第四十四話 巣
通路を抜けた先の空洞は、さっきまで通ってきた場所よりもわずかに広かった。天井は低いが、壁は丸く削られたように滑らかで、採石場だった名残がそのまま残っている。
足を踏み入れた瞬間、カナトは少しだけ歩みを緩めた。
床のあちこちに、白い塊のようなものが落ちている。
「……これは」
近くまで寄り、しゃがみ込む。
丸く膨らんだ白い袋のような形で、表面は薄い膜に覆われていた。両腕で抱えるのも難しいほどの大きさがある。
スイカほどの大きさの塊が、空洞の床にいくつも転がっている。
「卵か?」
後ろからグランの声がする。
「多分」
カナトは慎重に立ち上がった。
改めて周囲を見渡すと、同じものがいくつも転がっているのが分かる。壁際にも、空洞の端にも、そして視線を上げれば天井の巣の中にも同じ形の白い塊がいくつも吊り下がっていた。
カナトはゆっくりと視線を上げる。
蛍晶石の淡い光に照らされ、天井には糸のようなものが無数に張り巡らされていた。太いもの、細いもの、それらが何重にも重なり合い、空洞全体を覆うように広がっている。岩肌に絡みつくように張られた糸は場所によって束になり、その中心に白い卵の塊がいくつも固定されていた。
「……蜘蛛ですね」
カナトが静かに言う。
グランは少し天井を見上げ、それから周囲の床へ視線を戻した。
床に転がっている卵のいくつかは、すでに破れていた。落ちた衝撃で膜が裂け、中身が潰れている。近くに寄って見れば、白い膜の内側はぐしゃりと崩れていて、生き物の形を保っているものはなかった。
カナトはその一つを見下ろしながら口を開く。
「落下した衝撃で中身が潰れてます」
その言葉が終わるかどうかという瞬間だった。
天井の巣が、かすかに揺れた。
最初は気のせいかと思うほど小さな動きだったが、その隙間から黒い影がひとつ落ちてくる。床に着地したそれは、ほんの一瞬だけ静止したあと、すぐに脚を動かして這い出した。
人間の胴ほどもある蜘蛛だった。
丸い腹部と分厚い胴体が岩の上に落ち、長い脚がばらりと広がる。脚を広げた大きさは人間の上半身ほどもあり、黒い外皮が蛍晶石の光を鈍く反射していた。
カナトは反射的に一歩下がる。
「……上」
短く言う。
グランも視線を上げた。
天井の巣の奥で、また別の影が動いている。次の瞬間、ぱらぱらと小さな影がいくつも落ちてきた。ひとつ、ふたつではない。三匹、四匹と続けて床へ落ち、着地した瞬間から同じように動き始める。
さらに、壁の隙間からも同じ影が這い出してきた。
気づけば、空洞の床のあちこちに蜘蛛が広がり始めている。
カナトはその数を見て、低く息を吐いた。
「……増えてますね」
グランは斧を構えながら答える。
「さっきの崩落で巣を揺らしたんだろう」
蜘蛛はまだ親ほどではない。だが、さっき見たスイカほどの卵から生まれたばかりの個体らしく、人間の胴ほどの体で床を素早く走り回り、壁を登り、天井からも次々と落ちてくる。
一匹がこちらへ向かって走ってくる。
グランの斧が横に振られる。刃が空洞の空気を裂き、数匹まとめて吹き飛ばした。床に叩きつけられた蜘蛛はそのまま動かなくなるが、空いた隙間から別の蜘蛛がすぐに這い寄ってくる。
カナトは足元の土に意識を向ける。
わずかに地面を沈ませると、蜘蛛の脚が取られ動きが鈍る。その瞬間を逃さず、グランの斧が落ちた。数匹がまとめて潰れる。
だが、それでも終わらない。
天井から落ちてくる影は途切れず、壁の隙間からも次々と現れる。
カナトは周囲を見回しながら言った。
「数が減りません」
グランは一度大きく周囲を見渡す。
天井の巣、その奥に潜む影、そして落ち続ける蜘蛛。
カナトは背後の通路を振り返る。
そこにもすでに蜘蛛が集まり始めていた。このままここで戦い続ければ、通路もすぐに埋まるだろう。
「囲まれたらまずいですね」
カナトの言葉に、グランは少しだけ考えたあと、視線を空洞の奥へ向けた。反対側に細い通路が続いている。
「親を殺せば散るだろう」
短く言う。
斧を構え直す。
「奥に行くぞ」
「分かりました」
二人は同時に動いた。
グランが前に出て斧を振るい、通路へ続く道の蜘蛛を払う。その横でカナトが足場を崩し、蜘蛛の動きを遅らせる。完全に倒すよりも、道を作ることを優先した動きだった。
通路へ踏み込む。
背後ではまだ蜘蛛が増えている気配が続いていた。
通路は思ったより短かった。
数歩進んだだけで視界が開ける。
二人はそのまま勢いを止めず、次の空洞へ踏み込んだ。
そこはさっきの部屋よりも広かった。だが、空気の重さが違う。壁から壁へと太い糸が張り巡らされ、床にも巣が広がっている。蛍晶石の光が粘つく糸に反射し、空洞全体が淡く白く光っていた。
カナトは思わず足を止める。
ゆっくりと視線を上げる。
天井の中央に、巨大な巣の塊があった。
その奥で、何かがゆっくり動く。
最初は巣の一部が揺れただけに見えた。だが、次の瞬間、それが生き物だと理解する。
巣の奥で動いたのは、これまでの蜘蛛とは明らかに違う体格だった。脚一本だけでも丸太のように太く、ゆっくりと動くだけで張り巡らされた糸がきしむ。胴体は荷車どころではなく、岩壁に張りついた塊のように大きい。天井の巣の奥で、その影だけがゆっくりと形を変えていた。
グランもそれを見ていた。
斧を握り直す。
「……親だな」




