第34話
静寂に包まれたエントランスにて、匠は『奏が少しでも休憩できるように』とあえて普段よりゆっくりとタブレットに入力を続けていると、奏がぽつりぽつりと話し始める。
「前にも話しましたけど……小さい頃は色々なところに連れていってくれたんです……」
それはまるで独り言のようだったので、匠はあえて何も反応せずに入力を続ける。
「いつも優しくて……『何か困ったことはないか? 何かあったらすぐに言えよ』っていっつも言ってくれるんです……」
奏はどこか遠くを見ながら、淡々と言葉を紡ぐ。
「……私が会社に入った後もずっと……気にしてくれていて……」
過去の思い出を一つ一つ確かめるように、奏はゆっくりと続ける。
「……仕事で失敗した時も……『大丈夫だから』って『奏なら次はちゃんとできるから』って……」
そう言った言葉の最後が少し震えた気がして匠が手を止め顔を上げると同時、奏の右目から涙が一筋零れた。
「あ……あれ……?」
奏は袖で咄嗟に涙を拭うが、涙は止まるどころか両目から溢れ始める。
「なんで……止まらない……ごめんなさい……すぐ止めますので……」
そう言いながら慌てたように袖で涙を拭う奏を見て匠は胸が締め付けられる。
匠には身近な人物が亡くなった経験がまだ無いので、奏の気持ちは想像することしか出来ない。
それでも……。
「……泣きたい時はちゃんと泣いた方が良いと思います……」
と匠は必死に想像した言葉を伝える。
亡くなってから今日まで慌ただしくやらなくてはならない事に追われていたのだろう『やっと一息つけた』と先程言っていたくらいだ。
その為きっと奏はゆっくりと哀しみと向き合う時間が無かったのでは無いだろうか……と思う。
であれば今くらいはゆっくりと自分の感情を素直に吐き出しても良いのでは無いか、と思うのだ。
匠の言葉を聞いた奏の顔がくしゃりと歪む。
「……うう……ううううう……!」
奏は顔を抑えて俯くと、抑えていた感情が涙と共に溢れ出す。
「きゅ……急に……い……いなくならないでよぅ……!」
そう言った奏の声は号泣している子供のように、呼吸が乱れてまともに話せなくなっていた。
「は……初めての……な……夏の……ボーナス入ったら……! サ……サプライズで……温泉旅行……プレゼント……し……しようと……思ってたのに……!」
声は震えたどたどしいが、それでも奏は構わず言葉を続ける。
「あ……足悪くても……近場なら良いかなって……! よ……喜んでくれるかなって……! たの……楽しみにしてたのに……!」
きっとそれはタイミングが悪かっただけで、恐らく誰が悪いとかではないのだが、それでも奏は哀しみと共に計画していたプレゼントが間に合わなかった悔しさを口にする。
「もう……行けないじゃん……おじいちゃんのばかぁ……」
そう言った後奏は『うううう……!』と肩を震わせながら泣き続けていた。
その奏の丸まった背中を見て、匠は無意識に手が出そうになった為一度止める……が、少しの逡巡の後。
「嫌だったら言ってください……」
と断った上で奏の背中に手を添えると、奏は少しだけビクッとした後。
「い……嫌では……ない……無いです……」
と言ったので、匠は小さな子供をあやすように優しく、優しく泣き続ける奏の背中をさすり続けた。
――――
5分程経っただろうか……奏は大分落ち着きを取り戻していた。
「す……すみません……お恥ずかしい所を見せました……もう大丈夫ですので……」
そう言われ匠は奏の背中から手を離す。
本当に大丈夫だろうかと奏の顔を見ようとすると――。
「あの……顔は見ないで頂けると……」
と奏に言われ咄嗟に前を向く。
「し……失礼しました……」
『そりゃ泣いた後の顔なんて見られたくないよな』と内心反省しつつ匠はタブレットへの入力を再開すると。
「あの……ありがとうございました……」
と奏が言ったので。
「いえ……」
と匠が返すと。
「……ここに居たのが朝倉さんで良かったです……」
と言ったので、どういう意味だろうかと匠は考えつつ。
「……それは良かったです」
とだけ返したのだった。




