第38話 作戦開始前③
「……私たちのクラン名は、FABRAです」
繋がれた手から伝わるアザミさんの体温を感じながら、私はゆっくりとそう答えました。
「ファブラ……?」
「はい。古い言葉で物語という意味があるそうです」
私の膝の上では、フェイトちゃんがすやすやと心地よさそうな寝息を立てています。その柔らかい髪をそっと撫でながら、隣で退屈そうに頬杖をつくベラさん、そして虚空を見つめているアビゲイルさんへと視線を巡らせました。
「私、このメンバーで……ひとつの温かい物語を作っていきたいんです。誰も欠けることなく、悲しい結末なんて迎えない。最後にはみんなが笑顔で本を閉じられるような、そんな優しい物語を」
アザミさんは瞬きをした後、潤んだ桜色の瞳をキラキラと輝かせました。
「素敵だね……!」
繋いだ手にぐっと力がこもります。彼女は熱を帯びた声で身を乗り出してきました。
「私も、その物語……一緒に紡ぎたいな」
「ええ、ぜひ」
私が迷いなく頷くと、アザミさんはとびきり可愛らしい笑顔を見せてくれました。
「さて……そろそろ冒険者用の宿屋に向かって、少しでも身体を休めましょうか」
私たちは酒場を後にし、宿屋へ向かいました。
***
案内された冒険者用の宿屋は、明日の戦いを控えた者たちでごった返していましたが、なんとか大部屋を二つ確保することができました。
トゥーランさんたち男性陣と廊下で別れ、私、アビゲイルさん、ベラさん、フェイトちゃん、そしてアザミさんの五人は、広々とした女性用の相部屋へと足を踏み入れます。
「ふぁ~……お姉ちゃん、おやすみー……」
部屋に入るなり、フェイトちゃんは一番大きなベッドにダイブし、一瞬にして寝息を立て始めました。
「あはは、フェイトちゃん、本当に可愛いね」
アザミさんがふかふかのベッドに腰を下ろし、微笑ましく見つめます。
自然とひとつのベッドの周りに集まると、そこにはささやかな女子会のような空気が漂い始めました。
「アザミさんは、幼馴染の皆さんとずっと冒険をされてきたんですよね?」
尋ねると、アザミさんは少し懐かしむように目を細めました。
「うん。最初は本当に右も左も分からなくて……。ゴブリン一匹に四人がかりで、泣きながら魔法や剣を振り回したこともあったな。少しずつ依頼をこなして、なんとかここまでやってきたの。でも、冒険を続けるうちに……」
彼女の表情に、ふと暗い影が落ちます。
「怪我をして引退する人や、帰らぬ人になる冒険者をたくさん見てきた。だから、臆病になっちゃったのかもしれないね」
「そんなことありません。命を大切にできるのは、アザミさんの強さです」
「……ふふ、ありがとう。マリーちゃんは? 治癒士さんってことは、教会の出身なんだよね? どんな生活をしてきたの?」
「私ですか? 私は……そうですね」
私はこの世界にやってきてからの日々を思い返しました。
「救護院でほぼ毎日、患者さんのケアをしていました。怪我をした冒険者の方や、病気に苦しむ街の人たちに治癒魔法をかけて回る日々です。お給料というものはほとんどなく、僅かな寄付金で、固いパンと薄いスープだけの生活でしたね。でも、やりがいはありましたよ」
ぽたっ、と。
シーツに小さな染みができました。
見ると、アザミさんの目からポロポロと大粒の涙が溢れ出しています。
「えっ!? アザミさん、どうして泣いているんですか!?」
「だって……っ、ひどいよ……」
アザミさんは両手で顔を覆い、しゃくりあげました。
「マリーちゃんみたいに優しくて、こんなに頑張ってる子が、そんなボロボロになるまで働かされて……ご飯もまともに食べられないなんて……悲しすぎるよぉ……」
「あ、ありがとうございます……でも、私は本当に平気ですから」
自分のことのように本気で涙を流してくれる人がいる。なんだか胸が温かくなります。
涙を拭ったアザミさんは、少し鼻声のまま、部屋の隅で大人しくしているアビゲイルさんや、私の髪の毛をいじって遊んでいるベラさんに視線を向けます。
「あ、あの……アビゲイルさんは、どうして冒険者に?」
アビゲイルさんが気だるげに口を開きました。
「……昔は……人助け、してたかな。途中からよくわからなくなったけど」
