④ 硝子の夜会*
ずらりと並ぶ、華やかな衣装の数々。
陽南が手に取ったのは、ワインレッドのイブニングドレスだ。
鏡の前で一度くるりと回ってみる。
なんだか自分じゃないみたいで、不思議な心地だった。
(悪くはない……けど)
「これ、腕と肩の露出がちょっと……」
「なら、なんか羽織れば?」
部屋の隅で手持ち無沙汰にしていた三明は、気怠げに呟く。
控えていたメイドたちがすぐに反応し、用意されたのは黒のボレロ。
肩に掛けると、露出はほどよく抑えられた。
「……うん、これなら」
小さく頷いたところで、今度は髪。
あっという間にアップスタイルへと整えられる。
(綺麗だけど、なんだか窮屈ね……)
メイド達が出ていき、ふと三明に聞いてみる。
「……ちゃんと、似合ってる?」
「あぁ」
「そ、そう……?」
即答され、なんだか照れてしまう。
何気なく耳元の髪に触れた、その瞬間。
「あ」
指先が引っかかり、まとめられていた毛束がさらりと崩れた。
「ど、どうしよう!? もう始まっちゃうのに!」
鏡の前で慌てる陽南に、三明は淡々と返す。
「その辺りだけ留め直せば平気だろ。多分」
「……三明、直せる?」
駄目元で頼んでみると、一瞬、考えるような間があった直後。
三明は立ち上がり、櫛を手に取った。
「……了〜解」
背後に回り、崩れた部分をそっとすくい上げる。
髪に触れる指先は、驚くほど繊細だった。
(……器用ね)
手早く髪をまとめ、ピンで固定し、最後に数か所を補強する。
ものの数分で、陽南の髪は先程よりも綺麗に整っていた。
「ありがとね、助かったわ」
「ん。タマノコシ、頑張れよ」
「もう、そんなんじゃないってば!」
否定しつつ、笑顔で彼に手を振る。
三明が小さく頷くのを確認し、部屋を出た。
──とはいえ。
(……ちょっとだけ、期待はしてるけど)
華やかな場に、豪華な料理。
そんな非日常に、少なからず高揚している自覚はあった。
◇
会場は、眩いほどの光に満ちていた。
武智に挨拶を済ませ、立食形式の料理へ手を伸ばす。
色鮮やかで食欲をそそる、完璧な見た目。
鼻腔を擽る香りに誘われ、口に運ぶ。
(……あれ?)
美味しいはずなのに、味がどこか遠い。
「こんばんは、素敵なお嬢さん。お名前を伺っても?」
近くで食事をしていた華族や実業家たちが、気さくに声をかけてくる。
笑顔で応じ、会話も交わす。
なのに、言葉が上滑りしていく。
気づけば、何度も壁の時計へ目を向けていた。
(……あたし、何やってるんだろ)
心の底から楽しめないのは、なぜだろう。
広間の熱気が、やけに息苦しい。
陽南は、逃げるようにバルコニーへと足を向けた。
◇
夜風が頬を撫で、少しだけ気が楽になる。
ほっと一息ついたところで、背後から落ち着いた声がした。
「やぁ。……先日はどうも、レディ」
陽南は振り返るなり、目を丸くする。
「あ、あの時の……!」
「改めて名乗らせてほしい。山田竜真だ」
南燿地方で出会った、旅商人だという長身偉丈夫。
黒の洋装に身を包み、長い黒髪を項で束ねた姿は一層凛々しく、魅力的だった。
「あ、あたしは、大鳥陽南です」
「陽南。貴女にぴったりの、愛らしい名だ」
真っ直ぐに名前を呼ばれ、頬が熱くなる。
「や、山田さんは華族の方……でしょうか?」
「いや、実家は八岐竜製鉄と取引する商家だが」
「えっ、あの有名な!?」
思わず声が弾む。
王国随一の大企業と契約しているなんて、かなりの大商家なのは間違いない。
「将来的には、行商にも力を入れようと画策している所だ」
「……それで、南燿地方にいらっしゃったんですね」
豪商の御曹司でありながら、自ら地方へ足を運ぶ姿勢。
すごい人だと、素直に尊敬した。
「あの時はすまない。見慣れぬ女性隊士の凛々しさに、つい声をかけてしまってな」
「……!」
山田が一歩、距離を詰めてくる。
「あの後、君が幼児を救うために火事場へ飛び込んだと聞いた」
穏やかで優しい、しかし強い眼差し。
「その勇敢さは、賞賛に値する……だが、もっと自分自身を大切にしてほしい」
言葉が、視線が、あまりに真っ直ぐで。
火照った顔を隠すように、目を伏せる。
「あ、あれは、三──仲間が火を消してくれたから……」
彼の名前を出しかけた、その時。
竜真の顔色が変わった。
「あの、妙な毛色の小僧……」
険しい表情、地を這うような低い声。
一瞬で、空気が冷える。
「奴は、君の隣に相応しくない」
「……え?」
「何を企んでいるのか知らぬが、いずれ間違いなく君の害となるだろう」
静かだが、有無を言わせない響き。
(……違う)
その言葉に、胸がすっと冷えた。
確かに、素敵な男性だとは思う。
──けれど。
そのときめきは、一瞬で掻き消えた。
脳裏に浮かぶのは、ひとりで空を眺めていたあの背中。
「……すみません」
毅然と竜真を見上げ、短く告げる。
「そろそろ、お暇いたしますので」
「! 待て、君は──」
引き止める声を聞かず、踵を返す。
そのまま、陽南は足早に広間を後にした。
◇
客室の前で足を止める。
半開きの扉から、そっと中を覗いてみると。
(……三明)
窓枠に腰掛けたまま、夜空を見上げる彼。
月明かりに照らされた横顔は、どこか遠い。
「……はぁぁ、疲れた!」
わざと音を立てて扉を開ければ、ぱっと三明が振り返った。
わずかに見開かれた金眼が、陽南を映す。
「あぁいうの、やっぱあたしの性には合わないわ」
「……そっか」
いつもの眠たげな無表情。
ふっと力を抜いたように見えるのは、気のせいだろうか。
「ただいま、三明」
一歩、部屋に入ると。
静かな声が、耳に届いた。
「……おかえり」
胸を締め付けていた緊張が、解けていく。
(あたしの“居場所”は──)
煌びやかな広間よりも。
静かなこの部屋の方が、ずっと落ち着く。
その理由を、陽南はもう分かっていた。




