第19話 クエスト報告です
「ふう……着きましたね」
私は乱れた修道服の襟元を整えました。
背中には、私の腰にしっかりと腕を回したまま離れようとしないアビゲイルさんの体温が、じっとりと張り付いています。
足元では、転移の連続で三半規管をやられたらしいベラさんが、「うぇ、ボクもうこういうのほんっと無理……」と涙目でへたり込んでいました。
「ベラさん、大丈夫ですか? あとでギルドで飲み物注文しましょうか」
私はベラさんの背中を軽くさすってから、ギルドの扉に手を掛けました。
ゴブリン調査の依頼で、まさか森一つが消滅してしまう結果を生んでしまうとは。
(アンナさんにはなんて説明したらいいのでしょうか……)
それに、帰還がだいぶ遅れてしまっています。前職で言えば、外回りの途中で連絡もつかずに帰社時間を過ぎてしまったようなものです。きっとギルドの方々にも、多大なご心配を――。
(あれ……?ギルドの扉が灰になってますね……)
私は深くは気にせずギルドの中に入りましたが、ギルド内の違和感に固まりました。
「…………」
いつもの怒号と酒臭さはどこへやら。ギルド内は、文字通りお通夜でした。
冒険者たちが身を寄せ合い、全員がどんよりと項垂れていました。
誰のジョッキにも酒はありません。
まるで今月の営業目標が未達で迎える月末の締め会、あの胃が痛くなる空気にそっくりです。
受付カウンターの奥。
分厚い書類の束を握り潰さんばかりの力で掴み、肩で息をしている女性がいました。
アンナさんです。
茶色のミディアムボブヘアが乱れ、制服のブラウスは汗で肌に張り付いている。目の下には濃い隈が落ち、血走った瞳が虚空を睨みつけていました。
私が一歩、ギルドの中に足を踏み入れた途端。
「…………え?」
誰かの、掠れた声が聞こえました。
アンナさんの顔が跳ね上がります。
血走った瞳が、私を捉えました。次の瞬間、彼女の手から書類がばさりと滑り落ちてました。
ダンッ! と、凄まじい踏み込みの音が響いたと思ったら、制服のタイトスカートが裂けんばかりの跳躍で、アンナさんはカウンターを一直線に飛び越えてきました。
「マリーッ!!」
ドスッ、という鈍い衝撃。私の肋骨が悲鳴を上げました。
「あ、アンナさ……ぐっ」
「どこ行ってたの、マリーちゃん……! どこに、どこに行ってたのよぉ……っ!」
私の首筋に顔を埋めたアンナさんの声は、ひび割れたように震えていました。
私の背中に回された彼女の腕は、万力のような力で締め付けられ、修道服越しの私の背肉に彼女の爪が食い込んでいるのがわかります。
彼女の体は、異常なほど冷たくなっており、小刻みに震えていました。目の下には濃い隈が張り付き、唇の端には不安で噛み破ったような血の滲んだ跡があります。
「ただいま戻りました、アンナさん。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
震えるアンナさんの背中をさすりながら、私は周囲のひそひそ声に耳を傾けます。
……どうやら、私を探すためにアビゲイルさんが東の森を物理的にお掃除した件は、すでにギルドにも知れ渡っている様子です。
私が見つからなければ、次は西の山か、あるいは王都そのものがお掃除される。
皆様、世界の終わりを覚悟して残業(待機)してくださっていたようです。
申し訳なさが胃にきます。
「皆様、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
私はアンナさんの抱擁を受け止めたまま、ギルドの皆様に向けて、いつも通りの朗らかな声で告げました。
「ただいま戻りました。予期せぬトラブルとはいえ、事後報告になってしまったこと、深くお詫び申し上げます」
私の言葉に、アンナさんがようやく顔を上げてきました。
ぞっとするほど甘く、とろけるような笑みを浮かべています。
細められた底暗い双眸が、私の髪の一筋、指の先一つに至るまで、自分の大事な所有物に傷がついていないかを舐め回すように執拗に確認してくるようです。
「怪我は……? どこか痛いところはない? 誰かに、酷いことされなかった……?」
「はい……。健康そのものです」
私は笑顔で首を振りました。
アンナさんは私の言葉を聞くと、ふぅぅ……と、長く深い息を漏らしました。
彼女の手からわずかに力が抜け、私はようやく新鮮な空気を吸い込むことができました。
アンナさんは、私の背後にいるアビゲイルさんをちらりと横目で睨み据えました。
その瞳には、理不尽な災害に対する恐怖と、底知れない呆れがないまぜになっています。
「……改めて、この子が災厄の魔女と呼ばれるワケがわかった気がする……」
