第二十九話 退避
地面の揺れが、はっきりと分かるようになっていた。
最初は気のせいかと思った。だが違う。足裏を通して、断続的な振動が伝わってくる。第三層の通路の奥から、何かが押し寄せてくるような重い揺れだった。
周囲の冒険者も気づき始めている。
誰かが奥の暗がりを睨み、武器を構え直した。
その直後だった。
通路の奥の影が動く。
最初は一体、二体。
すぐに、それが数ではないことが分かった。
ゴブリン。
それも、群れ。
通路の奥から、押し出されるように現れる。次々に姿を現し、数が増え、あっという間に視界の奥が緑色で埋まった。
明らかに異常な数だった。
一瞬、通路の空気が止まる。
その沈黙を破ったのは、ダインだった。
「集まれ!」
盾を構えたまま、声を張り上げる。
近くにいた冒険者たちへ向けて。
「散らばるな!」
さらに奥の群れを見て、吐き捨てるように言った。
「あの数は無理だ!」
戦える数ではない。
近くの冒険者たちが、自然と動いた。離れていたパーティが、少しずつ距離を詰める。
だが、誰も「協力しよう」とは言わない。
それぞれのパーティが、それぞれの位置で武器を構える。
ただ、固まっているだけだ。
ゴブリンの群れが迫る。
前に出たパーティが迎撃を始めた。
カナトは短剣を握り直す。すぐ隣で、グランが斧を肩から振り下ろした。
最前列のゴブリンが吹き飛ぶ。
その足元を、カナトが踏み込む。地面に意識を落とす。
わずかな揺れ。
足場が崩れる。
バランスを崩したゴブリンの首に、短剣を滑り込ませる。
横では、別のパーティが応戦している。槍が突き出され、剣が振り下ろされる。後方からは矢が飛び、回復の光が瞬く。
灰狼団も同じ集団の中にいた。
ダインが盾を前に押し出し、クレスが横から剣を差し込む。後方でセラが回復を回し、少し離れた位置からリアナが弓を放っていた。
一瞬、セラと目が合う。
だが、すぐに視線は戦場へ戻る。
ゴブリンは止まらない。
前を倒しても、すぐ次が来る。
押され始めているのは明らかだった。
そのとき、リアナの声が響いた。
「右側」
全員の視線が動く。
通路の端。壁際。
ゴブリンの密度が、ほんの少しだけ薄い。
その先に、通路が続いている。
リアナが短く言う。
「抜けられそう」
ダインがすぐに判断した。
「行くぞ!」
盾を押し出しながら叫ぶ。
「こっちだ!」
近くにいた冒険者たちにも声を飛ばす。
固まっていた集団が動いた。
戦いながら、右側へ寄る。
前が押し、横が斬り払い、後ろが追撃を止める。
誰かが指示したわけではない。
だが、全員が同じ方向へ動いていた。
ゴブリンを押し退けながら、壁際へ進む。
通路が見える。
狭い。
だが、抜けられる。
ダインが盾で前を押し開く。
「走れ!」
誰かが叫んだ。
その瞬間、集団が一斉に動いた。
冒険者たちが、通路へ流れ込む。
背後では、ゴブリンの群れが押し寄せてくる。
足音。
怒声。
金属音。
混ざり合う音の中で、カナトは走った。
狭い通路へ、全員がなだれ込む。




