第一章⑩ 変わらぬ過去、変える今
砂漠の宿の食堂には、古い油の匂いが重くこもっていた。
「……食材どころか、調理法まで粗末だな」
煮魚に箸を付けた武智が、露骨に眉を寄せる。
「辛口仙人掌で魚の風味が塗り潰されている。空見の作る庶民料理の方が、数倍はましだ」
「しーっ! 声が大きいわよ」
陽南は慌てて武智を制した。
ぶっちゃけ同感ではあったが、店主の目が怖い。
気を取り直して魚の骨を取り除こうとしたが、右隣に座る武智と肘がぶつかり、どうにもやりづらい。
「席、逆に座ればい~じゃん」
盆を運んできた三明が、気怠げに言った。
ようやく三人揃って席に着いたところで、武智が声を低くする。
「……ここへ来る途中、盗賊の目撃情報があったそうだ」
「!」
「あ〜、変な商人なら見たな」
三明がさらりと言ってのける。
陽南は、昼間に出会った「山田」と名乗る男を思い出した。あの時は少しだけときめいてしまったが──。
「服で誤魔化してたけど、相当手練れだと思う」
「ふむ、明らかに怪しいな。明日、支部の者にも伝えておこう」
見知らぬ男へと、警戒心を露わにしていた三明。
冷たい殺気を孕んだ横顔が脳裏をよぎり、胸がざわつく。
「奴らは人を騙すエキスパートだ。じっくり警戒心を薄れさせ、完全に心を許した所で裏切り、金品も命も根こそぎ奪う──それが、盗賊のやり方だ」
嫌悪感を剥き出しにする武智に、陽南はふと尋ねた。
「……随分、詳しいのね」
「昔、少し被害に遭ってね。……とにかく、陽南さん達も用心してくれ」
武智の言葉を最後に、食卓の空気は目に見えて重くなった。
もとより口数が少ない三明に加え、饒舌な武智までが黙り込むと、夜の静寂が肌に刺さる。
暗い話題、不味い食事。
陽南は逃げるように残りを掻き込んだ。
◇
食後、一番風呂を武智に譲った陽南は、赤司隊長宛ての報告書を書き始めた。
土地神との出会い。そして告げられた、この地の末路。
『信仰は薄れ、此の地は加護を失いつつある……我らも永くは保たぬであろうな』
ただの地方視察のはずが、これほど重大な事態に首を突っ込むことになるとは。
「ねぇ三明、昼間の神殿だけど──あれ?」
ふと顔を上げると、隣のベッドにいたはずの少年の姿がない。
窓を見れば、鍵が一つだけ開いていた。
(……また、屋根の上?)
陽南は迷った末、外へ出た。
古い建物の屋根は軋み、音を立てないように上るのに苦労する。
(こんなに音がするのに、全然気付かなかったわ)
自分の不甲斐なさに溜息をつきながら、屋根の天辺へ辿り着く。
そこには、膝を抱えて座る三明がいた。
か細い三日月を、ただ静かに見つめている。
「……風呂?」
こちらを一瞥する三明に、肩を竦める。
「ううん。何となく来ただけ」
「ふ~ん……」
そっけない返事。
いつも通り淡々としているが、どこか声の芯が硬い。
陽南は隣に腰を下ろした。
「今日は、色々大変だったわね」
「あぁ。おれ、神サマなんて初めて見た」
「うん。……それに」
昼間から、ずっと心に引っかかっていた。
それを、ようやく言葉にする。
「ねぇ、三明……あいつが言ってた『同属』って?」
三明の肩が、ぴくりと跳ねた。
金の瞳が、わずかに揺れる。
そのまま、長い沈黙。
(話してくれない、か……)
夜風が通り過ぎ、二人の髪を攫う。
陽南が諦めかけた、その時。
「『聞かれたら、ちゃんと話して』……だったな」
自嘲気味に呟くと、三明は月を見上げたまま続けた。
「多分……“人を斬ってる”って意味。殺しの経験あるヤツは大体、雰囲気で分かるし」
「!」
「……おれ、元盗賊だから」
なんとなく、予感はあったけれど。
本人の口から放たれた言葉は、鉛のように重く陽南の胸に落ちる。
「レオナルドさんと会う前、ってこと?」
「その道十数年。忍び足も鍵開けもお手の物だ」
「…………」
「……で、ど~する?」
三明がこちらを向いた。
空虚な、何も映さないような瞳。
「盗賊が、信用得てから裏切るってのはホントの話だ。おれも……沢山、奪ってきた」
「三、明……?」
「……こんなヤツを、信用できんの?」
その拳が、白くなるほど強く握られていることに気づく。
──だからこそ、陽南は迷わなかった。
「できるわよ。当たり前でしょ」
口を開きかけた三明を遮り、真っ直ぐに彼を見据える。
「短い付き合いだけど、あんたのことはずっと見てた」
「…………」
「空ばっかり眺めてるし、でも人には妙に優しいし……」
三明は何も言わない。
「それって、後悔してるからよね。だから“元”なんでしょ?」
上手くまとまらない感情を、勢いでぶつける。
「つまり……えーっと、とにかく! あんたは『盗賊改造計画』の第一号ってことよ!」
「……更正な。改造はカンベンして」
「そう、それ! あたしが更生させてあげれば、何も問題無いでしょ?」
三明は呆れたように肩を竦めた。
けれど、先程までの固い空気は、少しだけ和らいでいる。
「……ったく。姉御といい、親父といい……」
「ちょっと! あんなろくでなしと一緒にしないでよ!」
「や、意外と似てるって。無駄に真っ直ぐで、熱苦しくて──」
文句を言おうとした陽南は、言葉を飲み込んだ。
三明が、ほんの僅かに──だが確かに、目を細めていたからだ。
「……こっちまで、あったかくなる」
不意に零された言葉に、胸の奥がむず痒くなる。
傍らの金髪に、そっと手を伸ばす。
三明は避けることなく、されるがままだ。
(……この子、本当、放っとけないわね)
柔らかな猫っ毛を撫でながら、陽南は苦笑した。
「いっそあんた、うちの養子になる? ママも喜ぶと思うわ」
「え、親父と瑞希サンが結婚するってコト?」
「……やっぱ今の無し! あいつが父親になるのは絶っ対無理!」
秒速で却下すれば、三明がしみじみと呟く。
「同属嫌悪ってヤツか」
「何か言った!?」
「や、別に」
ひょいと目を逸らし、三明は再び夜空を仰ぐ。
陽南も隣で、細く光る三日月を見上げた。
そっと、彼の横顔を盗み見る。
人形のような空虚さは──もう、どこにもなかった。




