幕間 水鏡の向こう側*
「おい、姉御っ」
「陽南さん!?」
――次の瞬間、彼女は炎の中に消えていた。
「陽南さんっ! 待つんだ! 無茶にも程がある!」
慌てて呼びかけるが、返事はない。
武智は本気で焦った。
「君たち、体力に自信のある者はいるか!? 誰か、陽南さんを追ってくれ!」
夕輝士団本部の副隊長という権限を使って命じる。
しかし、地方支部の隊士たちは不安げに顔を見合わせるだけで、誰一人として動かなかった。
「っ、なら僕が!」
「落ち着け、タケチ君」
異様なほど冷静な声に、武智はカッとなる。
「黙れ盗賊! 人の命をゴミ同然に切り捨てる奴が、僕に指図するな!」
激情のままに吐き捨てながらも、言葉に詰まる。
「“元”盗賊な」
彼の眼差しは――あまりにも静かで、真っ直ぐだった。
「タケチ君まで突入して、共倒れになったら困るだろ。中に入るのは、火を消してからだ」
相変わらず地面に座り込んだまま言われ、武智はわずかに息を飲む。
悔しいが、三明の言う通りだ。
「っ、しかし……僕の術力量で発動できる水術は、一回が限度だ。果たして、屋敷全体の火災を消せるだろうか……?」
「おれが何とかする。とにかくタケチ君は、全力で術をぶっ放してくれ」
頭の奥で、警鐘が鳴る。
――盗賊を信用するな。
だが、迷っている暇はない。
「姉御を助けたいって気持ちを、思いっきりぶつけるんだ」
術力の源は、体力及び生命力。
それを制御するのは、強い感情と精神力だ。
「――うおぉぉぉぉ! 水よ! 弾けろぉ!」
術杖を構え、力の限り叫ぶ。
「《スプラッシュショットォォォ!》」
激しい水撃が杖先から吹き出した。
全身全霊を込めた分。猛烈な脱力感に襲われ、その場にへたりこむ。
入れ替わるように立ち上がった三明が、両手で小太刀を掲げた。
「《光鏡》」
水撃の軌道の先に、円い光の膜が展開された。
弾かれた水が、衝撃で広がる。
さらに、三明は息を詰めるように力を込めた。
「《天蓋、光鏡》……っ」
瞬間、視界が白く染まった。
ドーム状の光が、炎と屋敷を包み込む。
その内部で、水が勢いよく降り注いだ。
「…………」
轟音とともに、火は急速に勢いを失っていく。
「空見っ!?」
火が消えた直後、三明の身体が前のめりに崩れた。
慌てて支えた肩は、服越しにも冷え切っている。
――術力枯渇だ。
「何とかなった、な」
指一本動かせないまま、それでも金の瞳だけを動かし、三明は武智を見上げる。
「早く“仲間”を助けてやって。副隊長サン」
◇
その後、陽南と子どもを救出し、医者に診せた。
その合間、三明から事情を聞く。昼間に遭遇した三人組の特徴を、彼は迷いなく答えていった。
「一人は四十代、あとの二人は三十代前半。身長は──」
彼への疑念は、ほとんど消えている。
――だが。
(……やはり、どこか冷たい)
昔の仲間を、あっさりと切り捨てる。
その割り切り方が、どうにも気に入らない。
(盗賊団を抜けたからといって──)
武智の脳裏に、過去の記憶がよぎった。
陸奥家の別荘が襲われた夜。
使用人が命を落とし、屋敷が焼け落ちた、あの光景。
――盗賊は、信用するな。
「…………」
宿に戻り、陽南を部屋に運び込む。
そして、沈黙。
「少し外、行ってくる」
張り詰めた空気を読んだかのように、三明は屋根へ上がっていく。
──そして。
そのまま一晩、戻ってこなかった。
◇
早朝、窓の外。
(……毎日、やってるのか?)
朝靄の中で、小太刀を振るう金髪の少年がいた。
素人目で見ても、技量は高い。
だが、筋力は陽南に遠く及ばない。
術力量も、決して多くはないのだろう。
それでも――ひたすら素振りを繰り返している。
(あいつ……)
才能に恵まれた者の余裕など、欠片もない。
ただ、足りないものを埋めるような、愚直な動き。
仲間のために術力を使い切り、なお剣を振るう姿。
普段の気怠げな態度からは、全く想像していなかった。
(……なるほどな)
武智は、未だ眠る陽南を振り返る。
彼女が三明を隣に置く理由が、少しだけ分かった気がした。
(陽南さんなら……きっと、許すんだろう)
目いっぱい叱りつけた後、すべてを受け入れてやる。
そんな姿が、容易に思い浮かぶ。
(……僕は)
名家の嫡男としての重圧。
伴わない実力。
性根もすっかり捻くれて、歪んでしまった自覚はある。
それでも。
彼女の信念に憧れた、この気持ちだけは本物だ。
「――よし!」
勢いよく頬を叩く。
……思ったよりも、結構痛かった。
三人揃った時に、ちゃんと話そう。
自分の中にある、この感情を。
「おい、空見!」
気付けば、自然に声が出ていた。
手を止めた三明が、わずかに振り返る。
「早くしろ、朝食の時間だ!」
諦めなければ、人は変われる。
彼もそうだったなら、自分だって──。
→第二章『月下ノ選定』に続く