「あはははっ! アビィったら、人助けのしすぎで心が壊れちゃったんだぁ! 傑作だねぇ~! 誰より不器用で、寂しがり屋のくせにぃ~!」
「……うるさい……」
アビゲイルさんの黒い瞳がスッと細められ、指先にゆらりと黒い炎が灯ります。
「ひゃあ~怖い怖いっ!」
ベラさんはわざとらしく両手を挙げて降参のポーズをとりました。
「ベラさんは、どうして冒険者をやっているんですか?」
アザミさんが少し身構えながら話を振ると、ベラさんは唇に人差し指を当ててウインクをします。
「ボク? ボクはねぇ~、内緒!」
可愛らしく微笑んだ直後、ベラさんの瞳孔が細く歪みました。粘りつくような甘い声が鼓膜を撫でます。
「だけどねぇ……ボク、誰かが苦しんで、絶望で顔をぐちゃぐちゃに歪めるのを見るのが、だぁ~い好きなんだぁ。人が壊れていく瞬間……もう、たまらないじゃんねぇ~!」
「え、えっと……そ、そうなんだね……あはは……」
引きつった愛想笑いを浮かべるアザミさん。その後も、アビゲイルさんをからかうベラさんと、無表情で黒炎を向けるアビゲイルさんのコントのようなやり取りが続きました。
そんな二人を見守りながら、私とアザミさんはお気に入りのお菓子の話や可愛い洋服の話など、とりとめのない話題で花を咲かせました。
「ふふっ、なんだか不思議ですね」
私がクスリと笑うと、アザミさんが首を傾げます。
「どうしたの?」
「いえ……うちのパーティは少し個性的というか、賑やかなので。アザミさんのような、普通の女の子とおしゃべりができて、私、すごく嬉しいんです」
アビゲイルさんやベラさん、フェイトちゃんといるのも楽しいです。けれど、アザミさんが纏う普通の女の子の空気に触れていると、張り詰めていた糸が少しだけ緩んでいくのがわかりました。
「これからも、よろしくお願いしますね、アザミさん」
真っ直ぐに見つめて伝えると、アザミさんは一瞬だけハッとしたように目を見開き――じんわりと頬を染めて、柔らかく微笑みました。
「うんっ……! こちらこそ、よろしくね、マリーちゃん」
私たちはこのあとの戦に備えて眠りにつきました。
***
ガァン! ガァン! ガァン! ガァン!
耳障りな金属音が、薄暗い街に響き渡ります。
作戦開始準備を知らせる、集合の鐘です。
「……んっ」
私は重い瞼をこじ開け、手早く身支度を整えました。
宿を出て広場に向かうと、そこには既に完全武装の冒険者たちが整列していました。誰一人として私語を交わす者はなく、重苦しい沈黙が広場を支配しています。
やがて指揮官の号令が下り、私たちは作戦の舞台である「フェルドモルト渓谷」へと向けて歩き出しました。
切り立った崖が両側にそびえ立つ渓谷に到着すると、部隊は前衛と後方支援、そして担当区域ごとに細分化されていきます。
「マリーちゃん……私たち、ここでお別れだね」
アザミさんが、不安そうに眉を下げて私を振り返りました。
彼女たちは前衛部隊。私たちは後方支援部隊です。
「ええ。作戦が終わったら、また必ず会いましょう」
私はアザミさんの両手を包み込むように握りしめ、静かに目を閉じました。
「アザミさん。どうか、ご無事で。無茶だけはしないでくださいね」
繋いだ手から淡い光を流し込み、彼女の身体をふんわりと包み込みます。
ゆっくりと目を開けると、アザミさんは私の顔を、瞬きすら忘れたようにじっと見つめていました。
その桜色の瞳の奥に、言葉では言い表せない熱情のようなものが渦巻いているのが見えます。
「アザミさん……?」
私が首を傾げた瞬間。
アザミさんが一歩踏み出し、私の両肩をそっと掴みました。
ちゅっ。
私の頬に、柔らかな唇が触れました。
「えっ……?」
突然のことに思考が焼き切れます。呆然とする私をよそに、アザミさんはゆっくりと顔を離し、これまでに見たどの表情よりも熱っぽく、艶やかな笑みを浮かべました。
「マリーちゃんの祈り、しっかり受け取ったよ。……絶対、死なない。生きて、マリーちゃんのところに帰ってくるからね」
頬に残る生々しい感触。
熱を帯びた、吸い込まれそうな瞳。
私は言葉を失ったまま、戦場へと背を向けて駆けていく彼女の小さな背中を、ただ呆然と見送ることしかできませんでした。




