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第一部  【 停滞の掟と、餓えゆく王国 】  第四章 【 新生の産声 】 第二話【 玉座の遺霊 】

「ラグナル。次は、旧体制の残党……

 王宮の深奥に眠る

『最後の病』を摘み取るぞ」


「はっ……!

 どこまでもお供いたします!」


栄光の灰の中から立ち上がった

セルヴァ王国。


綺麗事を捨て、泥をすすり、

他国の野心すらも

貪欲に喰らい尽くしながら成長する

その猛威は、

もはや誰にも止められない

爆発的な勢いとなって、

大陸全土を揺るがし始めていた。

旧王立工廠の煙突から吐き出される

黒煙が、

アリストの空を頼もしく汚していた。


かつて、大霊樹の

「神聖なる加護」を犯すものとして

固く禁じられていた黒煙。


しかし今や民にとって、その煙は

毎日のパンとスープが保証される

「生の証」だった。


カイゲンから招かれた

不機嫌な技師たちに怒鳴られながらも、

泥と油にまみれたアリストの若者たちは、

目の色を変えて

魔導機器の構造を叩き込んでいた。


「手際が良くなってきたな」


工廠の二階回廊から現場を見下ろし、

リンが呟いた。


「ええ」とラグナルが応じる。


「胃袋が満たされ、

 働いた分だけ銭が手に入ると

 分かった民の集中力は凄まじい。

 技師たちも、最初は『野蛮人』と

 馬鹿にしておりましたが、

 今や食い入るように

 技術を吸収する我が国の若者に

 恐れをなしておりますぞ」


「人は誇りでは動かんが、

 欲と成果があれば限界を超えられる。……

 さて、ラグナル。

 足元の土台は固まりつつある。

 次は王宮の奥深くにくすぶ

『過去の遺霊』を片付けるぞ」


リンが視線を向けたのは、

街の中心に聳え立つ、

いまや静まり返った王宮――

その最深部にある玉座の間だった。


ガルシア大公が失脚し、

地下の闇市が地上へと溢れ出したあとも、

王宮の奥深くには

いまだ「動かない男」がいた。


リンの父であり、かつての大戦争の英雄――

レオンハルト国王その人である。


病床に伏し、実権を失いながらも、

彼は国王という「至高の権威」として

そこに存在し続けていた。


古い教義に固執する

一部の保守派貴族や重臣たちは、

いまなおレオンハルトの名を盾に、

リンの推し進める「ドイモイ(刷新)」を

「王家を汚す売国行為」と非難し、

陰で抵抗を続けていたのだ。


「父上との対面……避けては通れませんな」


「逃げるつもりはないさ」


リンは長剣の柄に手を置き、

静かに歩き出した。


「国が

 泥の中から這い上がろうとしている今、

 過去の栄光という棺桶の中で

 眠り続ける『亡霊』には、

 退場してもらわねばならない」


王宮の深奥、重厚な鉄の扉が開かれた。


立ち込める暗がりと、古びた布、

そして死期を悟った老人の匂い。


かつて無数の魔物を打ち倒した聖剣は

壁に飾られたまま錆びつき、その下、

豪華なベッドに横たわっていたのは、

目に見えて小さくなった

レオンハルト国王だった。


「……リンか」


かすれた、しかし冷ややかな声が暗闇に響く。


国王は落ちくぼんだ目を薄く開き、

息子を見据えた。


その瞳には、肉体の衰えとは対照的な、

病的なまでの「過去への執着」が

不気味に燃えていた。


「街の騒がしさは、ここまで届いているぞ。

 異民族の商人どもを入れ、

 聖なる大霊樹を掘り起こし、

 民に浅ましい商いをさせているそうだな。

 ……我が息子が、

 これほど惨めな売国奴になろうとはな」


「お久しぶりです、父上」


リンはベッドの傍らまで歩み寄り、

腰を落とすことなく、

感情のない眼差しで見下ろした。


「相変わらず、綺麗なお言葉だ。

 だが、その『綺麗事』の陰で、

 何人の民が飢えて死んだかお忘れですか?

 あなたが抱きしめている

『高潔な誇り』は、民の屍の上に

 成り立っていたのですよ」


「黙れ!!」


レオンハルトが枯れ枝のような手を伸ばし、

激しく咳き込んだ。


血の混ざった唾が胸元を汚す。


「我がセルヴァは

 正義であったが故に勝ったのだ!

