第二十八話 氾濫
ギルドの受付は、ここ数日ずっと騒がしい。
紙をめくる音、金属が触れ合う音、精算を待つ冒険者の声。昼前の時間帯とはいえ、以前より人の数が明らかに多い。カウンターの前には列ができ、仮登録の手続きに来る者も増えていた。
原因は分かっている。
ゴブリンロードの討伐だ。
あの日の出来事は、すでに街中に広まっている。新人冒険者が討伐した。特別な装備でも、熟練のパーティでもない。第一層付近で発生したロードを、討伐したという話。
事実としては正確とは言えない部分もある。だが、噂というものは細部よりも印象で広がる。
「初心者でも倒せる」
そういう形で伝わっているのだろう。
それに加えて、最近はゴブリンの湧きが多い。
討伐報告の数も増えている。第一層でも第二層でも、以前よりゴブリンの数が多いという話はここ数日で何度も聞いている。
結果として広まったのは、別の噂だ。
今は稼ぎやすい。
その認識が広がったことで、新人の冒険者が増えた。仮登録の手続きに来る者も増え、ダンジョンに入る人数も増えている。
書類を一枚処理し、次の精算に移る。
「次の方どうぞ」
魔石を受け取り、確認する。第一層のゴブリン。数は多いが、内容としては珍しくない。
処理を終えた直後だった。
入口の方で、ざわめきが起きた。
何人かの冒険者が、慌てた様子でギルドに入ってくる。装備は土埃にまみれ、息も荒い。
「やばい!!」
そのうちの一人が、カウンターに駆け寄った。
「第二層、ゴブリンが多すぎる!!」
「どの程度ですか」
事務的に聞き返す。
「多すぎるんだよ! 通路が埋まるくらい出てる!」
間を置かず、別の冒険者が声を上げる。
「倒しても次が来る! 止まらねぇ!」
さらに後ろから声が重なる。
「下から押し上げられてる!」
「下?」
「第三層までは行ってない! でも下から来てる! 多分……」
男は息を整える間もなく続けた。
「下も同じか、それ以上だと思う!」
報告を聞きながら、端末に記録していく。
氾濫。
その可能性は高い。
ダンジョンの氾濫自体は、ごく稀に起こる。だが通常は特定の層だけで発生するものだ。
今回の報告は違う。
第二層で大量発生。
さらに下層から押し上げられている。
もし下層でも同じ状態なら――
氾濫がダンジョン全体に広がっている可能性がある。
記録を終え、次に名簿を確認する。
未帰還の冒険者は多数いる。
それ自体は珍しくない。潜行時間は人によって違う。
だが、その中に見覚えのある名前があった。
灰狼団。
蒼閃。
カナト。
グラン。
視線を少しだけ止める。
そのとき、背後から声がした。
「なんか大変そうですねぇ」
振り向くと、ミレイアが立っていた。いつも通りのゆるい調子だ。
「今戻ってきた人たちの話、聞こえましたよぉ」
リシアは端末を閉じる。
「第二層で氾濫の可能性があります」
「へぇ〜」
驚いた様子はない。
ミレイアは軽く首を傾げた。
「それ、聖堂騎士団に申請した方がいいんじゃないですかぁ?」
一瞬だけ、考える。
騎士団の出動要請は、簡単に出すものではない。
だが、状況は軽くない。
報告はすでに複数。内容も一致している。
リシアは短く言った。
「聖堂騎士団への出動申請をお願いします」
「了解でーす」
ミレイアは気軽な声で答える。
「あと、申請が終わったらダンジョン前で待機していてください」
リシアは続けた。
「回復が必要になるはずです」
「はーい」
ミレイアは軽く手を振り、奥へ向かう。
それを見送ってから、リシアは席を立った。
近くの職員に声をかける。
「少し席を外します」
「はい」
短いやり取りを終え、装備を整える。
剣。革鎧。最低限の装備だけだ。
ギルドを出て、ダンジョン入口へ向かう。
遠くからでも分かった。
入口の奥から、戦闘音が響いている。金属音と怒号が混ざった、断続的な音。
そして。
足元が、わずかに揺れた。
ほんの小さな振動。
だが、確かに地面が動いている。
リシアはダンジョンの入口を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……間に合えばいいのですが」




