第28話 ギルドに報告です
もうもうと立ち込めていた土煙が、風に流されて少しずつ晴れていきます。
私たちの目の前には、完全に崩落し、無惨な土砂の山と化した鉱山の跡地がありました。
「おおおぉぉ……っ! 奇跡だ、誰一人死んでねえぞ!」
「よかった……本当によかったなぁ……!」
私たちの後ろのほうで、喜びの声が聞こえてきます。
依頼主の男が、大粒の涙をボロボロとこぼしながら、依頼を受けた人たちに感謝をしています。
急造された天幕に運び込まれていた重傷者たちも、五体満足で立ち上がっています。
本来なら、数十人の死者が出てもおかしくない大惨事。人的損害ゼロという信じられない結果に、感極まっている状況です。
「皆様、よく耐えてくださいました。そのお陰です」
私は、一人一人の手を握って回りました。
私の身代わりは、既に死んでしまっている人に効果はありません。
なので、こうして生きているのは、ここにいる方たちの生命力の強さなのでしょう。
怪我をされた皆さんへの挨拶を終え、依頼書を手に依頼主の元へ歩み寄りました。
「あの、お疲れのところ申し訳ないのですが、こちらにサインを頂いても……?」
「おおっ! あなたのおかげだ、本当にありがとう……っ!まさに聖女様だっ……!」
依頼主が、震える手でサインを書き殴ってくれました。
私はその羊皮紙を丁寧に折りたたみ、布袋にしまいます。
ふと、歓喜に沸く周囲を見渡しました。
先ほどまで治療にあたっていた治癒士たちは、みな魔力枯渇で座り込み、肩で息をしています。
しかし、その集団の中に、ある姿が欠けていることに気がつきました。
「あれ? 先ほどまでいらした、治癒士の方々の中で一番派手な……金糸の僧侶服を着ていた女性の方は……」
私が首を傾げると、依頼主もキョトンとした顔で周囲を見回しました。
「ああ、あのべらぼうに上等な服を着てたお嬢ちゃんか? そういや、いつの間にかいなくなっててな。あの崩落の前に、風みたいに消えちまって……」
「……」
私は、静かに胸の前で両手を組みました。
現場での治療という最も過酷な実務をこなしながら、報酬のためのサインも求めず、成果をアピールすることもなく、静かに直帰する。
手柄を横取りしようとする上司や、少しフォローしただけで恩着せがましくアピールしてくる同僚たちを嫌というほど見てきた私にとって、彼女のその行動はあまりにも眩しく映りました。
(なんという奉仕精神。そのストイックな労働姿勢を見習わなければなりませんね)
私は一人、雷に打たれたような感銘を受けていました。
クエスト依頼という報酬を目的の一つにしていた自分が情けなく、彼女の爪の垢を煎じて飲みたいくらいです。
***
「うぇぇ……揺れる……ボク、お尻痛いんだけどぉ……」
王都へ帰るための乗合馬車の中。
板張りの硬い座席で、ベラさんが薄水色の髪を揺らしながら不満げに唇を尖らせています。
私たちは、岩の下敷きになっていた金髪の少女を連れて、王都への帰路についていました。
「我慢してください、ベラさん。高級馬車など手配できませんから」
「まぁいいけどさぁ~……」
ベラさんは諦めたかのように自分自身に魔法を使い、「これでよしっ!」とまたいつものニコニコした表情に戻りました。
そして、私の膝の上で眠る少女のやわらかな頬を、ツン、と指先でつつきました。
「にしてもさぁ~。下半身ぐちゃぐちゃだったのに、マリーが触っただけで跡形もなく治っちゃうんだもんなぁ~。……ねぇ、マリーは痛くないの?」
ベラさんの瞳が伏せられ、私を値踏みするように這い回ります。
「お仕事ですからね。大丈夫ですよ」
社畜アドレナリンが効いているうちは大丈夫なのです。帰宅してからのリボ払いの恐怖には、今は蓋をしておきます。
私が完璧な笑顔で返すと、ベラさんは「ふーん?」と意味深に鼻を鳴らしました。
「……マリー」
ずっと無言だったアビゲイルさんから、地の底から這い出るような低音が響きました。
彼女は馬車に乗ってからというもの、私の右腕に蛇のように絡みつき、顔を私の肩口に埋めたまま、ピクリとも動いていませんでした。
「アビゲイルさん、大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃない」
