第4話 ギルドに依頼しましょう
木々の間から差し込む光さえも、彼女の周囲だけは薄暗く澱んでいるように見えました。
先ほどまで黒い灰が降り積もっていた森の道を出て、街へと向かって歩いてますが、なぜかアビゲイルさんは私の腕に抱きついています。
彼女が素足で地面を踏むたび、足裏に触れた枯れ草が音もなく灰と化し、周囲の小石が砂のように崩れ落ちていきます。
呼吸をするだけで大気中の魔素が凍りつき、まるでそこだけ季節が切り取られたかのような異様な冷気が漂っていました。
「あの……アビゲイルさん」
「んー……、なに?マリー」
彼女は虚空を見つめていた真っ黒な瞳をこちらに向けました。
開ききった瞳孔は光を反射せず、どこまでも深い穴のようです。
「その……歩くたびに周りを灰にしたり、重苦しい感じなるの止められますか?」
「え……。なんで?」
「先ほども申し上げた通り、普通の女の子として過ごしていただきたいからです。普通の女の子は、歩いてるだけで生態系を破壊したりしませんから」
私の言葉に、アビゲイルさんは少しだけ首を傾げました。艶やかな黒髪が肩から滑り落ち、彼女の周囲だけ重力が違うのか、ゆっくりと揺れます。
「そっかぁ。マリーは私の能力制限したいんだね……。でも、これ、息をするのと同じだから。どうやって止めるのか、よくわかんない」
「私の唯一のお願いですから……。大丈夫です、アビゲイルさんならきっとできますよ」
私が励ますように微笑みかけると、彼女は「んー……」と気怠げに声を漏らし、ほんの少しだけ目を細めました。
すると、彼女の足元で崩れかけていた草木の変化がピタリと止まります。周囲を覆っていた肌を刺すような冷気も、幾分か和らいだように感じられました。
「……こんな感じ?」
「はい! 完璧です。とても普通の女の子っぽくなりましたよ」
「マリーが言うなら、これからもやってみる。……うまくできるかわからないけど、頑張るね」
アビゲイルさんは嬉しかったのでしょうか。口元が魅惑的に、三日月のように弧を描いていました。
その時、私の腹部の奥で、ドス黒い泥のようなものが蠢く感覚がありました。
彼女にあった呪いを身代わりで引き受けた代償です。
呪いの術式が私の体内で根を張り、神経を食い破ろうと蠢いているのがわかります。
しかし、私の足取りは羽のように軽いままです。
なぜなら、今は『ギルドへ薬草を納品し、ポーション作成を依頼する』という、立派な業務の最中だからです。
(ええ、休日出勤とは言え、体調不良で倒れるなど、社会人としてあってはならないことです。ましてや今は、大切なお使いの途中です)
体に流れるアドレナリンがすべての痛覚に蓋をし、私はすこぶる健康的な足取りで街の門をくぐりました。
***
冒険者ギルドの扉を開けると、相変わらず新橋の居酒屋のような空気が押し寄せてきました。
昼間からジョッキを傾ける傭兵たちや、依頼書を睨みつける新人冒険者たちの喧騒が、ギルド内を満たしています。
「アンナさん、戻りましたー。薬草、採ってきました」
私が声を張り上げながら一歩足を踏み入れた瞬間でした。
ピタリと。
まるで誰かが時を止める魔法でも使ったかのように、ギルド内の騒音が嘘のように消え去りました。
グラスを傾けていた男の手が止まり、依頼書を指差していた剣士の口が半開きのまま固まっています。全員の視線が、私にぴったりとくっついているアビゲイルさんに注がれていました。
「……おい、あいつ……」
「嘘だろ。まさか、北の森に出たっていう……」
「そんなはずは……!」
ヒソヒソとした囁き声が、波紋のように広がっていきます。
アビゲイルさんはそんな彼らを、ただ感情のない真っ黒な瞳で一瞥しました。
それだけで、最前列にいた男が、ひっと短い悲鳴を漏らし、椅子ごと後ろに倒れ込みます。
誰もが道を開けるように後ずさり、カウンターまでの道が一直線に開けました。
(皆さん、本当に彼女が災害と言われた人だと思っているのでしょうか。)
私は受付の近くでくるりと体を翻し、皆さんに注意しました。
「皆さん、人を見た目で判断してはいけませんよ。例えどんなに風貌が似ていたとしても、真実が明るみになるまでは悪く言ってはいけません。」
私が彼女の手を引いて再び歩き出すと、周囲の冒険者たちは信じられないものを見るような目で私を見送りました。
カウンターの前に到着すると、いつもは笑顔で出迎えてくれる受付嬢のアンナさんが、顔面を真っ白にして固まっていました。
