第26話 鉱山の中にも入ります
「ああ…くそ……もう痛みの感覚もねぇや……」
中年男性が、すべてを諦めたような表情で自分の成り行きを見守ろうとしています。
彼の右足は、膝から下がありませんでした。
巨大な岩盤に押し潰されたのでしょう、作業ズボンの裾からは、砕けた白い骨の断面と、すり潰された肉の塊が、とめどなく血の池を広げていました。
「大丈夫ですよ。すぐに治療しますね」
私は修道服が泥や血で汚れるのも構わず、血溜まりの中に両膝を突き、慈愛の表情を作り、欠損した右足の断面に、両手をかざします。
身代わり
男性の右足の断面から真新しい肉芽が膨れ上がり、白い骨が伸び、瞬く間に皮膚が形成されていきます。
「あ、あれ……? 足が、ある……? 」
「ふふ、良かったです。失った血までは回復しきりませんので、急に立ち上がらないでくださいね。」
私は血まみれの手を修道服で適当に拭い、隣で腹から腸をこぼしている青年の元へ移動しました。
「……マリー」
私の背中に、ひんやりとした体温がべったりと張り付いてきました。
アビゲイルさんです。
彼女は、この地獄のような惨状にも、周囲の悲鳴にも一切の関心を示さず、ただひたすらに私についてきています。
「血。汚い。……マリーの服が汚れる」
光を吸い込むような真っ黒な瞳が、私の顔だけを瞬き一つせずに見つめてきます。
「お仕事ですからね、ベラさんがせっかく選んでくれた服ですが、仕方ないですよ」
青年の処置を終えると、視界の端で妙な気配を感じました。
私から数メートル離れた場所で、もう一人の治癒士が動いていました。
純白の生地に金糸の刺繍が施された、明らかに私の安物とは違う、高位の聖職者であることを示す僧侶服。
しかし、その立派な衣服に身を包んだ若い女僧侶の様子は、どう見ても尋常ではありませんでした。
「あ、ぁぁ……ごめんなさい、ごめんなさいっ……! ひっ、いやぁっ……!」
彼女は、腹部を岩に抉られた鉱夫に杖を向けて治癒魔法を放ちながら、震えていました。
魔法の光は弱々しく明滅し、鉱夫の傷は塞がりきっていません。
彼女の目は血走り、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔には、濃いクマが張り付いていました。
「ちがうのっ……こんなことになるなんて……」
女僧侶は、鉱夫の治療をしているはずなのに、その視線は鉱夫の顔ではなく、虚空を、あるいは崩落した鉱山の入り口を、怯えたように何度も何度も振り返っていました。
「私が、私が治さなきゃ……でも、勝手なことするなって、嫌われちゃったらどうしよう……っ。でも、見殺しにしたら……あぁぁ、どうしよう、ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」
彼女はブツブツと独り言を言いながら半狂乱で呪文を詠唱し続けています。
(……なるほど。現場の悲惨さに、精神が限界を迎えていらっしゃるのですね)
私は、青年の回復を終え、青年に満面の笑みを浮かべた後、女僧侶の方へ深く同情の視線を向けました。
同業者として、後で温かいお茶でも差し入れよう。そう心に誓った時でした。
「~~っ!いいこと思いついちゃったぁ~」
ベラさんは甘ったるい声とともに、重症の若者のそばにちょこんとしゃがみ込んでいました。
彼女の手には治癒の光はありません。ただ、血に塗れた若者の額に、その白く細い指先をそっと這わせているだけでした。
しかし、若者の様子が劇的に変化したのです。
先程まで痛みに顔を歪め、死の恐怖に涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた彼の表情が、ふっとだらしなく緩みました。
濁った瞳孔がとろんと開き、口角が不自然に釣り上がります。
「あ……れ……?きもち、いい……。おれ、治った……? 痛く、ない……」
ベラさんの指先から、甘ったるい、脳を直接溶かすような香りが漂ってきます。
彼女は、完璧な美少女の顔を彼に近づけ、吐息混じりに囁きました。
「そうだよぉ。もうどこも痛くないでしょ~? キミは元気になったの。すっごく、すうーーっごく最高の気分だよねぇ?」
「最高……ああ……天使さま……」
「あはっ。あははははっ!」
ベラさんの華奢な肩が、小刻みに震えていました。
彼女の口は、三日月の形に歪みきって悪い笑顔をしています。
そして、肉体は壊れたままなのに、幸福絶頂の顔で笑う若者。
その狂気的なコントラストを前に、ベラさんは下唇を強く噛み、歓喜と興奮に瞳孔を爬虫類のように細く収縮させていました。
(なるほど! 幻惑のスキルで、一時的に脳内麻薬を出して痛覚を遮断しているのですね!)