アビゲイルさんの真っ黒な瞳孔が、私の膝の上で眠る少女と、少女の頬をつつくベラさんの指先を、虚無の眼差しで睨んでいます。
「そのチビ。マリーの膝から、どかして。私の場所」
「チビって……この子は怪我人ですよ。それに、アビゲイルさんは今、私の右腕を占領しているじゃないですか」
「足りない。全部、私の」
ギリッ、と私の右腕を抱きしめる力が強まります。
「ねぇ、アビィってマリーの匂い嗅ぐしか能がないのぉ? もっと生産的な会話とかできないのぉ?それに、マリーの膝の上がいいなら、この子を馬車から蹴り落として、無理やり座ればいいじゃんかぁ?」
「……!」
アビゲイルさんがはっと息を飲んでいます。
彼女の腕が動き、本当にこの少女の首根っこを掴んで馬車の窓から放り投げようとする気配が立ち昇ります。
私は即座に、顔の筋肉を引き上げ、口角を完璧な左右対称の弧に保ったまま、にっこりとアビゲイルさんを見つめました。
「…………」
「あっ……ううん……」
絶対に許しませんよ、という無言の圧力がこもった、私の笑顔を見た彼女の肩がビクッと跳ね、瞳がすーっと虚無に戻っていきました。
彼女はしゅんと小さくなり、再び私の肩口に顔を埋めて大人しくなります。
「あははっ! アビィ、マリーに完全に飼い慣らされてんじゃーん!」
「……うるさい。余計なこと言わないでっ……」
「マリーの番犬、ケルベロス!ほ~ら、お手っ!……いたっ!叩かないでよ!」
狭い車内で繰り広げられる、不毛な掛け合い。
ガタゴトと揺れる馬車の振動が、疲労の溜まった身体に容赦なく響きます。
***
街灯の光だけが照らされている王都。
冒険者ギルドの扉を開けると、いつものようにむせ返るような匂いにどこか安心感すら感じます。
私はまず、背負っていた金髪の少女を、アンナさんに一声かけてギルドの二階にある客間に運び込みました。
清潔なシーツの上に彼女を寝かせ、毛布を首元まで掛けます。
「ふう……これで一安心ですね」
私はそっと部屋の扉を閉めようとしたその時でした。
「——マリーちゃん」
影から、ふらりとアンナさんがが滑り出てきました。
彼女の茶色いボブヘアが乱れ、前髪の隙間から覗く瞳が、異様なほどの熱を帯びて私を捉えていました。
「ア、アンナさ——」
言葉を発するより早く、私の手首がガシッと掴まれました。
アンナさんの手は、火傷しそうなほど熱く、微かに汗ばんでいます。
そのまま抗う間もなく、少女が寝ている客間へと引きずり込まれました。
バタンッ。
カチャリ。
扉が閉まり、鍵が掛けられる金属音が不気味に響きます。
「あの、アンナさん? クエストの報告なら、カウンターで——」
「聞いたわよ」
アンナさんの声は、ひどく掠れていました。
彼女は私を壁際へと押し込み、私の手を絡めるように握ったまま、両手をドンッと壁を突いて、私の逃げ場を完全に塞ぎました。
鼻先が触れ合いそうな距離。アンナさんから、甘い香水と生々しい汗の匂いが混ざり合った香りが漂ってきます。
「……目」
「えっ?」
「私が配置していた目から、報告があったのよ……」
アンナさんの熱い指先が、私の首筋に這い上がってきました。
ビクッ、と私の肩が跳ねます。
「鉱山の崩落……あなたが、取り残されたって」
「あ、いや、それは……ちゃんと脱出しましたし……」
「黙って」
彼女の指は、私の脈打つ頸動脈を確かめるように撫で、そのまま鎖骨のラインをなぞり、新調した修道服の襟元へと掛けられました。
そして、手慣れた動作でボタンとファスナーを開けてきます。
「ア、アンナさんっ? なにを……っ」
「無事かどうか……そんなの、私が直接確かめるまで信じられない」
ねっとりとした、耳の奥を直接舐め回されるような声。
アンナさんの熱い吐息が、私のうなじにかかります。
彼女の指先が、修道服の深いスリットの隙間から滑り込み、私の太ももの素肌を直接撫で上げました。
「んっ……!」
背筋を突き抜ける、ゾクゾクとした悪寒にも似た感覚。
(こ、これは……! ギルドが定めた、過酷な労働環境における従業員の健康状態チェック……つまり、産業医との面談のようなものでしょうか!?)