「え?」
「ううん、こっちの話。マリーちゃんが無事なら、ほかはどうでも……いえ、なんでもないわ」
アンナさんは私の肩の埃を払うように手で撫でてから、ひとつ咳払いをして、いつもの受付嬢の顔に戻ろうと努めていました。
「それで? ゴブリンの調査依頼はどうなったの?」
「あ、はい。それがですね」
私は姿勢を正し、業務報告のフォーマットを頭の中で組み立てました。
「指定されたゴブリンの巣の座標に向かいました。しかし、洞窟の最奥に転移の罠が仕掛けられておりまして、踏み抜いてしまったのです」
「転移の罠……? ゴブリンの巣に?」
「はい。それで、別の空間に飛ばされてしまい、戻るのに手間取ってしまいました。肝心のクエスト内容ですが、洞窟内はもぬけの殻で、ゴブリンは一匹もおりませんでした。完全な空き物件ですね」
「空き物件ねぇ。まぁもう、森ごと消失したから確認のしようもないけど」
私がそう報告すると、カウンターの奥から、見慣れない小柄な女性が小走りで駆け寄ってきました。
まだあどけなさの残る、新人の受付嬢さんです。
「も、申し訳、ありませんでした……っ!」
「え?」
「私がちゃんと、アンナさんとかに相談してから受諾すれば、このようなことにならなかったので……本当にすみませんでしたっ!」
震える肩を見て、私は合点がいきました。
おそらく、私が戻らないことで、心配したアンナさんが彼女を詰めたのでしょう。
「顔を上げてください」
私は彼女の目線に合わせてしゃがみ、微笑みました。
「事前の資料にないイレギュラーなんて、現場では日常茶飯事です。あなたが責任を感じる必要はありませんよ」
「せ、聖女さまぁ……っ」
泣きじゃくる彼女の肩を撫でつつ、私は心の中はガッツポーズです。
(これでギルド側の不手際という大義名分が立ったのでは?理不尽な始末書と減給だけは回避できそうです!)
「……マリー」
ふいに、甘ったるい声が下から響きました。
ベラさんが、私の修道服の袖をちょんちょんと引っ張っています。
「ボク、疲れちゃった。早くふわふわのベッドで休みたいなぁ。ね? 一緒に寝よ?」
「あ、はい。そうですね、ベラさんも大変でしたから」
ベラさんは、私の腕に自分の細い腕を絡ませ、愛らしい上目遣いで私を見上げてきます。
その瞬間。
周囲の空気が、急激に冷え込みました。
「…………マリーちゃん」
声のトーンは、先ほどと変わらないですが、彼女の視線が、私の腕に絡みつくベラさんを物理的に貫きそうなほどの鋭さで捉えています。
口元は笑っているのに、目が全く笑っていません。
「その子は……誰かしら。また、新しいお友達?」
アンナさんの声に含まれた、ねっとりとした刺々しさ。
ベラさんはそれに怯むどころか、ふんわりとした完璧な美少女の笑顔を浮かべ、わざとらしく私の腕に胸元を押し付けました。
「えへへ、はじめましてぇ。ボク、ベラ。マリーには、だーっいぶ、お世話になっちゃって。これからずーっと、マリーのそばにいるつもりなんで、よろしくね、お・姉・さ・ん?」
ベラさんの挨拶。
アンナさんのこめかみに、ピキリ、と青筋が浮かんだのが見えました。
「……そう。ずいぶんと可愛らしいお嬢さんね」
アンナさんはベラさんを頭からつま先までじろりと値踏みすると、ふいにその眉間に皺が寄ったように見えます。
「……貴女」
「んー?」
「どこかで、会ったこと……」
アンナさんの声のトーンが、わずかに下がります。
探るような、記憶の底の泥をすくうような、不穏な視線の交差。
ベラさんは一切の表情を崩さず、ニコニコと笑っているだけです。
数秒の沈黙の後、アンナさんは小さく首を横に振りました。
「……いえ。なんでもないわ。ほら、マリーちゃん。クエストの達成報酬」
アンナさんはカウンターから皮袋を取り出すと、ジャラッ、と私の手のひらに硬貨を落としてくれました。
銀色に輝く、三枚の硬貨。
「わあ……っ!」
手のひらに伝わる、確かな金属の冷たさと重み。
私は思わず、その硬貨を両手で包み込むようにして胸に抱き寄せました。
命がけの転移と身代わりの苦痛、森の消滅、精神的な疲労。そのすべてが、この三枚の銀貨によって報われたような気がします。
「ありがとうございます、アンナさん! これで今夜は、少しだけ贅沢なご飯が食べられそうです!」
私は満面の笑みを浮かべ、銀貨の心地よい音に耳を傾けました。
私の背後で、アビゲイルさんの眉をひそめる視線と、アンナさんの底暗い瞳、そしてベラさんの楽しげな瞳が、火花を散らすように静かに交錯していることなど、今の私の知ったことではありません。
私の手の中には今、輝く労働の対価があるのですから。




