第2話
「500万ほど借りたいんだ」
深森信用金庫職員である朝倉 匠の前に座る男はそう言った。
彼は今匠が訪問している美浦印刷の代表者となる美浦社長だ。
確か年齢は70を超えていたと思う。
以前匠が会った時は、今まで苦労してきたことが伺える深く刻まれた皺だらけの顔である一方、一代で会社を築いてきた自信が覗く鋭い眼差しが印象的で、そのアンバランスさを感じさせつつも力強い顔立ちが記憶に残っている。
だが今日は少しだけ表情に疲れが滲んでいる様子が見て取れる。
若い頃田舎から身一つで東京にやってきて印刷会社を設立し、地元の企業のパンフレットやカタログ·チラシ·名刺等を手掛けながら徐々に会社を大きくした、という社長の自慢話は以前聞いたことがある。
特に同郷の奥様と結婚してからは夫婦二人三脚で頑張ってきたらしい。
その結果小さいながらも自社ビルを構えるほどに会社は成長したが……。
匠は美浦社長が用意してくれた直近3年分の決算書を手に取り横に並べ見比べるように目を通す。
決算書とは中小企業であれば年に1回会社が作成し税務署に提出する、いわば会社の成績表のようなものだ。
財務内容や過去1年の利益もしくは損失等はっきりと記載されており、融資の判断に対し決算書の内容は大きなウエイトを占める。
「最近は印刷物自体が減ってきてるし……ネット印刷なんかも大分安くやってるしね……」
その美浦社長の言葉が表している通り、決算書を見る限りは業況はあまり芳しく無いようだ。特に昨年は損失を計上している、所謂赤字決算だ。
とはいえ赤字額としては軽微ではあるし、美浦印刷は過去に借りた融資の返済に遅れたことはないという信頼もある。
決算書をみる限り協会付きなら恐らく問題は無いだろう、と匠は考える。
事業性融資には大きく分けて2つの種類がある
協会付き融資とプロパー融資だ。
実は金融機関の中小企業向け融資に対し、仮に借主が返済できなくなったとしても一定の保証をしてくれる機関が存在している。
この機関を通した融資を協会付き融資という。
メリットとしては、制度にもよるが融資残高の8割程度の保証が得られる為、金融機関としては俄然融資をしやすくなる。
デメリットとしては審査に時間がかかることや利息とは別に保証料が発生すること、融資の内容は制度として決まっている為、何処の金融機関から申し込んでも金利等の条件は変わらないこと、あたりだろうか。
風の噂ではこの協会付き融資しかやらない金融機関もあるらしい。
逆にプロパー融資は金融機関独自の融資で、金利等ある程度自由に設定できるし、審査も機関を通さない分早い。
ただし保証は無い為、審査は自然と厳しいものになる。
故に匠は協会付きなら問題無いのでは、と考えたが勿論最終的な決定権は持ち合わせていないので下手なことは言えない。
「分かりました。一度支店に帰って相談してきます」
そう匠が告げると
「お願いします」
と言いながら美浦社長は深々と頭を下げた。
――――
匠が支店に戻り営業課長と相談した結果やはり協会付き融資でいこう、と方針が決定した。
早速稟議にとりかかろうと匠が自分のデスクに座ると同時に内線が鳴る。
「はい朝倉です」
と出ると事務の女性から。
「1番に美浦印刷の奥様から朝倉さん宛にお電話です」
と告げられる。
『え?』と思いながら匠が視線を電話に向けると、確かに1番のボタンが保留状態になっていた。
『何故奥様が? 面識は無かったよな?』と次々と疑問が湧いてくるが、待たせるわけにもいかないので匠は恐る恐る1番のボタンを押して電話に出る。
「……はいお電話変わりました朝倉です」
「あ……突然すみません……美浦の妻です……」
そう告げた奥様の声からはかなり疲労した様子が伺える。
匠の記憶では確か美浦社長と同じ70代だったはずだ。
「あ、はいいつもお世話になっております」
「いえ……こちらこそ……」
少しの沈黙の後……奥様は意を決したように言葉を紡ぐ。
「……あの……融資は……実行されるのでしょうか」
そう言った声は僅かに震えており、匠は『なるほど』と合点がいく。融資が無事に実行されるか否か、不安で電話をかけてきたのだろう。
美浦印刷の経理は奥様が担当してると伺っていた。
まだ決裁が下りたわけではないので下手なことは言えないが、あまり不安にさせるのも良くないと思い、匠は努めて明るい声を出す。
「そうですね、今営業課長とも相談して協会付きで申請してみようという話になったところです」
「……そう……ですか……」
少しは安心してもらえただろうか、と匠が考えていると。
「……あの……もしこの融資を実行したら……」
……実行したらなんだろうか……と続く言葉が予想できず、匠は黙ったまま奥様の言葉を待つ。
「――私は主人と離婚して、田舎に帰ります。主人にもそう伝えてありますので」
と余りに斜め上からの言葉に対し、匠が辛うじて口から絞り出せた言葉は。
「……はぁ……」
というなんとも情けのない言葉であった。




