第20話
前回匠が駿太郎と会ってから1ヶ月後、匠はまた集金で小佐野家を訪れていた。
今日は駿太郎は幼稚園に行っているようだ。
ダイニングで集金分の40万円分現金を預かり、タブレットに入金内容を入力している間に由香里は匠の分の朝ご飯を準備してくれているが、その由香里の表情はどことなく暗かった。
思わず匠が『何かありました?』と尋ねると、由香里は『いえ……』と首を少し振るが、少しの沈黙の後。
「……やっぱり少しだけ愚痴を言っても良いですか……?」
と言ったので匠が『もちろんです』と返すと『ふぅ……』と1つため息をついた後、由香里は話し始める。
「……夫が全く育児に参加しないんです……」
と言われ、匠は返す言葉を慎重に検討する。
「……全く……ですか……?」
そう匠が尋ねると由香里はこくんと頷く。
「平日は帰ってきたと思ったらご飯だけ無言で食べて部屋に籠もっちゃうし……休日も1日中外に行っちゃうんです……」
そう言った由香里の横顔は少し疲れが見て取れた。
「最初は仕事も忙しいだろうし……たまの休日を奪うのも悪いなって思って『しょうがない』って諦めていたんです……でもやっぱり……辛くて……駿太郎の事で相談したいことだって一杯あるのに……」
後半由香里の声は少し震えるが、込み上げてきたものを落ち着かせるように再度ため息をつく。
「習い事だってこんなにやらせるつもりは無かったんです。でも夫の実家がうるさくて……幼稚園の後皆バス停の隣りの公園で遊んでいるのに、駿太郎だけいつも『習い事があるから』って……それが可哀想で……」
確かに幼稚園の皆が遊んでいるのに、自分だけ毎回用事があるからと遊べないのは悲しいだろう、と匠は駿太郎の気持ちを想像する。
話を聞くと由香里と誠の出会いは本当に偶然だったようだが、誠が由香里に一目惚れしたらしく何度もアプローチをしてきたらしい。
「最初のうちはまぁ……正直見た目も性格も今まで付き合ってきたタイプとは全然違ったのもあって、あまり意識してなかったんです」
由香里の話では誠は外見が良いわけでも、話が特別上手いタイプというわけでも無いらしい。
「でも話しているうちに医者という職業に誇りを持っているところとか……真摯な人柄とか……考え方とか……色々と尊敬できる部分が見えてきて……」
そこまで言うと由香里は少し自分の思考をまとめる様に一度目を閉じた後、すっと目を開けると前を見つめたまま話を続ける。
「私、愛情ってずっとは保たないと思ってるんです……でも尊敬の気持ちって変わらないと思っていて……だったら尊敬の気持ちで付き合ってみるのも良いのかなと思って……それでお付き合いすることにしたんです」
「尊敬ですか……面白いですね」
匠がそう言うと由香里はくすっと1つ笑い『まぁ失敗したっぽいですけど』と自虐的に言った後更に続ける。
「付き合っている時はそれでも上手くいってたんです。異性として見ると物足りない部分が無いわけでは無かったんですが、人生のパートナーとして見たら凄く良いなって思えたのでプロポーズも受けることを決めたんです」
そう言った由香里は当時を思い出しているのだろうか、どこか遠くを見ているようだった。
「……もちろん『安定した職業』っていう打算みたいなものが無かったとは言いませんが……それでもやっぱり尊敬できるなって思ったのが1番大きかったんです……」
「……その尊敬の気持ちが減ってしまったと?」
そう匠が尋ねると由香里は首を振る。
「いいえ……夫は良くも悪くも以前と変わって無いんです……なので尊敬できるところは今も尊敬しているのですが……」
そう言うと由香里は視線を下に落として続ける。
「……変わらないことに対して私が勝手に失望しているだけなんです……」
そう小さく言った由香里に、匠は何と声をかけるべきだろうかと考えていると。
「――すみません暗い話してしまって……でも少しスッキリしました。ご飯温め直しますね」
と由香里は明るい声を出した後、パタパタとスリッパを鳴らしながら朝ご飯をレンジで温め直す。
その様子を見ながら匠は先程の話を頭の中で繰り返す。
なんとなく湧き上がってきたのは、由香里が話す誠の人物像と現在の行動に対する……ズレのような違和感であった。