あまりにも直接的すぎる触診に、私の顔から火が出そうになります。
太ももを撫でる彼女の指は、そこで止まることなく、じわじわと内側へと食い込んできました。
熱を持った指先が、デリケートな鼠径部の柔らかな皮膚をなぞります。
「あ、ちょ……アンナ、さんっ……そこは……!」
「しーっ。力を抜いて。どこかに内出血や、骨の異常がないか、しっかり隅々まで見ないとダメでしょう……?」
スリットの中の指先は、容赦なく奥へ奥へと進み、薄い下着のレースの縁に彼女の指が引っ掛かりました。
ぞくり、と下腹部の奥が縮み上がります。
「……すごく熱いのね。鼓動が早くなってる」
「くすぐったい……のと、なん……かっ、変な感じがするから……ですっ」
アンナさんの声が、ひどく甘く、蕩けるように響きました。
下着のゴムをわずかに指ですくい上げ、素肌と布の境界線をなぞるような、粘り気のある触診。
触れられるたびに、私の身体がビクッと反応し、声が漏れてしまいます。
呼吸が浅くなり、視界が涙で滲んできました。
「だ、大丈夫です……! どこも……欠損していませんし、出血もありませんからっ」
「本当に……? マリーちゃんのこの白い肌に、醜い傷跡なんて一つも残させない。もし誰かがマリーちゃんを傷つけたなら、私がそいつの四肢を切り刻んで、後悔させてやるわ……」
アンナさんの瞳孔が開き、焦点の合わない目でブツブツと物騒なことを呟きながら、私の下着の縁からさらに際どい部分を指の腹で執拗に確かめてきます。
熱い吐息が首筋にかかるたび、私の全身の産毛が逆立ちました。
数分間に及ぶ、息が詰まるような密室でのボディチェック。
私が羞恥心と奇妙な感覚で膝から崩れ落ちそうになった寸前で、ようやくアンナさんはふうっと深い息を吐き出し、私から離れました。
「……よかった。本当に無傷みたいね」
アンナさんは、何事もなかったかのように前髪を整え、いつもの朗らかな表情になりました。
ただ、その頬は異常なほど赤く上気し、指先を自分の唇に当てて舐めとっていました。
「さ、カウンターに戻りましょうか。クエストの報告、聞かせてちょうだい」
***
カウンターに戻ると、アビゲイルさんとベラさんが不機嫌そうに待っていました。
アビゲイルさんは足元から薄っすらと瘴気を漏らし、ベラさんはテーブルに足を乗せた態度の悪い姿勢で「マリー遅いぃー」と文句を垂れています。
「ア……アンナさん、こちらが依頼主のサインですっ」
私が、まだ少し膝の震えを隠しながら羊皮紙を提出すると、アンナさんはそれを受け取り、布袋を取り出しました。
チャリン、と。
今まで聞いたことのない、重厚な金属音が響きます。
アンナさんが私の手のひらに落としたのは、一枚の硬貨でした。
まばゆい黄金の輝き。
「えっ……? こ、これ……」
「金貨よ。依頼主が、被害ゼロの奇跡に涙を流して喜んでね。特別ボーナスを弾んでくれたの」
金貨。
銅貨や銀貨とは次元が違う、莫大な価値を持つ硬貨。
教会で様々なところへ派遣され、1年間汗水たらして働いた金額に近い額です。
私の視界が、じわっと潤みました。手のひらに乗ったその小さな金属の塊が尊く見えます。
「あ、あああ……っ。ありがとうございます! 私、一生懸命働いてよかったです……っ!」
私が金貨を両手で包み込み、頬ずりせんばかりに喜んでいると、両脇から不思議そうな声が聞こえました。
