⑤ 運命を背に
翌朝一番、陽南は朱子隊の隊長室を訪れた。
「失礼します」
「どうぞ」
入室すると、隊長・赤司康志が、どこか浮かない顔で立っていた。
そして、彼の隣には──。
「そ、総団長……!?」
片眼鏡をかけた壮年の男── 夕輝士団総団長・日向鉱紳。
夕輝士団の頂点に立つ男を前に、陽南は思わず居住まいを正した。
「君が大鳥さんか。南燿地方での視察報告書、読ませてもらったよ。実に見事な観察眼だ」
(半分以上、三明のおかげなんだけど……)
ぎこちない微笑みで一礼すると、日向は笑みを深める。
穏やかな物腰ながら、その眼差しには人を見抜く鋭さがあった。
「女王陛下の勅命についても聞いているが……東燿地方へ向かう道中、君を見込んで頼みたいことがある」
総団長直々の指令に、陽南は思わず息を呑む。
「結火山を経由し、山間にある村々を視察してきてほしい」
「山奥の村を、ですか?」
「そうだ。あえて先入観を持たず、自分の目で見てきてくれ」
胸の奥に、じんわりと高揚感が灯る。
成り行きとはいえ、平隊士の自分が総団長に期待されるなど、当然ながら初めてだ。
「了解いたしました! 全力を尽くします」
日向は満足げに一つ頷き、退室していく。
陽南は改めて康志に向き直ると、南燿地方の視察報告を行った。
ついでに、先程から気になっていたことを尋ねる。
「隊長、どうかしました……?」
日頃、どんな時でも穏やかな笑みを絶やさない上司だ。
だが今日に限っては、その笑みがなかった。
「……少し、気掛かりなことがありまして」
水色の瞳を伏せ、静かに眼鏡を押し上げる。
その顔は、どこか寂しげに見えた。
「極秘任務も勿論ですが……まずは結火山の視察、充分用心してください」
◇
王都郊外、陸奥家別邸にて。
屋敷の前に、いかにも高級そうな小型の馬車が停まっていた。
「山道でも小回りが利く特別仕様だ。良ければ使ってくれ」
「ありがとう武智君! やっぱり持つべきものは金持──頼れる友人ね!」
心から感謝すれば、ふふんと得意のドヤ顔で踏ん反り返る武智。
本当は出発前に実家へ寄り、四大名家の血筋について聞くつもりだったが──。
『今は留守だと思いますよ。先日、レオさんと仲良く東燿地方へ発たれたばかりですし』
そう康志から聞いた時、軽く戦慄した。
(まさか……再婚なんてしないわよね?)
かつて陽南の母に惚れていたという、能天気極まりない元総団長・レオナルド。
あの残念男が義父になるなんて、冗談でもごめんだった。
「──という曰く付きの山なんだ。しかも山頂付近では、稀に強力な妖獣も出るらしい」
余所事を考えている間も、武智お得意の地理講釈は続いていたらしい。
「……途中までなら、僕も付き添おうか?」
どこか心配そうに付け足す武智。
馬車の座席を、陽南はひょいと覗き込む。
どう見ても、二人乗りが限界だ。
「絶対無理でしょ、無駄に図体だけはでかいんだから!」
「あと態度もな」
「なっ、馬鹿にしてるのか空見ぃぃ!」
やけに素っ気ない態度で、そっぽを向く三明。
かと思えば、陽南を振り返って一言。
「……あのさ。今すぐぶん殴って、気絶させてくれねぇ?」
「……は?」
騒ぐ武智をスルーして、馬車が走り出す。
そうして出発し、数分後。
「…………」
「えっ、吐きそう!? 今はダメよ、我慢してっ!」
口元を押さえ、真っ青な顔で座席にうずくまる三明。
馬車酔いで瀕死だなんて、元盗賊の術剣士とは思えない。
「すみません、前方に妖獣らしきものが!」
「えぇっ!? まだ山頂までだいぶ先よね!?」
さらに不運は続く。
御者の声にぎょっとしつつ、陽南は双刀を手に跳躍した。
(げっ……!)
道を塞いでいたのは数体の妖獣──ではなく。
獣より狡猾な妖鬼、“仔売鬼”だった。
小柄な体で油断を誘い、群れで氷術を浴びせてくる厄介な相手。
陽南は思わず舌打ちした。
(武智君の情報って、毎度あてにならないわね……!)
失礼なことを思いつつ、炎を纏う刃を振り翳す。
「っ、この……しつこいわね!」
右足に氷術を受け、足止めされた所を囲まれる。
焦る陽南の耳に、掠れた声が届いた。
「……ぅ……《光閃》……っ」
「!」
咄嗟に目を瞑れば、瞼の裏で閃光が炸裂する。
「ありがと、三明っ!」
「…………」
足元を覆う氷を叩き割り、敵を薙ぎ払う。
三明は青褪めた顔をしながらも、陽南の背後をフォローしてくれた。
「これで最後ね!《紅蓮刃!》」
「ぁ、待て、姉御……っ」
残りの一体を斬り伏せた、その途端。
左右の藪から現れた妖鬼が、至近距離で氷術を発動した。
(! まずいっ!)
「《光、鏡》」
陽南の左右に、円形の光盾が展開する。
氷術がぶつかった瞬間、光盾は鏡のように敵へと跳ね返った。
(今のって、術……!?)
ふと、旅に出て間もない頃のことを思い出す。
『“光るだけの術”で目潰しと、相手の術を跳ね返す程度だけどな』
(サポート向きって言う割に、なかなか強い術じゃないの)
すっかり氷像と化した敵にとどめを刺して、振り返ると。
「ねぇ、三明──あれ?」
……しーん。
死人のような顔色で、地面に突っ伏す三明。
「……生きてる?」
「も、打ち止め…………てか、吐きそ……っ」
「ちょ、待って、ステイ! せめて藪の方に──!」
◇
その後も一日に何度となく妖獣が現れた。
馬車はそのたびに止まり、
三明はそのたびに青ざめ、
陽南はそのたびに双刀を振るった。
「また妖獣です!」
「…………ぅ、ぇっ……」
「あんたはもういいから! 寝てなさい!」
気づけば日は大きく傾き、辺りはゆっくりと夕闇に染まり始めていた。
そして更に、重なる不運。
「嘘……橋が落ちてる……!?」
「引き返すには時間が遅すぎます。かといって、野営も危険かと……」
御者と共に辺りを見渡す。
陽南の目が、視界の隅に微かな光を捉える。
「あの、あそこは……?」
背の高い木々に囲まれ、ぽつんと建つ一軒の建物。
窓から漏れる灯りだけが、夕闇の中で静かに揺れていた。




