⑨ 朱炎の託宣
一社の最奥、揺らめく神聖な大気の向こう側。
そこには巨大な朱い鳥の姿をした何かが、圧倒的な質量を持って“存在”していた。
足元には巨大な巣のようなものがあり、その中には赤みがかった卵がいくつか覗いている。
『我は南の地を司る土地神、朱門雀なり』
その声は耳ではなく、直接魂に響くような重厚さを持っていた。
「……神だって!? あくまで信仰の象徴だろう、実在するはずが──」
『我に縁ありし、人の子よ』
武智の呟きを無視し、朱炎の双眸は真っ直ぐに陽南を見下ろす。
(……え、あたし?)
『我が名を、識っていたか。』
陽南は必死に記憶を辿るが、心当たりは皆無。
一瞬迷ったが、神の前で偽りを口にするのは許されない気がした。
「……いえ、知りません」
結局、陽南は素直に答える。
『最早、止むなしか……』
神は、重々しい溜息を吐いた。
『信仰は薄れ、此の地は加護を失いつつある。我が眷属の誕生すら危うい今、此の身も永くは保たぬであろうな……』
諦念を滲ませる神の言葉に、陽南たちは何も言えずに立ち尽くす。
神が消える。
それはこの土地が、真の意味で死に絶えることを意味しているのではないか。
『神域の意味を識らぬ者に用は無い。即刻立ち去るが良い』
「……はい」
頷きつつも、陽南の胸の奥はざわついていた。
このまま、ただ見捨てられた神を置いて去るのか。
何か、自分にできることは無いのだろうか。
「──あの。有り合わせで、良ければ」
不意に三明が口を開いた。
「タケチ君。少しだけ水術、頼めるか?」
「え? あ、あぁ」
武智の術で出した水を器に入れると、三明は鞄から米と塩、そして酒を取り出した。
それらを神の前へと静かに、作法に則って並べていく。
(あ……お供え、だわ)
目を閉じ、静かに手を合わせる三明。
陽南と武智も、彼に倣う。
『……ほぅ』
──すると。
神の口調が、僅かに和らいだ。
『礼節ある愛し子よ』
顔を上げた三明を、朱炎の双眸が静かに見下ろす。
『我が縁者を、宜しく頼む』
「了〜解です」
(なんかデジャヴ……!?)
「陽南ちゃんをよろしくね」と笑った母の顔が、陽南の脳裏をよぎった。
『縁の娘よ』
再び、神の視線が陽南を射抜く。
すべてを見透かし、それでいて包み込むような温かな眼差し。
『汝の信念こそ道標なり。思う儘に進むが良い』
「──はい!」
陽南は力強く答えた。
一人だけ蚊帳の外に置かれた武智が、少しだけ面白くなさそうな顔をして目を背けていた。
◇
外に出ると、先程まで背後にあった壮大な御社の姿は、忽然と消えていた。
陽南は隣を歩く三明に視線を向ける。
「お供えの仕方なんて、よく知ってたわね」
「…………」
三明は何も答えず、砂を踏む音だけが響く。
武智が苛立った声を出した。
「おい、聞いてるのか空見?」
「……昔」
ぽつりと、掠れるような声が漏れた。
「育ててくれた人が、やってた」
「…………」
彼の過去を、陽南は何も知らなかった。
時折、庶民にしては品のある所作を見せるかと思えば、普段の態度は高貴さの欠片もない。
一年前からレオナルドと行動していたというが、それ以前のことは謎に包まれている。
(今は、深く聞かない方がいいのかも……)
武智もいる手前、陽南は詮索の言葉を飲み込んだ。
「そっか。お陰で助かったわ、ありがとね」
「…………」
笑顔を向けると、三明は視線を逸らしながらも、小さく頷いた。
◇
南燿地方の貴重な水源地、煮尽町。
武智が地方支部で用件を済ませる間、陽南と三明は二手に分かれて買い出しをすることになった。
「すまないが、そちらのレディ」
商店街で物珍しい食材を眺めていた陽南に、紳士的な声が掛かった。
振り返れば、右目を前髪で隠した、驚くほどの美形偉丈夫が立っている。
「道をお尋ねしたいのだが」
「え? ええと、その……」
山田と名乗った男の整った顔立ちに、陽南は不覚にも少々ときめいてしまった。
年上長身イケメン。まさに好みのタイプだ。
「失礼。私は山田という、しがない旅商人だ」
「は、はい。……あの、あたしは──」
「退がれ、姉御」
穏やかな低音に釣られて名乗ろうとした瞬間、三明が庇うように割り込んできた。
彼の持っていた食材の包みが落下し、道に散らばっていく。
「三明? 急に、どうしたの」
「……同属か」
山田の表情が一変した。先程までの紳士的な笑みが消え、底冷えのするような冷酷さが露わになる。
「やけに気配が物騒だが……少年、何処の手の者だ?」
「……ただの、姉御の連れだ」
小太刀の柄を握る手は、指が白くなるほど力がこもっている。
今にも抜刀しそうな鋭い殺気が、陽南の肌を刺した。
「道案内なら、向こうの地方支部で頼めば」
「ふっ。青二才が一丁前にナイト気取りか?」
騒ぎを察して人が集まり始めたのを見て、山田は肩を竦めた。
興味を失ったように背を向けると、陽南に視線を投げて微笑む。
「まぁいい。……縁があればまた会おう、レディ」
悠々と歩き去っていく男。
声を掛けようとして三明の顔を覗き込んだ陽南は、思わずぎくりとした。
未だに“山田”の広い背を見据える、温度の無い眼。
一片の感情すら見えない、冷え切った表情。
自分の知る気怠げな少年とは別人のようなその顔に、陽南は言いようのない不安を覚えた。




