第三十二話 寸前
ゴブリンの群れへ踏み込んだ瞬間、視界のほとんどが緑色で埋まった。
通路から押し出されるように流れ込んでくる個体が、広間の中でぶつかり合い、互いを押しながら前へ前へと進んでくる。倒してもすぐ次が現れる。刃を引き抜く暇もなく、次の腕が伸びてくる。
止まれば、飲まれる。
カナトは短剣を握り直し、目の前の腕を弾いた。体勢を崩した個体の肩口へ刃を差し込み、押し倒す。そのまま体を滑らせて横を抜ける。血の匂いが強く、足元が滑る。だが足を止める余裕はない。
その奥に、セラが見えた。
杖を握り、必死に後退している。だが背後はもう空いていない。通路から押し出されてきたゴブリンが退路を塞ぎ、完全に囲まれかけていた。
距離は遠くない。
あと数体。
カナトはさらに踏み込む。
腕を振り下ろしてきたゴブリンの手首を弾き、そのまま懐へ潜り込む。刃を喉元へ押し込み、引き抜きながら横へ体を滑らせる。倒れた体を踏み越え、さらに前へ。
そのとき、セラと目が合った。
恐怖が浮かんでいる。
声は出ていない。
だが、その目だけで十分だった。
助けを求めている。
カナトはさらに前へ出る。
短剣で足元を払う。転んだ個体の背中を踏み越え、もう一体の首元へ刃を差し込む。血が噴き出し、視界の端が赤く染まる。その向こうに、セラがいる。
あと一歩。
その瞬間、ふと記憶がよぎった。
灰狼団と一緒に潜った日の戦闘だった。
ダインが前で盾を構え、クレスが横から斬り込み、リアナの矢が奥へ通る。その隙間を埋めるようにカナトが短剣を入れる。
その横で、セラが小さく息を吐いた。
「助かった」
回復の光を抑えながら、そう言っていた顔。
あのとき、確かに間に合っていた。
もう一度、短剣を振る。
目の前のゴブリンの肩口へ刃を差し込み、そのまま押し倒す。
距離は、あと一体。
届く。
その瞬間だった。
通路の奥から、さらにゴブリンが押し出されてきた。
新しい個体が一気に間へ割り込む。二体、三体、四体。まるで流れ込む水のように押し寄せ、カナトとセラの間へ壁のように立ち塞がる。
カナトは反射的に一体の腕を弾く。もう一体へ短剣を突き込む。だが横から別の個体が飛び込み、肩を押される。足が半歩下がる。
距離がまた開く。
セラの姿が、ゴブリンの向こうへ隠れた。
――届かない。
その背後で、グランは歯を食いしばっていた。
カナトが群れの中へ突っ込んだ瞬間から、斧を振り続けている。目の前の個体を叩き潰し、横へ弾き飛ばし、無理やり道を作る。
完全に突破するのは無理だと分かっている。
それでも、カナトの背中までは届かせる。
重い斧が振り下ろされ、ゴブリンの体が横へ吹き飛ぶ。
その一撃で、カナトの背後の空間が一瞬だけ開く。
だが、セラまでの道はまだ遠い。
さらにゴブリンが流れ込んでくる。
止まらない。
その少し後ろで、リシアも異変に気づいていた。
ゴブリンの流れだけではない。
空気が、わずかに震えている。
耳の奥で低い音が鳴る。
遠く、広間の奥の暗闇の向こうで、光が一瞬だけ走った。
リシアの背筋が凍る。
それが何か、理解してしまった。
「――伏せてください!」
叫ぶ。
その声が広間に響いた瞬間、カナトは何かが変わったことを感じた。
光が、視界の端で弾ける。
次の瞬間、背中に衝撃が落ちた。
そのまま地面へ押し倒される。
石の床が目の前に迫る。
何かが、強く光った。




