第8話
「本多さんの現在の保険については入院保障が最長180日と長いのですが、継続して10日以上入院しないと保障の対象になりません。
それに比べこちらの保険ですと最長は120日とやや短くなりますが、日帰り入院でも保障の対象になっています。
これは医療技術の進歩もあり、年々平均的な入院日数がどんどん短くなっているので、そういった時代的な背景の変化に合わせて保障内容も変わっていっているんです」
とある賃貸マンションの一室。
匠は説明がしっかりと伝わるよう『丁寧にゆっくりと』を意識しながら説明をする。
机を挟み匠の前に座っている本多と呼ばれた女性は、匠の持っているパンフレットを覗き込んでいる。
彼女の名前は本多 恵美子。
60代前半で、肩口まである黒髪とにこにことした人懐っこい笑顔が印象的な小柄な女性だ。
集金先では無いものの深森信用金庫をメインバンクとして使っていただいており、定期預金のキャンペーンの際は毎回紹介に伺っている為、匠とは顔馴染みだ。
『保険』と一口に言っても種類は多く、また時代の背景やライフステージによって需要も変わる。
その為保険の内容を時々見直すことは必要なのだが、自ら保険の相談窓口を予約し訪問するといったことをする人は少数派である。
逆にほとんどの人は一度加入したままそのまま放置しているし、営業に言われるまま契約し自分がどんな保険に入っているかよく把握していない人も珍しくない。
その為、意外とこういった保険の相談には見えないニーズが隠れていることもあるので、匠はよく仲良くなったお客様に現在加入の保険証書を見せてもらう、ということをしていた。
「それにこちらの保険ですと1,000万円の『先進医療特約』が付きます。先進医療とは保険適用前の最新の治療なんですが、健康保険が適用されない為、場合によっては数百万円実費でかかるケースもあります。いざという時の治療の選択肢を増やすためにもお勧めです」
「そうね……月々の料金もそこまで変わらないし、じゃあお願いしようかしら」
とにこにことした笑顔で恵美子が言ったので、匠が『ありがとうございます』と言いながら書類の準備を始めようとすると――。
「うぅ……」
と唸るような声が聞こえた為、匠は声の主に視線を動かす。
恵美子の隣に座っているのは夫の本多祥市。
年齢は恵美子より少し上の60代後半。
普通の椅子ではなく車椅子に座っており、髪は真っ白だ。
鼻には酸素を送るためだろうか、透明のチューブを付けている。
以前匠が恵美子から聞いた話では、10年ほど前に祥市は仕事中に倒れたらしい。
原因は脳梗塞だったそうで、その後遺症で言葉も喋れなくなり、体も不自由な状態になってしまったとのことだ。
「あらあらたろさんどうしましたか?」
と恵美子はにこにこしながら祥市の顔を覗く。
「あら、少し顔が赤いわね。暑かったかしら、今温度下げるわね」
と恵美子は言いながら立ち上がると、壁際のホルダーにセットされているエアコンのリモコンまで歩いていき操作する。
恵美子は祥市のことを『たろさん』と呼ぶ。
『祥市』なので太郎要素は何処にも無いのだが、結婚前からずっとそう呼んでいるらしい。
匠は不思議に思いながらも、2人にしか分からない秘密の共有のようなものを感じ、なんとなく『良いな』と思う。
恵美子は少なくとも匠が見ている前ではいつもにこにこしていた。
匠には介護の経験が無い為、想像でしかないが実際は物凄く大変なはずだ。
老老介護という言葉をニュースで聞いたこともあり、問題になっていることも知っている。
2人には息子が1人がいるらしいが、結婚を機に遠方に行ってしまったらしい。
その為祥市の世話は恵美子が1人で見ざるを得ない。
だがそれでも恵美子は嫌な顔一つしないどころか笑みを絶やさない。
そして祥市の世話をしている様はまさしく『かいがいしい』という言葉が相応しい、と匠は思う。
これがきっと普通じゃ無いことはなんとなく匠にも分かる。
想像もつかないほどの深い愛情がなせる業なのだろう、と匠が考えていると。
「お待たせしました」
と恵美子が戻ってきたため『いえ』と言った後、匠は保険の手続きを再開した。