「……マリー。その金貨、そんなに嬉しいの……?」
「あはっ。マリーってば本当に安上がりだなぁ。たった一枚でそんなに喜ぶなんて。……てことはぁ~……、マリーに大金貨や白金貨渡せば、なぁんでも言・う・こ・と、聞いてくれるんじゃないかなぁ〜っ!」
ベラさんがそういうと、アビゲイルさんとアンナさんの体がビクッと動きました。
二人がブツブツ何かを発していますが、私はそんな女ではありません。
「ベラさん、私は仮にも神に仕えるシスターです。お金一つで支配しようなんて——」
私が話し終わるよりも前に、ベラさんが一枚の硬貨を指で弾いて飛ばしてきました。
慌ててその硬貨を拾うと、ベラさんがニヤニヤした表情で「お座りぃ~」と言ってきたので、咄嗟に床に座ってしまいました。
「ふぅ~ん……そっかぁそっかぁ~」
相変わらずベラさんが何を考えているかわかりませんが、ニヤニヤしている表情を見るに、悪意が満ちているのはよくわかります……。
私は顔を赤くしながら椅子に座りなおしたところで、アンナさんが口を開きました。
「マリーちゃん。今回の崩落事故での見事な対応、ギルドとして高く評価するわ。……マリーちゃんと、そこの魔女。ギルドランクを一つ上げてあげる」
「本当ですか!?」
私は嬉しさのあまり飛び跳ねました。
昇格。ベースアップ。これほどモチベーションの上がる言葉はありません。
「ええ。これであなたたちはNrランクよ。ギルドの階級について、ちゃんと説明していなかったわね」
アンナさんも椅子に座り、少しだけ声を落として説明を始めました。
「一番下がEzランク。ギルドカード登録したばかりの、右も左も分からないヒヨッコたちね。次があなたたちのNrランク。一人前の一般層よ。ギルドに張り出されてる日常業務は、だいたいこなせるようになるわ。……まぁ、ここまでは安全圏ね」
アンナさんの瞳が、スッと冷たく細められました。
「次がHdランク。熟練の中堅層だけど……ここから一気に死亡率が跳ね上がるわ。調子に乗った馬鹿どもが、大抵ここで命を落とすの。」
「そ、そうなんですね……」
「その上がLnランク。一騎当千の上位陣よ。常軌を逸した実力者たちで、もはや人間というより化け物の一歩手前ね。そしてPhランク。最上位ね。ギルド全体でも数名しかいない、生きた幻みたいな存在。国家の軍隊と一人で渡り合えるレベルだわ」
そこまで一気に説明し、アンナさんはフッと鼻で笑いました。
「そして、最後。……階級の枠にすら収まらない例外があるの。Exランク。規格外よ。ギルドの指示も命令も一切受け付けないような、文字通りのイレギュラー。理不尽な災害みたいなものね」
アンナさんはそう言い捨てると、私の背後にいるベラさんを、氷のような視線で睨み据えました。
「……で、不思議なんだけど。そこの小悪魔。あんたのカードのランク表記……」
アンナさんの口から、決定的な言葉が紡がれようとした、その瞬間。
「——しーっ」
ベラさんが音もなくいつの間にか、アンナさんの真後ろに移動していました。
薄水色の髪がふわりと揺れ、彼女の白く細い人差し指が、アンナさんの唇をそっと塞ぎます。
「ダメだよ、お姉さん」
ベラさんは、完璧な美少女の笑顔を浮かべたまま、鼓膜を甘く撫でるような声で囁きました。
「ボクの秘密、バラしたら……お姉さんの秘密もバラしちゃうよ……」




