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第24話 人助けに行きます

 まぶたの裏に差し込む微かな朝の光よりも早く、私の意識は物理的な圧迫によって強制的に引きずり出されました。

 肺が膨らむスペースがありません。

 現状を把握しようと、重い石のように動かない身体の感覚を確かめます。


 私の左腕は、ピンと真っ直ぐに伸ばされた状態で見知らぬ柔肌に挟み込まれていました。

 薄水色の髪を乱したベラさんが、私の左腕を抱き枕のように抱きかかえガッチリとホールドし、彼女の左足の太ももが私の鎖骨の窪みに容赦なく食い込んでいます。

 見事なまでの腕ひしぎ十字固め。


 そして、私の腹部。

 寝間着のダルンダルンに伸びた襟元から、真っ黒なつむじが覗いています。

 アビゲイルさんが、私のお腹にすっぽりと潜り込み、ささやかな私の胸を枕の代わりにして丸まっていました。


 問題は、彼女の顔の位置です。

 氷のように冷たい彼女の鼻先が、私の胸の、かなり際どい部分の素肌に直接触れています。

 規則正しい呼吸のたびに、熱い吐息が皮膚の表面を這い回り、下腹部の奥がヒュッと縮み上がるような奇妙な感覚が全身を駆け巡ります。

(……いくらなんでも、寝相が悪すぎませんか)


 満員電車で、隣の酔っ払いに寄りかかられた時のような理不尽さ。

 共同生活の初日からこれでは、良質な睡眠など夢のまた夢です。


「あの、お二人とも。そろそろ起きて……」

 声をかけようとした瞬間、私の腕をホールドしているベラさんの足に、ギリッ、と異常な力が込められました。


「んぁ……っ、あはっ……だめぇ、マリー……そんな、いじめたら……っ」

 ベラさんの桜色の唇から、甘く、ねっとりとした寝言がこぼれました。

 夢の中で私がどんな事をしているのか知りませんが、現実の私の腕は違います。


「んふっ、もっとぉ……っ」

 ギリッ。

 ベラさんの腕に力が込められ、私の左肘の関節が、本来曲がってはいけない方向へメキメキと悲鳴を上げました。


「あだだだだだ!!」

 骨が砕ける寸前の激痛に、私はみっともなく叫び声を上げました。


 ビクンッ、と両脇の二人が同時に跳ね起きます。

「……んぁ? なになに、朝からマリーの叫び声……」


 ベラさんが目を擦りながら上体を起こし、ホールドが解けました。

 私の腹部に潜り込んでいたアビゲイルさんも、寝間着の裾からスポンッと顔を出します。真っ黒な瞳孔が開ききったまま、私の顔と、宙ぶらりんになった私の左腕を交互に見つめました。


「……マリー? どうしたの?」

「二人ともどうしてそんなに寝相が悪いんですか……」


 左腕を庇いながら、私は深くため息を吐き出しました。

 家賃補助の社宅は最高ですが、このお二人と同じベッドで寝るのは、早急に考え直さないといけません。私の命が持ちません。

 洗面台の冷たい水で顔を洗い、気合を入れて修道服に袖を通します。

(やっぱりこのスリットは破廉恥じゃないでしょうか……)



 ***



 慌ただしい一日の始まりです。

 まずは教会に向かい、ステンドグラスから差し込む朝日を浴びながら朝の祈りを捧げます。背後では、アビゲイルさんが祭壇ではなく私のうなじだけを瞬き一つせずに凝視し、ベラさんが退屈そうにあくびを噛み殺している気配がしました。


 祈りを終えると、そのまま救護院へ直行します。

 扉を開けた瞬間に押し寄せる、消毒用の薬草の青臭さ。

「マリー様、三番ベッドの男性が夜間に熱を出して――」

「すぐ行きます」


 私は修道服の袖を捲り上げ、血の滲んだ包帯を躊躇いなく解きました。化膿して黄色い粘液を垂れ流す傷口に手をかざし、薄く魔力を流し込んで肉芽の再生を促します。

 熱にうなされる大柄な男性を横に向かせようと肩に手を掛けた時、彼の身体が拍子抜けするほど軽々と持ち上がりました。


(……やはり、私自身の筋力が以前よりも上がっているような気がしますね)

