第一部 【 停滞の掟と、餓えゆく王国 】 第一章 【 巨樹の陰に沈む街 】 第四話 【 風は海の向こうから 】
地下闇市に熱気と金の流れを注ぎ込んでから三日。
アリストの地上は相変わらず静まり返っていたが、路地裏の毛細血管のような暗がりには、確かな変化が起き始めていた。
リンが投じた金貨を元手に、闇市の商人たちが死に物狂いで動いたのだ。
王国の監視網をすり抜け、近隣の農村や他国の密輸ルートから、乾燥肉、干し魚、そして質の良い穀物が少しずつ、しかし確実にアリストの地下へと運び込まれていた。
「……殿下、ご覧ください」
城外の丘の上。
木々の陰から街道を見下ろしながら、ラグナルが指をさした。
アリストへ続く街道の先、数馬力の荷車が、護衛の男たちに守られながら夜闇に紛れて進んでいる。荷台に積まれているのは、アリストの民が何ヶ月も目にしていない新鮮な麦の袋だ。
「闇ルートの流通網は、ひとまず機能し始めました。街の飢えはほんのわずかですが和らぎつつあります。……ですが、これは所詮、延命処置に過ぎません」
「ああ、分かっている」
リンは腕を組み、冷たい夜風に目を細めた。
「国内の蓄えなどタカが知れている。それに、いくら闇市で物資を回しても、アリストという都市そのものが生産力を失っている以上、いずれ限界が来る。……問題は、この国に『外からの巨大な資本』をどうやって持ち込むかだ」
「外の資金、ですか。しかし我が国は今、東西の商業連合からも、南方の海原国からも事実上の経済封鎖を受けております。かつての大魔国との戦争の際、我が国が『聖なる清貧』を盾に他国の商人を追い出し、不当に財産を没収した恨みがありますからな」
「過去の怨嗟か……」
リンは苦笑した。
王宮の老臣どもは「自分たちが被害者であり、高潔な存在だ」と信じ込んでいる。だが外の世界から見れば、セルヴァ王国は「勝利に酔いしれ、義理を欠き、勝手に自滅しかけている扱いづらい閉鎖国家」に過ぎないのだ。
「恨みがあるなら、それを上回る『利』を提示すればいい。向こうも商人だ。損をしてまで恨みを晴らし続けるほど甘くはない」
「ですが殿下、今のセルヴァに、他国の商人が飛びつくような『利』など……」
「あるさ」
リンは自信に満ちた笑みを浮かべ、自身の胸を叩いた。
「この国には、長年の戦争で鍛え上げられた勤勉でタフな民がいる。そして、王家が『神聖不可侵』として手付かずにしてきた、大霊樹の周辺に眠る広大な未開拓地と鉱山資源だ。……王宮がそれを抱え込んで腐らせているなら、俺が勝手に担保に入れてやる」
ラグナルは息をのんだ。
「担保……!? 殿下、それは王国の領土と資源を外資に切り売りするということですか!? もし大公閣下に知れれば、国家叛逆の罪で即刻処刑されますぞ!」
「処刑? 結構じゃないか。このまま国が滅びるのを指をくわえて見ているより、万倍マシだ」
リンの瞳に、獲物を狙う野獣のような鋭さが宿る。
「正義だの主権だのと宣うのは、腹がいっぱいになってからだ。生き残るためなら、国の土地だろうが自尊心だろうが、使えるものは全部売る。……ラグナル、今夜、南方の商人連合『カイゲン』の使節と連絡を取る。密会を手配しろ」
「……本気でございますか」
「本気だ。向こうの頭目、ガルド提督に伝えろ。『かつてお前たちを追い出した愚かな王家をあざ笑う準備はあるか? 巨大な利益と引き換えに』とな」
ラグナルは暫し絶句していたが、やがて諦めたように深く息を吐き、膝をついた。
「……承知いたしました。このラグナル、殿下の狂気心中、最後までお供いたしましょう」
「頼むぞ、ラグナル」
リンは再び、眼下に広がる黒いアリストの街並みを見下ろした。
(父上、叔父上。あなたがたが守ろうとしている『聖国の誇り』は、俺が叩き潰す。汚い金と他国の野心を呼び込み、この腐った国を根底から塗り替えてやる)
第一章、完。
『清貧』という名の呪縛に縛られた王国で、落ちこぼれ王子の『掟破りの泥臭い逆転劇』が、ついに世界を巻き込んで動き始める――。 続きは、第二章へ。
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