⑫ 揺らぐ心へ水を
「……なんで?」
問われた陽南は一瞬、息を止めた。
「……管轄外、だからよ」
ようやく出た声は、自分でも驚くほど硬かった。
「ここは支部隊の担当区域だもの。勝手に介入する方が問題になるわ」
越権行為は統制を乱す。
現地の治安維持は、現地の支部の責任だ。
規則を守るため、見逃したのは間違いではない。
――間違いでは、ないのに。
「…………」
三明は、何も言わない。
その視線は、妙に静かだった。
(……なによ)
胸の奥が、ちくりと痛む。
自分は正しいことを言ったはずなのに。
まるで、嘘を見抜かれているような気がした。
「と、とにかく! 今は視察任務中なんだから!」
誤魔化すように、陽南は視線を逸らす。
「余計なことして問題起こす方が困るでしょ!」
正論なのに。
胸の奥に、小さな棘が刺さったまま抜けない。
しばらくの間、沈黙が続く。
「……そっか」
やがて三明は、一言だけ呟くと。
いつも通りの無表情で、静かに歩き出す。
だからこそ、胸に罪悪感が広がった。
(……あたしは)
──本当は。
『仲間で家族』と言って笑った人たちを。
三明の大事な繋がりを、壊したくなかった。
隣を歩く少年の横顔を、盗み見る。
(これで、良かったのかしら……)
その沈黙が、責められるよりもずっと痛かった。
◇
「……タケチ君、まだ帰ってきてね〜よな」
逃げるように机へ向かい、報告書を書き上げた頃。
小太刀の手入れをしていた三明が呟く。
「そうね。もう夕食の時間なのに。先に食堂行ったのかしら」
二人で食堂へ向かう。
だが、扉を開けた瞬間、異様なざわめきが耳に飛び込んできた。
「おい、聞いたか? 二丁目の町長さん家が火事だってよ!」
「盗賊の仕業らしいわ。夕輝士団が今、犯人を追ってるって!」
陽南の背筋が、ひやりと冷える。
「……まさか」
「姉御」
三明の声も、どこか硬い。
だが、後悔するのは後だ。
「あたし達も行きましょ」
「あぁ」
二人で宿屋を飛び出す。
夕闇が迫る空の、左手の方角がやけに明るい。
「あっちみたいね。三明、先行ってて」
「や、でも」
「あんた一人の方が速いでしょ。あたしもすぐ行くから」
「……了〜解」
三明は小さく頷き、矢のように駆け出した。
その背中を見失っても、陽南は走り続ける。
「それにしても……速っ……」
元盗賊というだけでなく、身体能力もかなりのものだ。
パワーなら陽南に軍配が上がるが、やはりスピードでは彼に敵わない。
息が大きく上がり始めた頃、ようやく現場に辿り着く。
(あそこね……!)
燃え盛る家を囲むように地元の隊士たちが立ち、外側では野次馬達が押し留められていた。
「──答えろ、空見!」
ざわめきの中、鋭い声が響く。
「すいません、通して下さ――武智君!?」
人垣を抜けた先で、赤々と燃える炎に照らされ、武智が三明の胸倉を掴んでいるのが見えた。
三明は黙って俯き、されるがままだ。
「ちょっと! 何やってんのよ!」
「陽南さんか。君も、もう演技は必要ない」
氷のように冷たい視線に、理解が追いつかない。
「いきなり見破られて、言葉も出ないか? 僕もまさか、二人が盗賊の仲間だったとは思わなかったが……!」
「私達は見たんだ! 最近出没していた盗賊達と、この二人が密会していたところを!」
「あぁ、間違いない! 金髪と赤毛の男女だ!」
周囲の隊士達が、鋭く陽南を睨む。
「ちょ、ちょっと待って! 誤解よ!」
「なら、なぜ盗賊を捕らえなかった! 陽南さん!」
「それ、は……」
三明の、元仲間だったから。
情に流され、立場を忘れた――その結果だ。
「言えないということは、やはり盗賊の仲間だったんだな! 旅の間、励ましてくれたのも、助けてくれたのも……全ては僕を騙すためだったということか!」
「っ、違うわ! 確かに見逃したけど、あたしは盗賊なんかじゃない! 三明だって――」
「信じないぞ! それが盗賊の手口だ! 昔、うちの別荘もそうやって襲われた!」
怒りと悲しみが入り混じった叫び。
炎がさらに勢いを増す。
その時、風に乗って微かな泣き声が聞こえた。
「おい、子どもがいるぞ!」
二階の窓。
一瞬、炎の合間から小さな白い服が覗いた。
隊士達がどよめき、今さら慌てて水を探し始める。
「武智君! 水術で火を何とかして!」
懇願する陽南に、武智は冷たく返す。
「その隙に、逃げるつもりか?」
「違う! あたしは――!」
「俺を信じろとは言わね~よ」
不意に、三明の静かな声が響く。
「俺は昔、盗賊団にいた。アイツらはその時の知り合いだ。だから……どう思われても、何されても、文句は言えねぇ」
「……三明」
金の髪と瞳が、炎に照らされ茜色に染まる。
「けどさ、姉御のことは信じてやれよ。アンタら、隊は違っても仲間なんだろ」
「――!」
武智の目が見開かれる。
掴んでいた手が緩み、三明はその場にすとんと腰を下ろした。
「仲間を信じ、力を合わせて王国を守る……それが夕輝士団だって、親父は言ってた」
「…………」
「俺は逃げね~から、消火を頼む。タケチ君にしかできねぇ仕事だろ」
真摯に見上げられ、武智は固く目を閉じた。
「……陽南さん、僕は……」
やがて開かれた目に、先程の冷たさはない。
戸惑い、葛藤するような表情に、陽南は笑顔で返す。
「三明の言う通りよ。ここは武智君に任せるわ! あたしは、あたしでやれることをやるから!」
頼んだわよ!
そう叫ぶなり、陽南は隊士の一人から桶の水をもぎ取り、頭から被って建物へ飛び込んだ。
「おい、姉御っ……」
「陽南さん!?」
二人の叫び声は、燃え盛る炎と熱気にかき消される。
「あっつ……!」
口元を押さえ、煙を避けながら、辛うじて形を保つ階段を駆け上がる。
そして二階で、窓の手前で倒れている少年を見つけた。
「君、大丈夫!? しっかりして!」
反応はない。
だが、まだ生きている。
「早く外に……え?」
抱き上げた瞬間、瓦礫が崩れ落ち、階段を塞いだ。
振り返れば、ベランダも熱で歪み、出口を失っている。
(せめて双刀があれば……!)
丸腰では、瓦礫をどうすることもできない。
「……なっ!?」
直後──頭上から響く、轟音。
咄嗟に少年を庇い、何が起きたのか理解する間もなく、陽南の意識は闇に沈んだ。




