032 人柱ライラ
シャーロットは見た目はいつも通りに冷たい笑みを浮かべているように見えた。まるで、このピンチを楽しんでいるかのようだ。
しかし、その指先は微かに震えているのがわかる。本当はシャーロットだって怖いのだ。
アーミーアントは、ドロップする素材も期待できない。本当に経験値を稼ぐためだけに存在するようなモンスターだ。
ゲームのように死んでもやり直しできるような世界ではないのなら、こんなモンスター百害あって一利もないと判断されるのも無理はない。
だが、オレだけはアーミーアントの価値を知っている。
だから、是が非でもアーミーアントを討伐したい。討伐して、レベルアップして、予想される破滅ルートから抜け出したい。
だから、オレはシャーロットに向かって笑顔を浮かべてみせた。
少しでもシャーロットを安心させたくて。
それが効果があったのか、シャーロットの指先の震えは止まり、彼女はまるで氷で作った風鈴のような涼やかな声で言葉を紡いだ。
「ただし、わたくしはここを動きません。その意味が分かりますね?」
「はい?」
今度はオレが驚かされる番だった。
女騎士やフランシスの様子を見ていれば、この世界でアーミーアントがいかに恐れられているのかわかる。
だというのに、シャーロットはここを動かないと言い放った。
王族の言葉は、オレの思っているよりも重い。一度放った言葉は、決してなかったことにはできないのだ。
つまり、シャーロットは本気でここを動かないつもりだ。
オレの言葉を信じてくれているということだ。
なら、婚約者として、シャーロットの信頼に応えないとね!
「お任せください。シャーロット殿下には、私のすべてをお見せしましょう」
「期待していますわ」
オレとシャーロットの会話はこれで終わりだ。あとは結果を見せればいい。
「姫様! お考え直しください! このままでは――――」
「私も反対です! 何事にも余裕を持ち優雅たれというのが――――」
オレが馬車を出ると、女騎士とフランシスが必死にシャーロットに翻意を促しているのが聞こえた。
まだ少ししか時を共にしていないけど、シャーロットは決して自分の言葉を否定することはないだろう。王族の矜持の塊のような少女だ。
そんな少女がオレを信じてくれる。あまつさえ、自分の命まで賭けてくれた。
それに報いないなんて、婚約者として、いや、男として廃るというもの。
「もうじき夜が来る……」
空を見上げれば、夕方を過ぎ、夜の帳が降り始めていた。
オレの時間だ。
◇
「遅い!」
私は今回のシャーロット殿下のご行幸の総指揮官を拝命する名誉に預かったチェスターである。
今は、シャーロット殿下へとご報告に走らせた新兵、オーレリアの帰りを待っているところだ。
与えた任務はシャーロット殿下に直接ご報告するのみ。これなら新兵でもできるだろうと家柄のよい者に行かせたのだが、それが間違いだったようだ。せめて、気の利く従者を付けるべきだった。
まさか、この程度のお使いもできない者が近衛兵にいるとは思わなかった。
まったく嘆かわしい。
やはり貴族出身の近衛兵の水準は明らかに下がっている。まだ実力で這い上がってきた平民からの叩き上げの近衛兵の方が使える。その差は増すばかりだ。
この問題をどうするべきか――――。いや、今は……。
「ライラを呼べ!」
「はっ!」
私の命令に対して、すぐに周りの近衛兵たちが動き出す。
そして、すぐにライラが私の前に連れられてきた。
貴族出身の近衛兵は、一人だけ従者を連れることが許されている。このライラは、シャーロット殿下へと伝令に出したオーレリアの従者だ。
主の不首尾は従者が贖うべきだろう。
ライラ。平民出身の近衛兵と遜色ないほどの実力を兼ね備えている将来有望な近衛兵だったのだが……。恨むなら、無能な主を持ったことを恨め。
◇
私、ライラは指揮官であるチェスター様から呼び出された時点ですべてを悟っていた。
「ライラ、シャーロット殿下へと伝令に向かったオーレリアが未だに帰らない。遠目だが、シャーロット殿下の馬車は動いていないらしい。もう悠長にオーレリアの帰りを待っている余裕もシャーロット殿下の退避を待っている余裕もない。わかるな?」
ああ、やはり……。
「かしこまりました。このライラ、アーミーアントの進行方向を変えるべく、全力を尽くします!」
アーミーアントの特性は知っている。自分たちを攻撃した者を決して許さず、どこまでも追いかけてくるゴブリンほどのサイズのアリだ。その数は、名の通り軍にも匹敵する。
アーミーアントを誤って攻撃し、滅んだ都市の伝説などいくらでもあるほどだ。
しかも、今回はアーミーアントの集団がもうすぐ近くまで来ている。軍からはぐれた個体ではないらしい。
このままでは、アーミーアントとシャーロット殿下が接触してしまう。
アーミーアントはただでさえ気性の荒いモンスターだ。シャーロット殿下をお守りするためにアーミーアントと戦争をするなど百害あって一利もない。
それを避けるためには、誰かが人柱となってアーミーアントを攻撃し、アーミーアントの標的となり、その進行方向を変える他ない。
その役に自分が選ばれた。
王族の方々をお守りしたいというオーレリアお嬢様の思いに感化され、私は今まで技術を磨き、知恵を蓄えてきた。
それがこんな犬死のような形で幕を閉じることに思うところはある。
本当は泣き叫びたいほど苦しい。
目には勝手に涙が溜まっていき、視界が歪む。
でも、私は近衛兵の名に恥じない最期を――――。
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