なんて素晴らしい発想でしょうか。
患者のパニックと痛みを抑える緩和ケアのような役割を果たしてくれてるんですね。
ベラさんの心遣いに、私は感動すら覚えました。
「ベラさん、ありがとうございます! そのまま彼を落ち着かせておいてください!」
私が明るく声をかけると、ベラさんは弾かれたようにこちらを向き、口元を両手で覆ってクスクスと笑いました。
「えへへ、任せてぇ。ボク、こういう人助け、だーいすきだからさぁっ。あはっ、本当に、さぁーいこうだなぁ~……(あはっ……ばーか。……あぁ、ゾクゾクする。このまま自分の骨で内臓突き破って死ぬところ、見てみたいなぁ……っ)」
「……ベラさん、どうしました?」
ベラさんが小声で何か言っているようでしたが、「ん-んっ!なぁんでもないよ!」とのことで、私は気にせず手を動かすことにしました。
***
ベラさんの対応のおかげで、治療は驚異的な速度で進みました。
私が治癒を終えると、鉱夫たちは「天使様と聖女様だ!」と涙ながらに私たちを拝み倒していきます。
やがて、運び込まれていた負傷者の治療がすべて終わり、私は清潔な水で手を洗いました。
「ようやく、ひと段落ですね」
汗と血でべったりと張り付いた前髪を手の甲で拭います。社畜アドレナリンが切れた後のことが恐ろしいですが、今は考えないことにしましょう。
「マリー、おつかれー」
ベラさんが、背後からふわりと私の肩に顎を乗せてきました。
彼女の薄水色の髪から、あの甘い香りが鼻をくすぐります。
「ベラさんも、素晴らしいサポートありがとうございました。おかげで業務効率が――」
「ねえ、マリー」
ベラさんの声が、ふと、甘さを潜め、どこか冷ややかな、探るようなトーンに変わりました。
「ボクさぁ、ちょっと違和感あるんだよねぇ」
「違和感、ですか?」
「うん。この鉱山の崩落。……岩の砕け方とか、不自然すぎない?」
ベラさんの細い指先が、私の頬をツンとなぞります。
「ボクの知ってる、すぅ~~っごく嫌な匂いが、この瓦礫のあちこちにこびりついてるんだよねぇ。そんな匂いがこんなところにいるなんて、変だからさぁ~」
「……お知り合いですか? もしかして、その方も崩落事故に巻き込まれて……!」
私が顔を青ざめさせると、ベラさんは「あははっ!」と甲高い声を上げて笑いました。
「巻き込まれるわけないじゃん。むしろ、あの偽善者ぶった顔で……あ、いやいや。なんでもなーい。マリーはそんなこと、気にしなくていいのっ」
ベラさんは私の肩から離れ、誤魔化すようにウインクを飛ばしました。
彼女が何を言わんとしているのか、私にはさっぱり理解できません。
しかし、彼女の言葉の端々に、事故ではなく人為的な何が関わっているような不穏なニュアンスを感じ取ったのは確かです。
私は、鉱山の入り口……真っ暗な闇へと視線を向けました。
岩盤が崩れ落ち、木材の支柱がへし折れた坑道。
その奥からは、砂礫臭い匂いが吹き出してきます。
(……まだ、中に人が残っているかもしれません)
二次崩落の危険があるとはいえ、治癒士である私がここで足を止めてしまえば、助かる命も助からなくなってしまいます。
「アビゲイルさん、ベラさん」
私は、足元に転がっていた煤けたランタンを拾い上げ、火を灯しました。
「私は、もう少し中を確認してきます。お二人は、ここで待っていて――」
「ダメ」
アビゲイルさんが、食い気味に私の修道服の袖を掴みました。
「私も行く」
真っ黒な瞳が、暗闇の坑道と私を交互に見据え、絶対に譲らないという意志を放っています。
「ボクも行くよー。このままじゃ、暇だしねっ」
ベラさんも、ニコニコと笑いながら私の腕に絡みついてきました。
「……お付き合いいただいてありがとうございます」
私はランタンの頼りない光を前に掲げました。
血と泥の匂いが染み付いた空気が、私の頬を撫でます。
「では、行きましょうか」
私は、崩れかけた暗闇の坑道へと、一歩、足を踏み出しました。