 昨夜の浴室でアビゲイルさんを抱え上げた時の違和感。連日の過重労働で、火事場の馬鹿力が常態化しているのでしょうか。

 壁際では、アビゲイルさんが私の手元を死んだような目で見つめ、ベラさんは「うわ、汚っ」と鼻をつまんで顔を顰めています。


 数時間後、業務終わりのわずかな賃金を受け取った私を見て、ベラさんが呆れたように口を開きました。


「……ホントにさぁ、マリーは何してんの?」


(アビゲイルさんもベラさんも、金銭感覚がおかしいのでは……)

 一円を笑う者は一円に泣くのです。労働の対価を得る尊さを心の中で説きながら、私たちは午後の業務のために冒険者ギルドの扉を押し開けました。


 受付カウンターには、今日もいつものようにアンナさんが立っています。

「あ、マリーちゃん! お疲れ様!」

 私を見つけた途端、アンナさんの顔がパッと輝き、茶色のボブヘアが揺れました。


「こんにちは、アンナさん。昨夜は立派な社宅をありがとうございました。お陰様で快適な夜を――」

「快適な夜だったかしら?」


 アンナさんの声の温度が、急激に氷点下まで下がりました。

 笑顔のまま、彼女の血走った瞳が私の背後にいるベラさんを射抜きます。


「あんた、寝相が悪いのも大概にしなさいよ。マリーちゃんの腕をあんな風に締め上げるなんて、関節が外れたらどうするつもりだったの」

 地を這うような、ドス黒い殺意の混じった声。


「……は?」

 ベラさんの顔から、完璧な美少女の笑顔がポロリと剥がれ落ちました。

「ちょっと待って。なんでお姉さんが、ボクの寝相のこと知ってんの?……げ、この女こわー。まさか、部屋の中盗撮かよ」


 ベラさんがドン引きしたように一歩後ずさります。


(盗撮……? いえ、ギルドの管理物件ですから、セキュリティ用の魔道具が備わっているのでしょう。入居時の契約書に細かい文字で書いてあったのかもしれません。流し読みしてしまった私のミスですね)

 社用PCの閲覧履歴や社用携帯の通話記録などが監視されているのは常識でした。会社管理のものはすべて筒抜けなのです。


「アンナさん、手厚い見守りありがとうございます。でも大丈夫ですよ、多少の関節技なら慣れでどうにか――」

「どうにもならないでしょ! 万が一傷でもついたら……いや、それはそれで……いけるわね」

 アンナさんがカウンターに爪を立て、ブツブツと何事かを呟き始めました。


 私はアンナさんの独り言を一旦放置し、壁のクエストボードに視線を向けました。

 生活費を稼ぐため、午後の空き時間でこなせる日帰りのクエストが必要です。

 張り出された羊皮紙の束をめくっていくと、一枚の依頼書が目に留まりました。


『急募:ランク不問。治癒魔法の使える者。隣町トナーレの鉱山にて崩落事故あり。負傷者の救護求む』


(ランク不問で回復魔法……これなら今の私でも受けられますね)

 私はその羊皮紙を剥がし取り、アンナさんのカウンターに戻りました。


「アンナさん、この依頼を受けたいのですが」


 私が羊皮紙を差し出すと、アンナさんの顔面からスッと血の気が引きました。

「だ、だめよ! 隣町のトナーレなんて、馬車で片道二時間もかかるのよ!? 日帰りなんて無理だし、治安だってここよりずっと悪いんだから!」

 カウンターから身を乗り出し、私の両手をがっちりと掴むアンナさん。


「でも、崩落事故です。治癒魔法が足りなくて、今も苦しんでいる人がいるはずです。私が行けば、誰かが痛い思いをせずに済む。それなら、行くしかありません」

 私がまっすぐに彼女の目を見つめて告げると、彼女は強く唇を噛み締め、指先をワナワナと震わせます。


「……マリーちゃんって、本当に……自分の命より他人の痛みを……っ」

 アンナさんはギリギリと歯軋りをした後、深く、諦めの溜息を吐き出しました。

「わかったわ。でも、絶対に無理はしないこと。少しでも危険を感じたら、即座に帰ってくるのよ。……そこの魔女と小悪魔!」

 アンナさんは、私の背後にいるアビゲイルさんとベラさんを睨み据えました。


「マリーちゃんに指一本でも触れさせたら、私がこのギルドの権限を使ってあんたたちを地の果てまで追い詰めるから。わかったわね?」

「……うざ」

「あはっ、心配性なお姉さんだこと。……小悪魔ってボクのことかよ」


 受領印の押された羊皮紙を受け取り、私はギルドの扉へと振り返りました。

「それでは、行ってまいります」

 背中にまとわりつく視線の重さと、これからの労働への微かな高揚感。


「早く現地に向かわないといけませんね」

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