第四十五話 大蜘蛛
巣の奥で揺れた影を見た瞬間、カナトは思わず足を止めた。天井に幾重にも張り巡らされた糸がきしみ、その中心から黒い塊がゆっくりと降りてくる。岩壁に脚が食い込むたび、石が削れるような音が空洞に響いた。
カナトは短剣を握り直しながら、巣の奥を見上げる。
「……さっきのより、だいぶ大きいですね。巣の広がり方を見ると、ここを作ったのはあいつかもしれません」
グランも同じ方向を見ていた。天井の巣の中央を観察するように視線を動かし、静かに答える。
「これだけ巣を広げてるんだ。ここを縄張りにしてる個体がいてもおかしくはない」
次の瞬間、蜘蛛が岩壁を蹴った。巨体が空洞の中央へ落ちる。着地の衝撃で小石が跳ね、床の岩肌がわずかに砕けた。
カナトは反射的に横へ飛ぶ。
直後、蜘蛛の脚が振り下ろされた。さっきまで立っていた場所の岩が砕け、破片が床を転がる。
カナトは距離を取りながら言う。
「思っていたより速いですね。あの体格でこの動きだと、正面で受けるのは危なそうです」
グランはすでに前に出ていた。斧を振り上げ、そのまま蜘蛛の脚へ叩きつける。
鈍い衝撃音が空洞に響く。
脚の軌道がわずかに逸れた。
グランは手応えを確かめるように斧を引き戻す。
「硬いが、通らんわけじゃない。関節なら割れる」
そう言ってもう一度振る。
蜘蛛が脚を振り回す。グランは体をずらしてそれを避け、すぐに間合いを取り直す。
カナトは足元の岩を見ながら土魔法を使う。蜘蛛の脚が踏み込んだ場所の岩をわずかに崩す。しかし巨体は揺れるだけで体勢は変わらない。
カナトは眉を寄せた。
「脚の下を崩してみましたけど、ほとんど体勢が変わりません。一本崩しても他の脚で支えられてます」
グランは蜘蛛の脚を見ながら答える。
「八本あるからな。一本や二本じゃ倒れん」
その時だった。
蜘蛛が腹を持ち上げる。
カナトはすぐに気づいた。
「腹の動き……糸を吐くかもしれません」
白い糸が吐き出された。
カナトは横へ跳ぶ。糸は背後の岩壁へ叩きつけられ、広がるように張り付いた。
グランが斧を振る。刃がその巣に当たる。
乾いた音が響き、巣が砕けて破片が床に落ちる。
カナトはそれを見て言う。
「砕けました。固まると石みたいな硬さになるみたいです」
グランも頷く。
「岩を叩いたような手応えだった」
蜘蛛がもう一度糸を吐く。
カナトが距離を取る。白い糸が空中に広がる。
グランの斧がそこに当たった。
今度は砕けない。刃が食い込み、糸がわずかに伸びる。
カナトはその違いに気づいた。
「さっきより柔らかい……吐いた直後だからまだ固まってないんですね」
グランは巣を見ながら言う。
「少し経つと硬くなる。吐いたばかりなら使えるかもしれん」
カナトは短剣を握り直した。
「俺が前に出ます。吐かせます」
グランは一瞬カナトを見てから頷いた。
「近づきすぎるな」
カナトは一歩前へ出る。
蜘蛛がすぐに反応した。巨体が前へ踏み込み、脚が振り下ろされる。
カナトは体を滑らせてかわす。
腹が持ち上がる。
「来ます」
糸が吐き出された。
カナトが横へ跳ぶ。白い糸が空中に広がる。
その瞬間、グランが踏み込んだ。
斧が蜘蛛の脚に叩き込まれる。
重い音が響いた。
関節が砕け、脚一本が崩れる。蜘蛛の体が大きく揺れた。
グランはそのまま斧を横に振る。
巨体が押され、蜘蛛の体が吐き出したばかりの巣へ叩きつけられる。
白い糸が体に絡みつく。
蜘蛛が暴れる。脚が動く。
だが粘着した糸が絡まり、そのまま硬化していく。
グランは斧を構え直す。
「動きが鈍った」
カナトは足元の岩を崩す。蜘蛛の脚が滑り、体がさらに傾く。
「今です」
グランが踏み込む。
斧が振り上げられ、頭部へ叩き込まれた。
重い音が空洞に響く。
蜘蛛の体が大きく震え、脚が痙攣する。
やがて動きが止まった。
空洞に静けさが戻る。
グランが斧を引き抜く。
「……終わったか」
カナトは周囲を見回した。子蜘蛛が散り始めている。その一匹へ短剣を向けた瞬間だった。
背後の岩壁。
轟音。
壁が内側から膨らむ。
岩が砕け、巨大な脚が突き破った。
空洞全体が揺れる。天井の巣が軋む。
カナトは振り向く。
さっき倒した蜘蛛とは比べ物にならないほどの影が、そこにあった。
グランがその巨体を見上げながら低く言う。
「……どうやら、今倒したやつは本命じゃなかったらしいな」




