⑬ 火種の後始末
重たい瞼を、ゆっくり持ち上げる。
ぼやけた視界に飛び込んできたのは、やけに至近距離の顔だった。
「──陽南さん! 気が付いたか!」
「武智君、顔近い」
「あっ別に、貴公子の接吻で目覚めるか試していた訳ではないからな!」
「はいはい分かったから適度に離れて」
半ば押し返すように言って、陽南は体を起こした。
見慣れた宿の天井。
どうやら無事に戻ってきたらしい。
「痛っ……」
右頬のガーゼがひりつき、布団の中の右腕がじんわりと熱を持っていた。
火傷のようだが、動くのに支障がある程ではない。
「陽南さん! まだ寝ていた方が――」
「何言ってんのよ。全然軽傷じゃない」
布団を押しのけ、そのままベッドに腰掛ける。
向かいで武智が、妙に背筋を伸ばした。
「で、あの後どうなったの? 男の子を見つけた後、ものすごい音がしたのは覚えてるけど」
「あぁ、僕の水術だ。空見の力も借りて、水を一点集中させて消火した」
三明いわく“光るだけの術”と、威力は心許ない武智の水術。
どういう仕組みかは分からないが――とにかく火は消えた、ということだ。
「子どもも無事だ。犯行グループはまだ捕まっていないが……あの勇気ある行動で、君の無実は認められたよ」
そこまで言って、武智は少しだけ顔をしかめる。
「支部の連中は誰一人、火の中に入ろうとしなかった……全く、情けない」
(あんたも前は似たようなもんだったでしょ)
喉まで出かかった言葉を飲み込む。
それより、気がかりだったのは。
「……三明は?」
問いかけると、武智の視線がわずかに揺れた。
「空見、は――」
嫌な間。
(嘘、まさか──!?)
青褪める陽南。
その空気を割るように、扉が開く。
「お、姉御。半日で起きるなんて、流石だな」
小さな土鍋を抱えて立っていたのは、エプロン姿の三明。
──瞬間、陽南の拳が反射的に跳ね上がった。
「グハァッ!」
綺麗に顎を捉え、武智がもんどり打って倒れる。
「っひ、陽南さん、愛が痛い……!」
「冗談キツいわよ。逮捕でもされたかと思ったじゃない」
「されたけどな」
「あぁそぅ――って、ええぇっ!?」
思考が一拍遅れて追いつく。
三明は何事もなかったように、机の上に土鍋を置いた。
湯気と共に優しい出汁の香りが立ち上る、玉子雑炊。
「半熟にしてみたけど、ど~かな」
「美味しそう……! 艶々した玉子がとろけてて――って違う! 逮捕ってどういうこと!?」
ツッコみながらも、食べる手は止めない。
「逮捕じゃない。事情聴取だ」
答えたのは武智だった。
「犯行グループの特徴を、空見に聞いたんだ」
「……三明、喋ったの?」
「あぁ。里を出た時点で、前の仲間を売る覚悟はできてる」
淡々とした声。
そこに、迷いはない。
(……そっか)
彼の判断は正しい。
でも――ほんの少しだけ、胸がきしむ。
「だからって、過去が消えるわけじゃねぇけど。な、タケチ君」
三明は軽く肩を竦めて、武智を見る。
「…………」
武智は少しの間、黙り込んだ。
やがて、ゆっくり口を開く。
「……僕は、空見が元盗賊だと知った時、本気で憎しみを覚えた」
静かに、けれど確かに。
「だが……僕は過去に囚われ、仲間を信じることすら忘れていた。それに気付かせてくれたのも、空見だった」
胸の内を曝け出した、彼の真っ直ぐな言葉。
「だから……陽南さんが信頼しているお前を、一応は信じてみようと思う」
「……ど~も」
三明の返事は軽い。
でもその表情は、少しだけ柔らいでいた。
「それと……疑って、すまな――」
(来た……!)
陽南が内心で構えた、その瞬間。
「華族が元盗賊に頭下げるとか、前代未聞じゃねぇ?」
「……と、当然だ! むしろ僕の温情に感謝するがいい!」
「ちょっと三明! 今の絶対いい流れだったでしょ!」
見事に台無しだが、当の本人は涼しい顔だ。
(ほんっと、この子は……)
呆れながらも、どこかほっとしている自分がいる。
――その時。
ふと、三明の視線が窓の外へ向いた。
「…………」
人通りの多い繁華街を行き交う人々。
その奥を、じっと睨むように見ている。
「三明?」
「……いや。別に」
すぐに視線を外す三明。
だが、彼の右手が無意識に左手首をなぞったのを、陽南は見逃さなかった。
「じゃ、洗い物してくる」
そのまま三明は、空になった土鍋を持つと、部屋を出ていった。
(……火は、消えたのに)
胸の奥に、まだ何かが燻っている気がした。
◇
――その、僅か一刻後。
人目のない裏路地で、三人の男が肩を寄せていた。
「……さて、俺達もさっさとトンズラするか」
「あの金髪坊主が仲間を売るとはなぁ」
「元仲間、だろ? 盗賊なんて所詮、裏切り裏切られる世界さ」
軽口混じりに笑い合う。
──その時。
「……不用意に目立つなと言ったはずだ」
低い声が、背後から落ちた。
三人が振り向く。
「……あぁ、山田さんか」
静かに立っていたのは、フードを目深に被った長身の男。
「土地神の社、ってのは見つかったんです?」
「確認はできなかったが……場所の見当はついている」
「そうですか……こっちは空振りですわ。町長すら、“旧”四大名家についてはなーんも知らねぇ始末で」
「里の方にも呼び出されてるんで、一旦戻ります。二重スパイも楽じゃねぇ──」
軽い調子で報告する男たち。
だが――次の瞬間。
「な――」
身の丈ほどの大太刀が、一閃。
音もなく、一人が崩れる。
「おい、待っ――」
続く刃。
あっけないほど一瞬で、三人は動かなくなった。
「騒ぎを起こすなと言ったはずだ」
山田は何事もなかったように、大太刀を背負い直す。
「……既に目的は達した。貴様らは用済みだ」
淡々と告げ、男は踵を返した。
雑踏へと溶けるように消えていく背中。
薄暗い路地裏には、三つの亡骸だけが残されていた。




