第30話 突撃されると痛いです
窓の鉄格子から差し込む細い朝日が、私の瞼を刺激してきます。
昨夜の痛みが嘘のように、身体の隅々まで魔力が満ち足りているのを感じます。
私の超回復力が、莫大な負債を一晩で消化しきった証拠です。
周りを見ると、左側のベラさんはベッドの端まで転がって布団を蹴飛ばし、右側のアビゲイルさんは丸めた布に顔を埋めて、微かな寝息を立てていました。
(……えっ、なんで私のパンツを持ってるんですかこの人)
まさかと思い、寝間着の下に手を入れて確認します。
……本来、私の大事な場所を守るべき下着がありません。
(寝てる間に奪い取ったんですか……?)
呆れながらも、二人を起こさないようそっとベッドを抜け出し、洗面台の冷水で顔を洗います。
ベラさんが選んできた、両サイドに深いスリットの入った機動性特化の修道服に袖を通し、鏡の前で小さく息を吐きました。
(歩くたびに太ももがスースーして、どうにも落ち着きませんね……)
午前は教会でのお祈りと救護院での治癒業務。いつも通りのルーティンです。
私が怪我人に治癒をしている間、同行してきた二人は壁際で、それぞれ私の業務を阻害していました。
「あはっ。マリー、そんなにしゃがみ込んだら、うしろのおじさんたちが鼻血出してまた貧血になっちゃうよぉ? ほーら、見えてる見えてる」
ニコニコしながら私の太ももを指差すベラさん。
その後ろで、アビゲイルさんの黒い瞳孔が収縮し、足元から黒い瘴気が漏れ出しています。
「……やっぱりあの服は、ダメ……」
周囲の患者たちが恐怖を感じてガタガタと震え始めています。
「……業務の妨げになりますから、待合室でおとなしくしていてください」
***
午前中の業務を終え、僅かな日払いの賃金を収めると、私たちは大通りを抜けて冒険者ギルドへと向かいました。
「おはようございます、アンナさん。昨日はありがとうございました」
「おはよう、マリーちゃん」
カウンターに歩み寄ると、受付嬢のアンナさんが手元の羊皮紙をトントンと揃えて顔を上げました。
「あの、昨日、二階の客間でお休みいただいた金髪の少女の様子はいかがでしょうか?」
「あの子なら、さっき入れ違いで出て行ったわよ。マリーちゃんの治癒魔法のおかげでピンピンしてたわ。……挨拶一つしないで、風みたいに消えてったけど」
アンナさんは肩をすくめ、少し声を潜めました。
「それよりマリーちゃん、今日はあんまり遠出しない方がいいわよ」
「どうかしましたか?」
「ルーテシアの近郊でね、魔物のスタンピードが発生したって情報が入ってるの。ギルドからも討伐隊が編成されてるけど……。今日は大人しく街の中で過ごしてちょうだい」
「そうでしたか……」
私は、一片の曇りもない笑顔で相槌を打ちました。
スタンピード……大災害ですが、私のような平の新人治癒士が前線に出たところで、です。
(大規模なプロジェクトはベテランに任せるのが一番です。私には関係のないことですね)
「……スタンピード……私が全部、消してこようか?」
「いえ、私たちではクエストを受注できるかわかりませんから」
アビゲイルさんの提案を躱すと、隣から甘ったるい笑い声が響きました。
「あはっ、アビィってばホントに力押ししか脳がないの? そんなことしなくてもさぁ」
ベラさんが、薄水色の髪を揺らして私の腕に絡みついてきます。
「ボクが魔物たちの脳みそ弄って、同士討ちさせてあげるよ。群れの中で血みどろで殺し合うの、すぅーーっごく傑作だよ? 特等席で見せてあげるよ、マリー?」
完璧な美少女の笑顔で、息を吐くように残虐な提案をしてきます。
カウンターの奥から、静かに殺気が膨れ上がります。
「……あんたたちねぇ」
アンナさんの声が氷点下まで下がった、その時でした。
——ドゴンッッ!!
鼓膜を突き破る爆音と共に、ギルドの分厚い扉が木っ端微塵に吹き飛びました。
鋭い木片が散弾のように降り注ぎ、ジョッキを傾けていた冒険者たちが悲鳴を上げて床に伏せます。
土煙が舞い上がる中。
ぽっかりと空いた入り口の逆光に、一つの人影が立っていました。
金色のボブカット。昨日、鉱山の奥で下半身を潰されていた、あの少女です。
彼女は床に散らばる木片を気にも留めず、迷うことなくカウンターにいた新人受付嬢の元へ歩み寄りました。
ドンッ!
細い拳が、分厚いカウンターの天板を粉砕します。
「ひぃぃっ!?」
新人受付嬢が腰を抜かして床にへたり込みました。
「ねえ」
少女の声は鳥のさえずりのように高く、無邪気で、呼吸すら縛り付けるような絶対的な圧を伴っていました。
「嘘ついたのね。どこにもいなかったよ」
ルビーのような赤い瞳が、恐怖で震える受付嬢を見下ろします。
「あ、あのっ……! 私は何も……!」
「お姉ちゃん、どこに行ったのって聞いたよね? 教えてくれた場所に、お姉ちゃん、いなかったよ?」
少女はこてんと首を傾げ、天使のように愛らしい笑顔を浮かべました。
「……嘘つきは、首から上、いらないよね?」
白い手が、ゆっくりと受付嬢の首元へ伸びます。
指先が空気を撫でるだけで、ギシッと空間の軋む音が聞こえた気がしました。
「あ、あそこにいますぅぅっ!!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった受付嬢が、カウンターの端に立つ私を指差しました。
ピタリ、と。
少女の手が止まり、ゆっくりとこちらを向き、私を捉えます。
パチリ、と彼女が瞬きをした次の瞬間。
視界から、少女の姿が掻き消えました。
「お姉ちゃんっ!!」
ドンッ、と。
胸に凄まじい衝撃が走り、足が床から浮き上がります。
目で追うことすら不可能な速度で私の目の前に移動し、そのまま全体重をかけて抱きついてきたのです。
「あははっ! 会いたかった、会いたかったよぉ! わたしを助けてくれて、ありがとう!」
太陽のように明るく無邪気な笑顔。金色の髪から微かに花の香りが漂います。
しかし、腰に回されたその細い腕の力は、骨がギリギリと軋むほど常軌を逸していました。
(い、痛い……っ、どうしてみんな私に突撃して締め付けてくるんですかっ……!)
「えっと、あの、苦し……っ」
私が息を詰まらせていると、背後から、空気が急速に凍りつく音がしました。
「……離れて」
地を這うような、一切の感情が抜け落ちた声。
見なくともわかります。アビゲイルさんから瘴気が溢れ出し、身の回りの物を灰にさせ始めているのです。
「マリーから離れてっ!!!」
「あのっ、ちょっとお待ちください、お二人とも!」
私は少女のハグを必死に引き剥がしながら、ひきつった笑顔で声を張り上げました。