彼女の手元には、他の街のギルドから回ってきたであろう情報誌や手配書の束が広げられています。
その一枚に描かれた特徴と、目の前のアビゲイルさんを交互に見比べながら、アンナさんの呼吸は浅く、小刻みに震えていました。
「アンナさん、お疲れ様です。薬草が沢山取れたので、ポーション作成の依頼をお願いします。」
私が声をかけると、アンナさんはビクッと肩を跳ねさせ、カウンターの縁にすがりつくように両手を置きました。その指の関節は、強く握りしめすぎて真っ白になっています。
「マ、マリー、ちゃん……。う、後ろの、その人は……」
喉の奥から絞り出すような声。アンナさんの視線は私のすぐ隣にいる、アビゲイルさんに釘付けになっています。
「ああ、彼女ですか?森で迷子になって佇んでいたので、保護しました。アビゲイルさんです」
「ま、迷子……? 保護……?」
「はい。とても寒い中、薄着で倒れていらっしゃったんですよ。このままにしてはおけないと思いまして」
(呪いの件は……アンナさんに心配かけたくないので黙っておきましょう)
私が説明している間にも、アビゲイルさんは私の腰に両腕を回し、私の首筋に冷たい頬をすりすりと押し付けてきました。
「……ねえ、マリー……」
耳元で、甘く、それでいて底知れない闇を覗き込むような声が囁かれます。
「この女の人、私のことすっごく怖い顔で見てる。……マリーとの時間を邪魔されそう。」
気怠げなトーンのまま、彼女はとんでもないことを言い出してきました。
「このままだと、マリーのために我慢してる私の力、うっかり漏れちゃうかも……」
アビゲイルがそう呟いた途端、全てを灰と化す瘴気のようなものが出ているように見えました。
それにあてられたアンナさんや他の冒険者たちが苦しそうにもがき、一部の人は気絶しているようでした。
私は慌てて彼女の肩をポンポンと叩きながら、課した指示を守らなかった後輩を扱うような対応をしました。
「こら、ダメですよ、アビゲイルさん。アンナさんは私の大切な人です。それに、私のお願いも守れないのですか……?」
「えっ……?あ……うぅ……。ご……ごめんねマリー。そ、そんなつもりじゃなかったの……」
アビゲイルさんは何故だがとても怯えて不安そうな表情をしていました。
私が頭を撫でてあげると、安心したのか私の首筋に顔を埋めながら語りかけてきました。
「マリー、ごめんなさい……。ごめんなさい……。でも、マリーと居る時間を奪われたくないの……。」
(まあ……、助けてもらった恩義から、でしょうかね。新人のメンター担当した時の子にも懐かれたことがありましたが、あれと似たようなものでしょう。)
「アビゲイルさんがそんなことをしたら、私がギルドを出入り禁止になってしまいますからね」
私がクスクスと笑ってなだめると、カウンターの向こう側でアンナさんが小刻みに震え、呼吸することすら苦しそうな様子でした。
アンナさんの瞳孔は揺れ、私とアビゲイルさんを交互に見つめながら、ひくひくと口元を引きつらせています。
「あ、アンナさん? どうされましたか? 顔色が悪いですよ」
「い、いえ……なんでも、ないよ……。マ、マリーちゃんが、大丈夫というなら、そ、そう……なのね……?」
アンナさんは震える手で羽根ペンを握り、何度か手元を狂わせながらも、ようやく依頼書を作成してくれました。
羊皮紙にスタンプが押される「バンッ」という音が、静まり返ったギルド内に異様に大きく響き渡ります。
「は、はい……手続き、完了。ポーションは、夕方には、仕上がる予定、だから……」
「ありがとうございます! では、また後で受け取りに来ますね」
私は依頼書の控えを受け取り、アビゲイルさんの手を取って歩き出しました。
ギルドの扉に向かう間も、周囲の冒険者たちは壁に張り付くようにして道を譲り、誰一人として言葉を発しません。
「皆さん、今日はずいぶんとおとなしいですね。飲みすぎですかね」
「……あー、そうだね。きっと、そう……ふふふ……」
ギルドの重い扉を押し開けた瞬間、アビゲイルさんが私の指の間に自身の指を滑り込ませ、恋人つなぎのように深く絡めてきました。
氷のように冷たい指先が、私の体温を吸い取っていくようです。
「マリー……。さっきはごめんね、でも、私と一緒にいてね。ずーっと、ずーっと……どこにも、行かないで」
絶対に離さないと告げるような、抗いようのない力が指先に込められます。
私はその重みを、ただの心細さだと信じて疑わず、冷たい風が吹く街の通りへと足を踏み出しました。




