第15話
「ほんっとうに最悪なんですようちの兄!!」
そう言いながら奏はグラスに手を伸ばし1口飲む。
「『台帳の都合もあるから前月分の領収書は翌月5日までに出して』って言ってるのに、10日過ぎに『忘れてた』って言いながらしれっと持ってくるんですよ!! あり得なくないですか!?」
お酒も大分入り奏は普段の鬱憤が爆発しているようだ。
そんな奏を見て思わず匠は苦笑する。
「まぁ……でも確かにちょっと酷いですね」
奏の話では2,3ヶ月に1回はそんな感じらしいので、不満が溜まるのは理解できる。
「他にも『クレジットカードで決済した』って言ってたのに、いざ明細が着たら載ってないんですよ!? 兄に伝えたら『あれ? 現金で払ったかも?』とか言い出して!!」
奏の兄は他の業務では優秀らしいが、こと経費精算に関しては杜撰らしく、それがまた余計に奏の神経を逆撫でしている様子だ。
「わざと喧嘩売ってます!? って感じじゃ無いですか!?」
奏の様子があまりにも鬼気迫るものだった為、思わず匠が『あはは』と笑うと奏は不服そうに『笑い事じゃ無いんですよ……』と漏らすが、普段の鬱憤を愚痴ったことで大分スッキリしたのか少し落ち着いたようだ。
奏は過去の会話を思い出すように少し目線を上に向ける。
「……そういえば確か朝倉さんってお姉さんと2人で住んでるんですよね? 随分と仲が良いですよね……うちじゃ考えられません……」
「あ〜……まぁ仲は良い方ではありますかね? 7歳離れてることもあって喧嘩にすらならないと言うか……?」
もちろん匠が小さい頃は喧嘩もしたが、7歳差はあまりにも大きく、肉体的にも口でも全く相手にすらならなかった。
そういった経験が積み重なった事もあり、匠が小学生になったあたりからはそもそも喧嘩をすることも無くなった。
争いは同じレベル同士でしか発生しないというやつだ。
「……ただうちの場合『仲が良いから』というよりかは、状況的にそうなったと言いますか……」
と匠が言うと、奏の瞳に好奇心の色が宿る。
「詳しく伺っても?」
と言われ『あ〜……』と言いつつ、匠はどう説明しようかと考えながら一度グラスを取り喉を湿らせる。
「えっと……ほんっとうに重たく受け止めないで欲しいんですが……うちの親離婚してまして」
匠自身親が離婚していることを何も気にしていない為、あえて軽く言うがそれでも空気が少し重くなるのを匠は感じた。
できるだけこれ以上空気が重くならないように、と匠は言葉を選びながらぽつぽつと説明を始める。
匠が小学生高学年になった頃あたりからだろうか、匠の父と母がしばしば喧嘩をするようになったのは。
姉はこの時既に大学に入っており一人暮らしをしていた為、2人の喧嘩を目の当たりにするのは匠のみだった。
当初は2人の喧嘩が始まると匠は泣きながら止めようとしていたが、それでも止まらないことを学習すると、それ以降は喧嘩が始まると匠は別の部屋に逃げるようになった。
大体毎回喧嘩は口論から始まり、最終的には父がそこら辺にある物を壁や家具に向かって投げつけるので喧嘩が終わった後の部屋は凄惨な状態になる。
その為匠は『また怪獣が家に来たな……』と思いながら喧嘩が終わるまで別の部屋で過ごしていた。
「今思うと完全に現実逃避ですね」
と匠は笑いながら言うが、それを聞いている奏は真剣な顔をしていた。
「……それは……朝倉さんが自分の心を守る為に必要な事だったんじゃないですか……?」
そう言われ匠は当時の心境を思い返す。
「……確かに……そうやって自分を守っていたのかもしれませんね……」
家の中で起こっていることは現実では無く、ただのファンタジーだと思い込むことで匠は自分自身の心を守っていたのだろう。
ただそれでも喧嘩をした後荒れた部屋の中で母が泣いているのはどうしようもなく現実で、それを見るのは子供心に辛かった為、匠は中学生になる頃には母に『早く離婚したら?』と言うようになった。
匠の目から見ても2人の関係は修復不可能に思えたので、ならば誰もが嫌な気持ちにならないように2人が離れるのが正解だと思えたのだ。
だが母からの答えは何時も『匠が成人するまでは離婚しない』というものだった。
父と母の間の約束らしい。
その約束の真意は匠には分からなかったが、この不幸な空間を終わらせられない理由が自分であることに対して、匠はその約束を聞くたびに何か憤りのようなものを感じていた。
幸い高校生になったあたりで匠の父が単身赴任になったのでそれ以降は平和な日々であった。
「で、私が成人した年に離婚したんです。なので本当に『やっと離婚してくれて良かった』って感じなんですよね」
そう匠はあっけらかんと言うが、それでも『そうですか……』と言った奏の表情は硬かった。
「ただ離婚して『どっちに付いていくか』という話になった時、『どっちも嫌だ』って思ったんです」
「……それは何故?」
そう言われ匠は『う〜ん……』と考える。
「多分『どっちかを選ぶ』ってことをしたくなかったんだと思います……それで悩んでたら一人暮らしをしていた姉が『家賃半分払うなら一緒に住んでも良いよ』って提案してくれたので……」
奏は『なるほど……』と言った後、匠を見つつやや言いづらそうに口を開く。
「……こういう言い方はどうかと思いますが……そういう環境で育ってよく……そんな真っ直ぐに育ちましたね……」
そう言われ思わず匠は一瞬きょとんとするが、直後に『あはは』と笑う。
「そうですね……真っ直ぐ育ったのかどうかは分かりませんが……ただまぁ愛情を受けてなかったとかじゃ無いんですよ?」
母は料理がそこまで得意では無いが、毎日栄養を考え手料理を作ってくれたし、匠が小さい頃風邪を引いた時に寝るまで側でずっと子守唄を歌ってくれていた記憶は今でも鮮明に覚えている。
父はよく匠と近くの公園でキャッチボールをしてくれたし、中学生の夏休みに2人で九州に行き、5日間かけて父の運転で福岡から鹿児島まで観光地を巡りながら縦断旅行をしたのは良い思い出だ。
「なのでまぁ……単純に『父と母の相性が悪かった』ってだけの話なんです」
話を聞いた奏は1つ頷くと、一度グラスに口をつける。
「朝倉さんっていつも話を聞いていると……なんというか……『家族』とか『絆』みたいなものを大切にしてる印象があったので、何となくそういうご家庭で育ったのかなと思ってました……」
「逆でした? まぁだからこそ反面教師というか……子供ながらに『もし自分が家族を作ったらこんな子供が悲しむような家には絶対しない』って自分に誓ったんですよね」
『まぁそんな予定も無いんですが』と匠が付け加えながら笑った瞬間――。
「そういう思いを持ってるって……凄い素敵だと思います」
と奏が言ったので、匠が思わず奏を見るとアルコールの影響だろうか、それともそれ以外が原因なのかは分からないが、少し頬を赤く染めた奏が笑っていた。




