第5話
「あはははは!!」
花岡事務所のエントランスに奏の笑い声がこだまする。
「そ……そんなに面白いですかね……」
匠の大学時代に粘りに粘られた結果、一度も会ったこともない遠方に住んでいる女子高生と付き合うことになった話はどうやら奏のツボに入ったようだ。
匠が横目で見ると奏は『お……お腹痛い』と言いながら、苦しそうに笑っている。
「だ……だって……それを無理矢理……交際経験に入れようとして――だめだ! あははは!」
どうやら話そのものよりも、それを匠が無理矢理交際経験としてカウントしようとしている姿が面白かったようだ。
よほど滑稽に映ったのだろうなと思うと、匠は再度恥ずかしさから少し頬が熱くなるのを感じる。
ひとしきり笑った後、奏は目尻に溜まった涙を指で拭いながら頭に浮かんだ疑問を口にした。
「でもそんなすぐ別れたくなるくらいなら、最初から付き合うって言わなければ良いじゃないですか」
そう言われ匠は当時のことを思い出す。
「いやいやさっきも言いましたけどめちゃくちゃ粘られたんですって。通話する度『うんって言うまで何度でも言うから!』って言われましたし……最後は『うんって言うまで通話切らない!』って言われて……」
「こっちから切れば良いじゃないですか?」
「いやいやさすがにそれは酷くないですか!?」
さらりと言ってのける奏に匠は思わず突っ込むが、奏は『いやでもそれしかないような……』と納得がいかない様子だ。
「で、結局うんと言ってしまったと」
「まぁ……そうですね……」
当時の匠はその子に対し決して悪い感情を抱いていたわけではない。
性格も容姿もむしろ好ましく感じていた。
年下だけど匠にため口で話しかけてきて、ゲームにログインをすると真っ先にボイスを繋ぎにきて、死にそうになると匠のハンドルネームを叫び助けを求めるので、匠は『なつかれているな』というのは感じていたし、正直な話それをどこか嬉しいとも感じていた。
もちろんそんなんだからクランの仲間達からは『おまえら付き合ってんの?』と散々いじられたものだ。
そのうちその子はゲーム外でも通話をかけてくるようになったので、匠は時間が空いているときはそれに応じていた。
ただただゲームの話をしたり、たわいもない日常のことを話したり、時折その子の訛りをいじってからかってみたり、匠の頭の中には楽しかった記憶として残っている。
メッセージでのやり取りも増えていく中、ある時その子から『カメラ通話したい』と言われた。
顔を見て話したい、と。
普通なら身構えるところかもしれないが、以前2人は会話の流れで顔写真を交換していたのもあり、匠は特に不安も無くそれに応じた。
それ以来、普通の通話がメインではあるものの、時折カメラ通話をかけてくるようになった。
部屋の模様替えをした、と紹介してきたり、新しく買った服を見せてきたりといった具合だ。
友達とハロウィンパーティーするから買った、と言って見せてきた小悪魔風メイド服のコスプレはなかなかに鮮烈な記憶として残っている。
そこまで聞いて奏は『ふ~む』と怪訝な顔をする。
「そして告白された……と」
「まぁ……そうですね」
「なんか……なんていうか……」
奏は何か言いづらそうに口元をもごもごと動かした後、意を決したように口を開く。
「……そこまでいっていて逆に朝倉さんは恋愛感情を抱かなかったんですか?」
そう言われ匠は当時の記憶を思い返す。
匠がその子に抱いていた認識は……同じクランの大事な仲間……気の置けない友達……はたまた仲の良い親戚の子……。
どこにカテゴライズするべきだろうか……と考えるが……。
「そうですね……恋愛的な意味での好き……では無かったと思いますね……」
そう言った匠の言葉を受け、奏はさらに怪訝そうな顔になる。
「でも付き合えない理由は『好きじゃないから』ではなく『遠距離で会ったことも無いし、今後も会えるかも分からないから』って言っていたんですよね? なんかそれだけを聞くと『会える距離にいるなら付き合えた』ってことになるのかなと……」
『……であれば好きって気持ちもあったのでは……?』という奏の呟きに、匠はハッとする。
仮にすぐに会える距離に2人が住んでいたのであれば……確かに匠は何の躊躇もせずその子の告白を受けていただろう。
そこまで考え、気付く。
…………きっと匠は怖かったのだ。
もしその子に対して抱いている好意が恋愛感情だと気付いてしまったら。
そしてそれが時間をかけ、愛情と呼べるほど深いものになってしまったら。
――きっと匠は会いたくなる。
触れたくなるし、手を握りたくなる。
体温を感じたくなるし、抱きしめて存在を確認したくなる。
そんなごく一般の恋人同士であれば当たり前のようにしていることが、物理的に難しく簡単にはできないという事実に苦しむことになる。
それが無意識に分かっていたからこそ、匠はその子から向けられる好意に気付かないふりをし、自分の気持ちから目を逸らし続けた。
友達以上恋人未満の曖昧な関係の楽しさは享受していたくせに、明確な関係になることは拒んだ。
その子の粘りから恋人という明確な関係になったものの、自分の気持ちから目を逸らせなくなる前に、なりふり構わず逃げ出した。
その事に気付かされ、匠は『ふぅ〜〜〜』と深いため息をつく。
「……私って酷い人間ですね……」
匠が苦笑交じりにぽつりとそう漏らすと。奏は『う~ん……』と少し考えた後。
「まぁ……ラブラブなカップルでも遠距離になったらダメになることは多いみたいですし……最初から、となると……状況的に仕方がなかったのかもしれませんね」
とやんわりとフォローを入れる。
当時自分でも気付いていなかった気持ちに今更ながら向き合い、匠がなんとも形容し難い罪悪感を感じつつ、奏のフォローに対し。
「ありがとうございます……」
と言うと、奏は『どういたしまして』と返した。
……少し変な空気になってしまったな、と匠は思い、ひとつ咳払いをした後。
「で、あれだけ人のことを笑った花岡さんは、それはそれはさぞかし素晴らしい交際経験をお持ちなんでしょうねぇ」
と、空気を変えるべくわざとおどけたような声で奏に尋ねる。
匠の意図を正確に感じ取った奏は『あはは』と一つ笑った後、やはりふざけた口調で返す。
「えぇ、それはもうちぎっては投げ、ちぎっては投げって感じですかね」
「彼氏をちぎって投げるのはやめてあげてください!?」
おもわず匠が突っ込むと、奏は再度『あははは』と心底面白そうに笑った後、笑いながらも少し困ったような表情になる。
「本当のことを言うと……中高大と一貫の女子校だったのもあって……こう……良い出会い? みたいなのが無かったんですよねぇ……」
それを聞いた匠は……何故だか少し心がざわつくのを感じる。
「え……あ~……そうなんですか……少し……意外と言いますか……」
ややぎくしゃくとしつつ匠がそう言うと、奏は再度からかうような表情を見せる。
「ですので? 実際にお付き合いした経験がある朝倉さんの方が恋愛的な経験値は上ってことですね」
「いや……もうその話は忘れてください……」
匠が心底げんなりしながらそう言うと、奏はいたずらが成功した子供のように『あははは』と無邪気に笑う。
その横顔を横目で見ながら匠はわずかに……でも確かに……自分の鼓動が早くなっているのを感じていた。




