叩けば、中から足音が近づいてきた。
扉が、ゆっくりと開く。
「……何の用?」
出迎えたのは、十二、三歳くらいの少年だった。
黒髪から覗くやんちゃそうな吊り目が、真っ直ぐ睨み上げてくる。
(赤い、眼……?)
気圧されながらも、陽南は努めて穏やかに告げる。
「山越えの途中で橋が落ちてて……日も沈んでるし、一晩泊めてもらえないかしら?」
「さぁ、知らね。先生に聞いてみれば?」
それだけ言い放ち、少年はさっさと中へ引っ込んでしまった。
ぽかんとしていた陽南は、隣の三明へ目を向ける。
「……なに?」
「今どきの子は可愛げが無いわね。まるでどっかの誰かさんみたい」
「おれ、あんなに無愛想か?」
真顔で首を傾げられ、陽南はこっそり苦笑した。
(……どっこいどっこいよ、どう見ても)
◇
「院長の桜木です。こんな姿ですみません」
赤眼の少年が「先生」と呼んでいた女性──桜木咲子は、右腕を三角巾で吊っていた。
先日の大雨で橋が崩れ、落ちそうになった子供を庇って負傷したのだという。
「ちょうど夕食にする所ですが、ご一緒にいかがですか?」
こうして無事に泊めてもらえることになり、食堂へ足を踏み入れる。
陽南の隊服を見て、小さな子供たちが勢いよく駆け寄ってきた。
「わぁ、ゆうきしだんだ!」
「かっこいいー!」
(かっ、可愛い……!)
わいわいと囲まれ、思わず頬が緩む。
……その一方。
「きんぱつって、はじめてみた」
「めつきもこわいし。ふりょう?」
「おねえさんに、たいほされたの?」
散々な言われようの三明は、無表情のまま子供たちを見渡す。
「……だったら?」
途端、一斉に後退る子供たち。
すっかり敬遠された三明は、無言で部屋の隅に腰を下ろす。
(武智君の時といい、なんで否定しないのよ……!)
そこへ、黒いおさげ髪の少女が歩み寄った。
三明の向かいに座り、にっこり笑う。
(あら? あの子って……)
玄関で出迎えた少年と同じ、赤い瞳。
どうやら歳の近い兄妹のようだ。
「……なんでそんな隅っこに座ってんの?」
程なく、あの少年もやって来た。
警戒するようにこちらを一瞥してから、少女の隣に座る。
そうして、夕食のひとときが始まったのだが。
(……あれ、もう仲良くなってる?)
三明がぼそりと何かを呟く。
すると兄妹が同時に噴き出した。
はしゃぐ子供たちの声に掻き消され、どんな話をしているのかは分からない。
でも、三明の表情はどことなく穏やかで。
(ひとまず、安心みたいね)
陽南は笑みを深め、質素ながら美味しい夕食に舌鼓を打った。
◇
崩落した橋が復旧するまで数日かかるらしく、馬車には一度引き返してもらうことにした。
その間、陽南たちは一宿一飯の恩返しとして孤児院を手伝うことにしたのだが──。
「ありがとうございます。でしたら、主に食事の用意をお願いできますか?」
「……え」
しかし5分と経たず、陽南は己の判断を後悔していた。
「十に満たない子が多いので、ほぼ全面的にお任せしたいんです。年長者の兄妹にも手伝わせますので……」
(……よりによって! 一番の苦手分野っ!)
咲子から差し出されたのは、二人分のエプロン。
引きつりそうな笑顔を必死に保ちながら、精一杯の明るい声で答える。
「あっはい、食事の支度くらい朝飯前ですよ──こちらの彼も、料理上手ですし!」
ちらりと振り返り、懇願の眼差しを向ける。
三明は若干呆れた顔で、小さく息を吐いた。
「……了〜解です」
咲子の部屋を出るなり、陽南は両手を合わせて彼を拝む。
「三明、後はよろしく頼むわ! 終わったらせんべい奢るから!」
「別に、協力すんのはい〜けどさ……姉御も、少しは手伝ってくれるよな?」
「う……一応、頑張るけど」
「よし」
渋々答えれば、どこか満足げに頷く三明。
手早くエプロンを着用し、頭に三角巾を巻いていく。
(……なんか、ちょっと新鮮ね)
頬のラインに沿うように走る、薄い傷痕。
金の猫っ毛がすっきりと収まると、見慣れた少年の顔が、いつもと少し違って見えた。
陽南も着替えて台所に向かうと、黒髪赤眼の兄妹が揃って待っていた。
「おはようございます。桜木憐可、十二歳です」
おさげ髪の少女が控えめに頭を下げる。
玄関で出迎えた少年も、ぶっきらぼうに言った。
「兄の将大だ」
「あたしは大鳥陽南よ。よろしくね」
「…………」
陽南と目が合うなり、すぐに逸らされる。
そんな兄に苦笑すると、妹の方は台所の入口に佇む三明へと笑みを向けた。
「人参と玉葱のお味噌汁を作ろうと思って。ミッちゃん、手伝ってくれる?」
(……ミッちゃん!?)
「了〜解。おれタマネギやるから、憐チャンは姉御と一緒に他の具材ヨロシク」
(れ、レンちゃんっ!?)
一晩でそこまで仲良くなっていたとは。
陽南は仰天しながら、まな板の前に立った。
──そうして早速、人参の皮剥きを手伝い始めたのだが。
(うっ……ガタガタだわ)
やっと一本剥き終えた人参は、元の大きさよりだいぶ細く歪な形になってしまった。
その間に憐可はするするっと三本をこなし、一口大にカットまで終えている。
「人参できたよ。玉葱、手伝おうか?」
「別にいい。目ぇ痛くなるぞ」
顔も上げず、テンポ良く玉葱を薄切りにしていく三明。
その横顔をじっと見つめ、憐可がぽつりと呟く。
「……ありがとう、ミッちゃん」
うっとりと、熱を帯びたような眼差し。
何となく、面白くない気がする。
(……なんて、大人げないわよね)
「姉御、ニンジン剥けた?」
不意にひょいと覗かれ、陽南は慌てて包丁を握り直す。
「っ、できたわよ! 今から切るの!」
刃を当て、力を込めた──が。
「あ〜、上から押し潰すんじゃなくて、スッと引く感じ」
「こう?」
「や、それじゃノコギリ。包丁は……」
「あぁもう、分かんないわよっ!」
悔しくて情けなくて、何より恥ずかしくて堪らない。
憐可の困惑した顔すら、煩わしかった。
「……こっちのがいっか」
不意に、三明が後ろへ回り込んでくる。
「力任せじゃなくて、こう、引くんだ」
陽南が包丁を握る上から、そっと添えられる手。
耳元に落ちてくる、落ち着いた声。
──どきり、と心臓が跳ねた。
「……っ!?」
彼に他意はなく、ただ教えているだけ。
そう、頭では分かっていても。
背中越しの体温が、思考を掻き乱していく。
「わっ、分かった、分かったから! あとは一人でやるわ!」
「ん。頑張れ」
あっさりと離れていく気配。
手元を見るふりをして俯き、包丁を握り締める。
(……なんで顔が熱いのよ、あたし)
視界の端で、憐可の赤い瞳がじっとこちらを見つめていた。