 魔国を退けた神聖なる国なのだ!

 泥に塗れて金を稼ぎ、

 敵国の商人に膝を屈して

 生き永らえるくらいなら、

 誇り高く滅びることこそが王家の美徳だ!

 お前がやっていることは、

 我らが流した血への冒涜ぼうとくだぞ!」


老王の叫びには、かつて

国を守り抜いた英雄としてのプライドと、

時代の変化に置いていかれた者の絶望が

交ざり合っていた。


しかし、リンの心は微動だにしなかった。


「誇り高く滅びる……ですか」


リンは静かに短剣を抜き、

その柄で

壁に飾られた錆びついた聖剣を軽く叩いた。


甲高い、乾いた音が室内に虚しく響く。


「父上。

 あなたが守ろうとしたのは国ではない。

『勝者であった過去の自分』だ。

 過去の栄光という毒杯に酔いしれ、

 変化を恐れ、

 目の前で腹を空かせて倒れていく

 子供たちから目を背けた。

 ……あなた方は、

 魔王には勝ったかもしれないが、

『現実』には無残に敗北したのだ」


「お、お前……父親に向かって……!」


「私は、

 あなた方の作った美しい墓場をぶち壊した」


リンは一歩踏み込み、

レオンハルトの顔元へと顔を近づけた。


その声は氷のように低く、

圧倒的な威厳に満ちていた。


「見なさい、窓の外を。

 民は泥にまみれ、異国の言葉を覚え、

 泥臭く汗を流して金を稼いでいる!

 朝になれば温かいスープを飲み、

 焼きたてのパンを食って笑っている!

 あなたが蔑むその『浅ましい姿』こそが、

 人間が生きているという証明だ!」


「ぬ……ぐ……」


「過去の栄光で腹は膨れない。

 正義で未来は買えない。……父上、

 あなたの時代は終わったのです」


リンは懐から、

一枚の白紙の羊皮紙とインク瓶を取り出し、

国王の手元へ叩きつけた。


「退位の印を。

 全権を私に譲渡する誓約書です。

 これに署名し、

 歴史の裏手へ引っ込みなさい」


「断る……!」


レオンハルトは

血走った目でリンを睨みつけた。


「誰が……誰がお前のような売国奴に……

 王位を渡すものか!

 私は死ぬまで……この国の王だ!」


「署名など、あってもなくても

 変わらないのですよ」


リンは冷ややかにあざ笑った。


「いま、この国を動かしているのは

 王の印章ではない。

 工廠から上がる煙と、

 港を行き来する船と、

 民の腹の中にあるパンだ。

 あなた方の権威など、

 すでに誰も必要としていない。

 ……ただ、最後の親孝行として、

 あなたに

『自ら退いた』という形式ルール

 残してやろうと言っているのだ」


「……っ!?」


レオンハルトの顔が、

驚愕と屈辱で激しく歪んだ。


かつて王宮の絶対的なルールであった

「権威」や「教義」が、

いまやリンの前では何の意味もなさない

ゴミくずとして処理されている。


自分が命をかけて守ってきた世界が、

根本から無価値化されたことを、

老王はついに理解したのだ。


ガタガタと震える手。

レオンハルトは、リンの瞳の中に、

もはや「父親を敬う息子」ではなく、

時代を丸ごと喰らい尽くそうとする

「新しい時代の怪物」の姿を見た。


「……お前は……悪魔だ……」


「ええ、悪魔で結構」


リンはペンを老王の手に押し付けた。


「綺麗事を抱いて枯れていく聖者より、

 泥を啜って民を活かす悪魔になる。

 ……さあ、サインを」


震える手が、

ついにインクを浸したペンを走らせた。


ガラガラと音を立てて崩れ去る、

千年の格式と過去の栄光。


老いた英雄の敗北と、

泥臭き新時代の到来が、

一枚の紙の上で

静かに決定づけられた瞬間だった。


©2026 [風風風]. All rights reserved.

老いた国王

レオンハルトの手から落ちたペンが、

硬い床に甲高い音を立てて転がった。


誓約書ににじむ、不格好な王の署名。


千年の歴史を誇り、

「聖国」と称えられた

セルヴァ王国の古き秩序が、

完全に息絶えた瞬間だった。


「……満足か、リン」


ベッドに横たわるレオンハルトは、……、。


明日、18:30 に、第4章 第3話を投稿します。

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